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title: 『経験と教育』で気になった部分
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author: kazu634
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date: 2007-06-19
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- つれづれ
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本日はデューイによって書かれた『経験と教育』を読んでメモしていました。修士論文もやらないとね。連絡待ちで手持ちぶさたすぎるので…
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というわけで気になった部分は:
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伝統的教育 = 教育における教材は、過去に作り出された知識や技能から構成される集合体から成る。したがって、学校の主要な任務は、それら過去からの知識や技能を新しい世代に伝達することにある。過去に置いてもまた、行為の基準や規則は発展してきたものである。したがって、そこでの道徳的訓練は、それら基準や規則に適合するように、行為についての習慣を形成することによって成り立っていたのである。 (17)
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教育の主要な目標や目的 = 教授することに際しての教材を包含している知識の組織化された統一体と、あらかじめ用意された熟練様式を子供たちに習得させることによって、子供たちに対する未来の責任と生活上の成功を準備してやることに他ならない。教材も正しい行為の規準と同様に、過去から手渡されたものであるから、生活の学習態度は、概しておとなしく受け身で従順でなければならないことになる。書物とりわけ教科書は、過去の伝承や知恵を代表する主要なものである。他方、教師は、生徒を過去から伝わる教材に効率よく結びつかせるための代理人であるに過ぎない。教師は、知識や技能が伝達され、また行為の規則が強要される際の仲介者なのである。 (18)
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ここに言われている学ぶということは、すでに書物や年長者の頭の中に組み込まれているものを習得することに他ならないのである。さらに教えられるものは、本質的には静的なものであると考えられている。教えられるものは完成された所産として教えられ、教えられるものが最初に構築されるにいたった筋道や、あるいは間違いなく未来に起こるであろう変化については、いささかも考慮されていないのである。 (20)
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それは、未成熟な子供たちの教育的な発達を促進するに当たって、教師および書物の役割はまさに何であるのかという問いである。伝統的教育が学習のための教材として、あまりにも過去に拘泥し、現在や未来の問題を取り扱うには、ほとんど役に立たないような事実や理念を用いたことを認めるとしよう。それも結構なことであろう。そこでわれわれはいまや、過去の業績と現在の問題との間にある経験の内部に実際に存在する関連性を発見するという問題に行き着くのである。われわれは過去を知ることが、どのようにして未来を効果的に取り扱う点で、有力な道具に転換されうるのか、それについて確かめなければならない。こういう問題にわれわれはぶつかるのである。われわれは、教育の目的としての過去の知識を拒絶することも出来るだろう。そのことによって、過去の知識の手段としての重要性をひたすら強調することも良いであろう。われわれはそのようにするとき、教育の歴史において、新しい問題に出会うのである。すなわち、そのことは、どうすれば年少者は、過去の知識が現在の生活を理解する上での仲介者になるような仕方で、過去を親しく知るようになるだろうか、という問題である。 (27-8)
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経験の質 : (1) 経験が快適なものか不快な者であるかと言った直接説的な側面 (2) 経験がその後の経験にどのように影響を及ぼすかという側面 (34)
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経験の「効果」は、その表面には現れでない。このことが教育者に問題を提示することになる。経験が生徒に不快感を与えず、むしろ生徒の活動を鼓舞するものであるとしても、その経験が未来により望ましい経験をもたらすことができるよう促すためには、直接的な快適さをはるかに超えた種類の経験が求められることになる。このような質的経験を整えることこそ、教育者に課せられた仕事なのである。 (34)
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[…] われわれはしばしば、ほとんど学校教育を受けなかったが、その正規の学校教育の欠如が確かな財産になっている人に良く出会うものである。そのような人たちは少なくとも、その人ならではの固有の常識と判断力を保持し、それを生活における実際の条件の中で行使し、それによって自己の経験から学ぶという貴重な才能が与えられてきたのである。もし学習の過程に置いて、個人が他ならぬ自分自身の魂を失うならば、価値ある事物やその事物に関連する価値に対して批評する能力を失うならば、さらにまた学んだことを適用したいという願望を失うならば、とりわけこれから起こるであろう未来の経験から意味を引き出す能力を失うならば、地理や歴史について規定されている知識量を獲得したところで、また読み書きの能力を獲得したところで、それが何の役に立つというのであろうか。 (73-4)
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[…] 現存し、現在の社会悪や社会混乱を引き起こしている制度や習慣は、一夜にして生じたものではない。制度や習慣はその背後に、それ相応に長い歴史を持っている。[…]過去を断ち切って、現在だけの知識に基づいて組み立てられた方策は、個人的な行動に見られる軽率で無思慮な身勝手なやり方に対応するものである。[…] (125)
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明日は英語版の該当箇所をメモしよう。。。
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