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title: ”The Age of the Essays”の翻訳(まだまだ途中・訂正)
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author: kazu634
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date: 2005-08-09
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url: /2005/08/09/_75/
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wordtwit_post_info:
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- つれづれ
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この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、”The Age of the Essays”を翻訳しようと試みたものである。
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エッセーができてからの年月
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2004年9月
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高校で書かなければならなかったエッセー<sup>【注1】</sup>を覚えているかい?導入となる段落、理由を与える段落、結論。結論というのは例えば、『白鯨』<sup>【注2】</sup>に出てくるエイハブはキリストに似た人物だ、というものだ。
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うーん。だから、私は別な側面を示そうと思う。つまり、エッセーとは本当はどんなもので、どのように書くのかということについて示していこうと思う。少なくとも、自分がエッセーをどのように書いているのかということについて書こうと思う。
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一番明白な違い
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本物のエッセーと学校で書かなければならないものとの一番明白な違いは、本物のエッセーは英文学についてだけものではないということだ。確かに、学校は生徒達に文章の書き方を教えなければならない。しかし、一連の歴史的出来事のために書くこと<sup>【注3】</sup>の授業は文学研究と混ざり合ってしまっている。そのためにアメリカ合衆国中で生徒達は、少ない予算しかない野球チームがどのようにしてヤンキースと闘いうるのかとか<sup>【注4】</sup>、ファッションにおける色の役割だとか、何がよいデザートを構成するのかといったことについて書くのではなく、ディキンズ<sup>【注5】</sup>におけるシンボリズムについて書いているのである。
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このことにより、書くことは退屈で的はずれのように見えざるを得なくなる。誰がディキンズの作品におけるシンボリズムなんか気にするだろうか?ディキンズ本人でさえも、色や野球のことについて書かれたエッセーにずっと興味を持つはずだろう。
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どうしてこのようになってしまったのだろうか?その質問に答えるためには、ほぼ1000年の時を戻る必要がある。1100年頃に、ヨーロッパはついに何世紀にも及ぶ混乱を終え一息つき始めた。一度知的好奇心という贅沢をし始めると、ヨーロッパの人々は現在我々が「古典」と呼んでいるものを再発見した。その効果は、他の太陽系から来た生物に訪ねられた時のものにとてもよく似ていた。これら初期の文明<sup>【注6】</sup>はとても高度に洗練されていたので、それ以降の何世紀もの間ヨーロッパの学者の主な仕事は、ほぼすべての学問領域の中で古代ギリシア・ローマの人々が知っていたことを吸収することになったのである。
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この期間中、古代の書物を研究することが権威を得るようになった。書物研究が学者が行っていたことの本質のように思えた。ヨーロッパの学問に弾みがつくにつれて、古代の書物研究は重要ではなくなっていった。1350年までには、科学について学びたいと望んでいた学生は、自分の同時代でアリストテレス<sup>【注7】</sup>よりも良い教師を捜すことができるようなった。<sup>[1]</sup>しかし、学校は学問よりもゆっくりと変化した。19世紀になっても、古代の書物の研究は依然としてカリキュラムの重要な要素であった。
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次に述べる質問をする時が熟した:古代の書物研究が学問の妥当な研究領域であるのなら、現代の書物も妥当な研究領域ではないのか?それに対する答えは、もちろん、古典を研究する学問のそもそもの存在理由は一種の知的考古学であり、現代の書物の場合になされる必要があるものではない、というものだった。しかし、分かり切った理由から、だれもそうした答えをしようとはしなかった。考古学的な研究がほぼ終わっていたので、古典を研究していた学者達は、時間を無駄にしているというわけではないが、少なくともあまり重要ではない問題に取り組んでいたからである。
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このようにして現代の文学についての研究が始まった。当初はとても多くの抵抗があった。英文学という学科目における最初の講義は新しい大学で行われたらしい。特にアメリカの大学で、だ。ダートマス大学、ヴァーモント大学、アマースト大学、ユニヴァーシティカレッジが1820年代に英文学を教えた。しかし、ハーヴァード大学では、英文学の教授は1876年までおらず、オックスフォード大学では1885年までいなかった(オックスフォード大学では、英文学の教授職を設けるよりも前に、中国についての教授職を設けていた)。<sup>[2]</sup>
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少なくともアメリカにおいて状況を決めてしまったのは、教授は研究だけでなく、教育も行うべきだとする考えであったように思える。この考えは(博士号、学部・学科、そして近代的大学という概念とともに)19世紀の後半にドイツから入ってきた。この新しい大学のモデルがジョンズ・ホプキンズ大学で1876年に採用されると、急速にアメリカ中に広まっていった。
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書くことは偶然の産物の一つだった。大学は長く文の構成法を教えてきた。しかし、文章の構成をどのように研究することができるだろうか?数学を教える教授には、もともとの数学<sup>【注8】</sup>を研究するように求めることができるし、歴史を教える教授には歴史についての学術的な論文を書くように求めることができる。しかし、修辞や文の構成法を教える教授には何を求めればいいのだろうか?そうした教授は何について研究するべきなのだろうか?最も関連性がある学問領域は英文学であるように思える。<sup>[3]</sup>
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このようにして19世紀後半に、書くことについての講義は英文学の教授により受け継がれていた。このことには二つの欠点があった。一つ目は、美術史研究者がよい芸術作品をつくることができなければならないことよりも多くの必然性はあるものの、文学についての専門家は良い文章を書ける必要がないということだ。二つ目は、英文学の教授が興味があるものが文学であるから、書くテーマが文学についてのものになりがちになってしまうということだ。
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高校は大学を模倣した。高校での惨めな体験の種は1892年に蒔かれた。その年に、全米教育協会は「公式に文学と文章構成法が高校の教育課程に統合するように薦めた」。<sup>[4]</sup>基礎学科<sup>【注9】</sup>のうちの書くという要素が国語<sup>【注10】</sup>という学科目に変わったのである。その奇妙な結果として、高校生達はいま英文学について書かなければならなくなっている。認識することさえなく、英文学の教授が数十年前に雑誌に投稿した論文を模倣したものを、高校生達は書かなければいけないのである。
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このことが当の生徒達にとって的はずれな課題に見えたとしても、驚くべきではない。理由は、私たちは今や実際に行われていることから三段階も離れていることになるからである。生徒達は英文学の教授を模倣し、英文学の教授は古典を研究する学者を模倣し、古典を研究する学者は、700年前には魅力的で緊急に必要とされる仕事であったものから生じた伝統を単に受け継いでいるに過ぎないのである。
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擁護をしない
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本当のエッセーと学校で書かせられるものとの間の他の大きな違いは、本物のエッセーはある意見を主張し、そうしてからその意見を擁護するということをしないことだ。{その原則は、文学について書かなければならないという考えに似て、長く忘れられてきたエッセーの出自の知的名残りであることがわかる。}
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原注
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[1] – 私が念頭に置いているのはオレーム(1325-82)<sup>【注11】</sup>だ。しかし、年代を特定するのは困難だ。理由は、ヨーロッパの人々が古代の科学を吸収するのを終えたまさにその時に学問における急激な衰えが起きたからだ。原因は1347年の疫病かもしれない。というのは、科学上の進歩は人口曲線に符合しているからだ。
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[2] – 以下の文献を参照せよ。 <ul>
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Parker, William R. “Where Do College English Departments Come From?” College English 28 (1966-67), pp. 339-351. Reprinted in Gray, Donald J. (ed). The Department of English at Indiana University Bloomington 1868-1970. Indiana University Publications.
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Daniels, Robert V. <i>The University of Vermont: The First Two Hundred Years</i>. University of Vermont, 1991.
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Mueller, Friedrich M. <i>Letter to the Pall Mall Gazette</i>. 1886/87. Reprinted in Bacon, Alan (ed). The Nineteenth-Century History of English Studies. Ashgate, 1998.
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[3] –
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[4] –
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訳注
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注1 – 英語の”essay”は日本語の作文とは異なり、ある主張を理由を添えて主張するという形式を取る。日本の作文とは別のもので、日本の高校では小論文などと言われ区別されている。
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注2 – メルビルの小説。Moby Dick。1851年刊。巨大な白鯨モビー・ディックに片足を奪われたエーハブ船長は、復讐のため世界の海を巡り、ついに発見した宿敵とともに海底に沈む。善と悪の対決等、深い象徴性を秘めた叙事詩的大作。発表当時は不評だったが、1920年代以後評価が高まる。
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注3 – 原文では”writing”(「書くこと」)・”essay”(「エッセー」)・”English composition”(「文の構成法」)と使い分けられている
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注4 – 『マネーボール』(<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919');" target="_blank">https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919</a>)のことを言っているのだと考えられる。
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注5 – イギリスの小説家。ビクトリア女王から貧しい庶民の子どもまでが愛読した、19世紀最大の国民的文豪であるばかりでなく、20世紀になっても各国語に翻訳されるうえに、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、ミュージカルなどのメディアにまで浸透している。
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注6 – つまり、古代ギリシア・ローマ文明
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注7 – 〈万学の祖〉として、その業績は広範、後世への影響はプラトンと並んで甚大である。学の全分野で今日まで用いられる術語・概念・方法の多くがアリストテレスに発する。
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注8 – 実際に数学者が研究していることからすれば、小・中・高校・大学で学ぶ数学は一段階も二段階も実際の数学からはかけ離れたものだ、という考えを前提にしている。
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注9 – 日本で言う「読み・書き・算術」のこと
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注10 – 原文では”English”。言うまでもなく、アメリカ人にとって「英語」とは日本人にとっての「国語」である。
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注11 – フランスの司教。アリストテレスを研究。経済学の著作もある。
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