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title: ”The Age of the Essays”の翻訳(断片)
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author: kazu634
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date: 2005-08-12
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url: /2005/08/12/_80/
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- つれづれ
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この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、<a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '“The Age of the Essays”');" target="blank">“The Age of the Essays”</a>を翻訳しようと試みた断片である。
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中世の大学はほとんど神学校だったと、しばしば誤って信じられている。ところが実際は、中世の大学はずっと法律学校の性質を帯びていたのだった。少なくとも我々の伝統では、法律家というのは弁護士であり、論争のどちらの側にも立って、出来るだけ筋の通った主張をするように訓練を受ける。この精神が原因・結果のいずれなのかはわからないが、こうした精神は初期の大学に浸透していた。弁論術の研究、つまり説得力ある議論の技術は学部生の三つあるカリキュラムのうちの一つだった。その講義受講後、最もありふれた議論の形式は討論となった。このことは少なくとも、名目上は現代の論文における弁護という形で保たれてきた。ほとんどの人々は論文と博士論文という言葉を交換可能なものとして扱うが、少なくとも本来は、論文というのはある立場から説得力を持たせて書かれるものであり、博士論文というのはその立場を弁護するための議論なのである。<sup>【注1】</sup>
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ある立場を弁護することは法律上の議論では必要悪であるかもしれないが、それは真実へとたどり着く一番の方法ではない。このことを法律家たちは真っ先に認めるであろうと私は思っている。この方法では洞察力を働かせられないだけではない。本当の問題は、問いと変えることが出来ないということにある。
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注1 – 学部の弁論術が、論文の「説得力を持たせて書かれる」に対応し、それ以後の議論が、博士論文の「弁護するための議論」に対応している。
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