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---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳途中
author: kazu634
date: 2005-08-05
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
<p>
<font size="2">この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、</font><a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="_blank"><font size="2">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</font></a><font size="2">を翻訳しようと試みたものである。<br /></font>
</p>
<hr />
<p>
<h2 align="center">
エッセーができてからの年月
</h2>
</p></p>
<p align="right">
2004年9月
</p></p>
<p style="MARGIN-RIGHT: 0px">
 高校で書かなければならなかったエッセーを覚えているかい?導入となる段落、理由を与える段落、結論。結論というのは例えば、『白鯨』<sup>【注1】</sup>に出てくるエイハブはキリストに似た人物だ、というものだ。<br /> うーん。だから、私は別な側面を示そうと思う。つまり、エッセーとは本当はどんなもので、どのように書くのかということについて示していこうと思う。少なくとも、自分がエッセーをどのように書いているのかということについて書こうと思う。
</p></p>
<p>
一番明白な違い
</p></p>
<p>
 本物のエッセーと学校で書かなければならないものとの一番明白な違いは、本物のエッセーは英文学についてだけについてのものだけではないということだ。確かに、学校は生徒達に文章の書き方を教えなければならない。しかし、一連の歴史的出来事のために作文の授業は文学研究と混ざり合ってしまっている。そのためにアメリカ合衆国中で生徒達は、少ない予算しかない野球チームがどのようにしてヤンキースと闘いうるのかとか<sup>【注2】</sup>、ファッションにおける色の役割だとか、何がよいデザートを構成するのかといったことについて書くのではなく、ディキンズ<sup>【注3】</sup>におけるシンボリズムについて書いているのである。<br /> このことにより、作文は退屈で的はずれのように見えざるを得なくなる。誰がディキンズの作品におけるシンボリズムなんか気にするだろうか?ディキンズ本人でさえも、色や野球のことについて書かれたエッセーにずっと興味を持つはずだろう。<br /> どうしてこのようになってしまったのだろうかその質問に答えるためには、ほぼ1000年の時を戻る必要がある。1100年頃に、ヨーロッパはついに何世紀にも及ぶ混乱を終え一息つき始めた。一度知的好奇心という贅沢をし始めると、ヨーロッパの人々は現在我々が「古典」と呼んでいるものを再発見した。その効果は、他の太陽系から来た生物に訪ねられた時のものにとてもよく似ていた。これら初期の文明<sup>【注4】</sup>は非常に高度に洗練されていたので、それ以降の何世紀もの間、ヨーロッパの学者の主な仕事は、ほぼすべての学問領域の中で、古代ギリシア・ローマの人々が知っていたことを吸収することだった。<br /> この期間の中で、古代の書物研究することが権威を得るようになった。書物研究が学者が行っていたことの本質のように思えた。ヨーロッパの学問に弾みがつくにつれて、古代の書物研究は重要ではなくなっていった。1350年までには、化学について学びたいと望んでいた学生は、自分の同時代でアリストテレス<sup>【注5】</sup>よりも良い教師を捜すことができるようなった。<sup>[1]</sup>しかし、学校は学問よりもゆっくりと変化した。19世紀になっても、古代の書物の研究は依然としてカリキュラムの重要な要素であった。
</p>
<p>
<h3 align="center">
原注
</h3>
</p>
<p>
[1] &#8211; 私が念頭に置いているのはオレーム(1325-82)<sup>【注6】</sup>だ。しかし、年代を特定するのは困難だ。理由は、ヨーロッパの人々が古代の科学を吸収するのを終えたまさにその時に学問における急激な衰えが起きたからだ。原因は1347年の疫病かもしれない。というのは、科学上の進歩は人口曲線に符合すしているからだ。
</p>
<p>
<h3 align="center">
訳注
</h3>
</p>
<p>
注1 &#8211; メルビルの小説。Moby Dick。1851年刊。巨大な白鯨モビー・ディックに片足を奪われたエーハブ船長は、復讐のため世界の海を巡り、ついに発見した宿敵とともに海底に沈む。善と悪の対決等、深い象徴性を秘めた叙事詩的大作。発表当時は不評だったが、1920年代以後評価が高まる。<br />注2 &#8211; <a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919', '『マネーボール』');" target="_blank">『マネーボール』</a>)のことを言っているのだと考えられる。<br />注3 &#8211; イギリスの小説家。ビクトリア女王から貧しい庶民の子どもまでが愛読した、19世紀最大の国民的文豪であるばかりでなく、20世紀になっても各国語に翻訳されるうえに、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、ミュージカルなどのメディアにまで浸透している。<br />注4 &#8211; つまり、古代ギリシア・ローマ文明<br />注5 &#8211; 「万学の祖」として、その業績は広範、後世への影響はプラトンと並んで甚大である。学の全分野で今日まで用いられる術語・概念・方法の多くがアリストテレスに発する。<br />注6 &#8211; フランスの司教。アリストテレスを研究。経済学の著作もある。
</p>
</div>

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@ -1,23 +0,0 @@
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title: ”The Age of the Essays”の翻訳途中の追加
author: kazu634
date: 2005-08-05
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categories:
- つれづれ
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<div class="section">
<hr />
<p>
<font size="2">この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、</font><a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="_blank"><font size="2">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</font></a><font size="2">を翻訳しようと試みたものである。<br /></font>
</p>
<hr />
<p>
 次に述べる質問をする時が熟した:古代の書物研究が学問の妥当な研究領域であるのなら、現代の書物も妥当な研究領域ではないのか?それに対する答えは、もちろん、古典を研究する学問のそもそもの存在理由は一種の知的考古学であり、現代の書物の場合になされる必要があるものではない、というものだった。しかし、分かり切った理由から、だれもそうした答えをしようとはしなかった。考古学的な研究がほぼ終わっていたので、古典を研究していた学者達は、時間を無駄にしているというわけではないが、少なくともあまり重要ではない問題に取り組んでいたことになったのである。
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
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title: Yahoo!から乗り換えてみた
author: kazu634
date: 2005-08-05
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
Yahoo!から乗り換えてみた。<br />Yahooは、自分が翻訳しようとしてるエッセーをうまく表示できなかったので。<br />これからはこっちで頑張ってみようと思う。
</p>
</div>

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@ -1,63 +0,0 @@
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title: ”What Business Can Learn from Open Source”を読んで考えたこと
author: kazu634
date: 2005-08-06
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- つれづれ
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<div class="section">
<hr />
<p>
Paul Graham氏によるエッセー、<a href="http://www.paulgraham.com/opensource.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/opensource.html', '&#8220;What Business Can Learn from Open Source&#8221;');" target="blank">&#8220;What Business Can Learn from Open Source&#8221;</a>を読んで船乗りについてや自分が専門とするConradについて考えたことを書いてます。
</p>
<hr />
</p>
<p>
Paul Grahamは次のように述べている。
</p>
<p>
<blockquote>
We&#8217;re funding eight new startups at the moment. A friend asked what they were doing for office space, and seemed surprised when I said we expected them to work out of whatever apartments they found to live in. But we didn&#8217;t propose that to save money. We did it because we want their software to be good. Working in crappy informal spaces is one of the things startups do right without realizing it. As soon as you get into an office, work and life start to drift apart. <br /><i>That is one of the key tenets of professionalism. Work and life are supposed to be separate. But that part, I&#8217;m convinced, is a mistake.</i> (my italics) </p>
</blockquote>
<p>
このprofessionalismという語がキーワードになっているのだろう。professionalismという考えが生まれ発達して行くにつれて、仕事と生活が乖離し始めた、とPaul Grahamは述べている。
</p>
</p></p>
<p>
自分が専門とする<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89', 'Conrad');" target="blank">Conrad</a>という作家は船の世界の大転換期に船乗りとして働いていた。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89', 'Conrad');" target="blank">Conrad</a>は帆船から蒸気船へと船の動力が風から蒸気に変わる中で働き、帆船と蒸気船のどちらにも船員として勤務していた。その<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89', 'Conrad');" target="blank">Conrad</a>は、帆船の方がよいと考えている。理由は、帆船の中で自然に育まれる連帯感・責任感などといった倫理的側面を重視するものだった。つまり、帆船は仕事と生活が重なるものだったのではないだろうか。一つの目的、つまり目的地にたどり着くために、船員は船長の号令のもと協力して働かなければならない。もしも非協力的な態度を取れば、自分の命すらも危ない―そんな環境の中で帆船乗りというものは独自の倫理的価値観を育んできたのだと考えられる。
</p></p>
<p>
そうした生活と仕事が混然と一つになっていた状況に変化をもたらしたものとして蒸気船が考えられはしないだろうか。蒸気船は船乗り達から仕事を奪う。何もしていなくても船は目的地に向かってまっすぐに進む。帆船は風を頼りに進むためにどうしても蛇行しながら目的地に進むのとは対照的だ。船は時間通りに進む、機械的なものへとなった。蒸気機関を動かし続けることができれば船は進む。それ以外のこと、例えば帆を張るだとか、風向きを考えて舵を取るだとかということ、は船乗りの仕事ではなくなった。船乗りの仕事に余暇ができたのである。このことを船乗りの仕事と船上の生活を分離させたと考えられはしないだろうか。少なくとも、帆船乗りよりも多い余暇を汽船乗りは持っていた、と言うことはできる。
</p></p>
<p>
このように生活と仕事が分離し始めると、それまで職人芸のようにして伝達されてきた船乗りとして経験・技が伝達されなくなっていったのではないだろうか。新しい世代の船乗りにとって帆船乗りの経験や技というものは時代遅れのものにしか感じられないだろうから。<sup>【注1】</sup>だが、そうした古い価値観の中にこそ大事なものがあると、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89', 'Conrad');" target="blank">Conrad</a>は述べたいのではないだろうか。そうした大事な価値観を育むことができなかった、古い世代との会話が断絶した若い世代として<i>Lord Jim</i><sup>【注2】</sup>のジムを導入したのではないだろうか。ジムが最後に乗っていた船は汽船であったことも偶然ではないはずだ。
</p>
<hr />
<p>
<center>
</center>
</p>
<ul>
<li>
注1 &#8211; 私はここで、コンピュータにおけるCOBOLプログラマーと新しい世代のプログラマーのことを念頭に置いている
</li>
<li>
注2 &#8211; コンラッドの長編小説。1900年刊。船客を捨てて難破船を逃れた若い航海士ジムは、自分がそのような人間であることを認めることができず、マレーの奥地に隠れ、その土地で最も尊敬される人間になることによって己の過去から逃れようとするが、海賊ブラウンの奸計のために現地人の信頼を裏切る結果になり、潔くみずから死に赴く。自己理想化の美しさとその裏にある自己欺瞞、エゴティズムを語り手マーローによってえぐり出させ、人間の内奥を仮借なく追求した、実存的で、テーマ、手法ともにきわめて現代的な小説。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,187 +0,0 @@
---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳まだまだ途中
author: kazu634
date: 2005-08-07
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categories:
- つれづれ
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<div class="section">
<hr />
<p>
この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、<a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="_blank">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</a>を翻訳しようと試みたものである。
</p>
<hr />
<p>
<center>
</center>
</p>
<p>
<h2>
エッセーができてからの年月
</h2>
</p>
<p align="right">
2004年9月
</p></p>
<p>
 高校で書かなければならなかったエッセー<sup>【注1】</sup>を覚えているかい?導入となる段落、理由を与える段落、結論。結論というのは例えば、『白鯨』<sup>【注2】</sup>に出てくるエイハブはキリストに似た人物だ、というものだ。
</p></p>
<p>
 うーん。だから、私は別な側面を示そうと思う。つまり、エッセーとは本当はどんなもので、どのように書くのかということについて示していこうと思う。少なくとも、自分がエッセーをどのように書いているのかということについて書こうと思う。
</p>
<p>
<center>
</center>
</p>
<p>
<h3>
一番明白な違い
</h3>
</p>
<p>
 本物のエッセーと学校で書かなければならないものとの一番明白な違いは、本物のエッセーは英文学についてだけについてのものだけではないということだ。確かに、学校は生徒達に文章の書き方を教えなければならない。しかし、一連の歴史的出来事のために書くこと<sup>【注3】</sup>の授業は文学研究と混ざり合ってしまっている。そのためにアメリカ合衆国中で生徒達は、少ない予算しかない野球チームがどのようにしてヤンキースと闘いうるのかとか<sup>【注4】</sup>、ファッションにおける色の役割だとか、何がよいデザートを構成するのかといったことについて書くのではなく、ディキンズ<sup>【注5】</sup>におけるシンボリズムについて書いているのである。
</p></p>
<p>
 このことにより、書くことは退屈で的はずれのように見えざるを得なくなる。誰がディキンズの作品におけるシンボリズムなんか気にするだろうか?ディキンズ本人でさえも、色や野球のことについて書かれたエッセーにずっと興味を持つはずだろう。
</p></p>
<p>
 どうしてこのようになってしまったのだろうかその質問に答えるためには、ほぼ1000年の時を戻る必要がある。1100年頃に、ヨーロッパはついに何世紀にも及ぶ混乱を終え一息つき始めた。一度知的好奇心という贅沢をし始めると、ヨーロッパの人々は現在我々が「古典」と呼んでいるものを再発見した。その効果は、他の太陽系から来た生物に訪ねられた時のものにとてもよく似ていた。これら初期の文明<sup>【注6】</sup>は非常に高度に洗練されていたので、それ以降の何世紀もの間、ヨーロッパの学者の主な仕事は、ほぼすべての学問領域の中で、古代ギリシア・ローマの人々が知っていたことを吸収することだった。
</p></p>
<p>
 この期間の中で、古代の書物研究することが権威を得るようになった。書物研究が学者が行っていたことの本質のように思えた。ヨーロッパの学問に弾みがつくにつれて、古代の書物研究は重要ではなくなっていった。1350年までには、化学について学びたいと望んでいた学生は、自分の同時代でアリストテレス<sup>【注7】</sup>よりも良い教師を捜すことができるようなった。<sup>[1]</sup>しかし、学校は学問よりもゆっくりと変化した。19世紀になっても、古代の書物の研究は依然としてカリキュラムの重要な要素であった。
</p></p>
<p>
 次に述べる質問をする時が熟した:古代の書物研究が学問の妥当な研究領域であるのなら、現代の書物も妥当な研究領域ではないのか?それに対する答えは、もちろん、古典を研究する学問のそもそもの存在理由は一種の知的考古学であり、現代の書物の場合になされる必要があるものではない、というものだった。しかし、分かり切った理由から、だれもそうした答えをしようとはしなかった。考古学的な研究がほぼ終わっていたので、古典を研究していた学者達は、時間を無駄にしているというわけではないが、少なくともあまり重要ではない問題に取り組んでいたことになったのである。
</p></p>
<p>
 このようにして現代の文学についての研究が始まった。当初はとても多くの抵抗があった。英文学という学科目における最初の講義は新しい大学で行われたらしい。特にアメリカの大学で、だ。ダートマス大学、ヴァーモント大学、アマースト大学、ユニヴァーシティカレッジが1820年代に英文学を教えた。しかし、ハーヴァード大学では、英文学の教授は1876年までおらず、オックスフォード大学では1885年までいなかったオックスフォード大学では、英文学の教授職を設けるよりも前に、中国についての教授職を設けていた<sup>[2]</sup>
</p></p>
<p>
 少なくともアメリカにおいて状況を決めてしまったのは、教授は研究だけでなく、教育も行うべきだとする考えであったように思える。この考えは博士号、学部・学科、そして近代的大学という概念とともに19世紀の後半にドイツから入ってきた。この新しい大学のモデルがジョンズ・ホプキンズ大学で1876年に採用されると、急速にアメリカ中に広まっていった。
</p></p>
<p>
 書くことは偶然の作物の一つだった。大学は長く文の構成法を教えてきた。しかし、文章の構成をどのように研究することができるだろうか?数学を教える教授には、もともとの数学<sup>【注8】</sup>を研究するように求めることができるし、歴史を教える教授には歴史についての学術的な論文を書くように求めることができる。しかし、修辞や文の構成法を教える教授には何を求めればいいのだろうか?そうした教授は何について研究するべきなのだろうか?最も関連性がある学問領域は英文学であるように思える。<sup>[3]</sup>
</p></p>
<p>
 このようにして19世紀後半に、書くことについての講義は英文学の教授により受け継がれていた。このことには二つの欠点があった。一つ目は、美術史研究者がよい芸術作品をつくることができなければならないことより以上の必然性はあるものの、文学についての専門家は良い文章を書ける必要がないという欠点だ。二つ目は、英文学の教授が興味があるものが文学であるから、書くテーマが文学についてのものになりがちになってしまうという欠点だ。
</p></p>
<p>
 高校は大学を模倣した。高校での惨めな体験の種は1892年に蒔かれた。その年に、全米教育協会は「公式に文学と文章構成法が高校の教育課程に統合するように薦めた」。<sup>[4]</sup>基礎学科<sup>【注9】</sup>のうちの書くという要素が国語<sup>【注10】</sup>という学科目に変わったのである。その奇妙な結果として、高校生達はいま英文学について書かなければならなくなっている。認識することさえなく、高校生達は英文学の教授が数十年前に雑誌に投稿した論文を模倣したものを、書かなければいけないのである。
</p></p>
<p>
 このことが当の生徒達にとって的はずれな課題に見えたとしても、驚くべきではない。理由は、私たちは今や実際に行われていることから三段階も離れていることになるからである。生徒達は英文学の教授を模倣し、英文学の教授は古典を研究する学者を模倣し、古典を研究する学者は、700年前には魅力的で緊急に必要とされる仕事であったものから生じた伝統の単なる後継者に過ぎない。
</p>
<p>
<center>
</center>
</p>
<hr />
</p>
<p>
<center>
</center>
</p>
<p>
<h3>
原注
</h3>
</p>
<ul>
<li>
[1] &#8211; 私が念頭に置いているのはオレーム(1325-82)<sup>【注11】</sup>だ。しかし、年代を特定するのは困難だ。理由は、ヨーロッパの人々が古代の科学を吸収するのを終えたまさにその時に学問における急激な衰えが起きたからだ。原因は1347年の疫病かもしれない。というのは、科学上の進歩は人口曲線に符合すしているからだ。
</li>
<li>
[2] &#8211; 以下の文献を参照せよ。 <ul>
<li>
Parker, William R. &#8220;Where Do College English Departments Come From?&#8221; College English 28 (1966-67), pp. 339-351. Reprinted in Gray, Donald J. (ed). The Department of English at Indiana University Bloomington 1868-1970. Indiana University Publications.
</li>
<li>
Daniels, Robert V. <i>The University of Vermont: The First Two Hundred Years</i>. University of Vermont, 1991.
</li>
<li>
Mueller, Friedrich M. <i>Letter to the Pall Mall Gazette</i>. 1886/87. Reprinted in Bacon, Alan (ed). The Nineteenth-Century History of English Studies. Ashgate, 1998.
</li>
</ul>
</li>
<li>
[3] &#8211;
</li>
<li>
[4] &#8211;
</li>
</ul></p>
<hr />
</p>
<p>
<h3 align="center">
訳注
</h3>
</p>
<ul>
<li>
注1 &#8211; 英語の&#8221;essay&#8221;は日本語の作文とは異なり、ある主張を理由を添えて主張するという形式を取る。日本の作文とは別のもので、日本の高校では小論文などと言われ区別されている。
</li>
<li>
注2 &#8211; メルビルの小説。Moby Dick。1851年刊。巨大な白鯨モビー・ディックに片足を奪われたエーハブ船長は、復讐のため世界の海を巡り、ついに発見した宿敵とともに海底に沈む。善と悪の対決等、深い象徴性を秘めた叙事詩的大作。発表当時は不評だったが、1920年代以後評価が高まる。
</li>
<li>
注3 &#8211; 原文では&#8221;writing&#8221;(「書くこと」)・&#8221;essay&#8221;(「エッセー」)・&#8221;English composition&#8221;(「文の構成法」)と使い分けられている
</li>
<li>
注4 &#8211;<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919', 'マネーボール');" target="blank">マネーボール</a>』のことを言っているのだと考えられる。
</li>
<li>
注5 &#8211; イギリスの小説家。ビクトリア女王から貧しい庶民の子どもまでが愛読した、19世紀最大の国民的文豪であるばかりでなく、20世紀になっても各国語に翻訳されるうえに、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、ミュージカルなどのメディアにまで浸透している。
</li>
<li>
注6 &#8211; つまり、古代ギリシア・ローマ文明
</li>
<li>
注7 &#8211; 〈万学の祖〉として、その業績は広範、後世への影響はプラトンと並んで甚大である。学の全分野で今日まで用いられる術語・概念・方法の多くがアリストテレスに発する。
</li>
<li>
注8 &#8211; 実際に数学者が研究していることからすれば、小・中・高校・大学で学ぶ数学は一段階も二段階も実際の数学からはかけ離れたものだ、という考えを前提にしている。
</li>
<li>
注9 &#8211; 日本で言う「読み・書き・算術」のこと
</li>
<li>
注10 &#8211; 原文では&#8221;English&#8221;。言うまでもなく、アメリカ人にとって「英語」とは日本人にとっての「国語」である。
</li>
<li>
注11 &#8211; フランスの司教。アリストテレスを研究。経済学の著作もある。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: The Shadow-LineとStar Wars III(Yahoo!からの移植)
author: kazu634
date: 2005-08-07
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
いま、Conradの<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0140180974/qid=1122743679/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0140180974/qid=1122743679/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0170639-2669919', 'The Shadow Line');" target="_blank"><em>The Shadow Line</em></a>を読んでいる。これを読み始める直前に<em>Star Wars Episode III</em>を観てきたのだが、共通点が多いような気がする。「若者の弱さ」というものをどちらとも描き出そうとしているように思えるからだ。<br />Conradはこれを書いたときは晩年で、老水夫と言っても差し支えのない年齢だった。そのような人が、語り手を通して若者が大人になるときに超えるshadow-lineについて語っているのがこの作品ということになるのだろうか<br />このような主題は、スターウォーズでは同年代の視点から眺めることができたように思う(私がアナキンとほぼ同年代だったからというのもあるのだろうが)。<br />こうした視点の違いはあるものの、両者は迷う若者の姿を現しているという点で非常ににているような感想を抱いた。
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
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title: コンタクトに変えてみたYahoo!からの移植)
author: kazu634
date: 2005-08-07
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
これはすごい。司会が全然違うことに気付く。色がはっきりと見えて、自分の目ではないようだった。<br />まだまだ、消毒液とかの扱いに離れてないので、目に入れると消毒液が残っていて「痛てて」みたいなことも多いが、これだけ視界が広くなるんだったら、まぁいいか。<br />ちなみにコンタクトは「<a href="http://www.bausch.co.jp/medalist/product/2week/medalist2.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.bausch.co.jp/medalist/product/2week/medalist2.html', 'メダリスト?');" target="_blank">メダリスト?</a>」で、二週間使い捨てのやつ。
</p>
</div>

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@ -1,46 +0,0 @@
---
title: 主観的なものの見方について
author: kazu634
date: 2005-08-07
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- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
<p>
O田くんの所で哲学的な話が掲載されていたので、トラックバックの練習がてらコメントしてみようかと思いました。
</p>
<hr />
</p>
<p>
O田 wrote:
</p>
<p>
<blockquote>
この思いこみを哲学者のフッサールは現信憑とよんだ。 また、思いこみから脱却することをエポケーと言う。 正しい認識は、複数人の思いこみの共有によって成り立つのだ。<br />何が言いたいかと言うと、自分が正しいとか間違っているとか思っていることが、実は単なる思いこみで、他の人にとっては全く逆の意味で取られてしまうかもしれない。 そう言った間違いを防ぐためには、相手を知り、己を知ること、そして考えを共有することが大事なんだってこと! </p>
</blockquote>
<p>
こうした考えの背景には、ニーチェなどの思想の影響が伺える。というのも、ニーチェは神というヨーロッパ的な世界観からすれば絶対的とされる存在を否定しているからだ。何が正しいのかという絶対的な価値基準は存在しない、ということをニーチェらによる神の否定は含意していると考えることができる。こうしたことから、ニーチェは『道徳の系譜学』などという書物で系譜学というものを始める。絶対的に正しい価値観が存在しないという立場に立った以上、「道徳とはなぜ現在の形になっているのか?」という疑問が自然に生じ、それに答えようと試みたのである。
</p>
</p></p>
<p>
また、こうしたフッサール的な世界観というものは、当時の科学の危機というものとも大きな影響を受けている。数学に置いては、数学の基礎をなす整数論に矛盾が見つかった。物理学に置いては、アインシュタインが絶対とされていたニュートン力学よりもよりよい説明を与えた。数学や物理といった、永遠不滅と考えられていた学問の基礎がグラグラし始めた時代なのである。
</p></p>
<p>
文学に置いても、同時代的に全知全能の語り手omniscent narratorから情報を制約された語り手へと、語り手が変化していく過渡期にあった。つまり、三人称で何でも知っている語り手から、知っている情報の限られた、あるいは非常にバイアスのかかった解釈を施す語り手が物語るという形式の物語が生まれつつあったのである。これは非常に重要な動きではあったが、人間が実際に行っている語るという行為により似せた小説というものが生み出されつつあった、ということなのだろうか。
</p></p>
<p>
あぁ、後、O田くんが書いていることは談話分析(Discourse Analysis)と呼ばれる学問領域の基本的なアプローチとされているかな。
</p>
</div>

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@ -1,178 +0,0 @@
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title: ”The Age of the Essays”の翻訳まだまだ途中・訂正
author: kazu634
date: 2005-08-09
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
<p>
この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、&#8221;The Age of the Essays&#8221;を翻訳しようと試みたものである。
</p>
<hr />
<p>
</p></p>
<p>
<h1 align="center">
エッセーができてからの年月
</h1>
</p>
<p align="right">
2004年9月
</p></p>
<p>
 高校で書かなければならなかったエッセー<sup>【注1】</sup>を覚えているかい?導入となる段落、理由を与える段落、結論。結論というのは例えば、『白鯨』<sup>【注2】</sup>に出てくるエイハブはキリストに似た人物だ、というものだ。
</p></p>
<p>
 うーん。だから、私は別な側面を示そうと思う。つまり、エッセーとは本当はどんなもので、どのように書くのかということについて示していこうと思う。少なくとも、自分がエッセーをどのように書いているのかということについて書こうと思う。
</p>
<p>
<h3 align="center">
一番明白な違い
</h3>
</p>
<p>
 本物のエッセーと学校で書かなければならないものとの一番明白な違いは、本物のエッセーは英文学についてだけものではないということだ。確かに、学校は生徒達に文章の書き方を教えなければならない。しかし、一連の歴史的出来事のために書くこと<sup>【注3】</sup>の授業は文学研究と混ざり合ってしまっている。そのためにアメリカ合衆国中で生徒達は、少ない予算しかない野球チームがどのようにしてヤンキースと闘いうるのかとか<sup>【注4】</sup>、ファッションにおける色の役割だとか、何がよいデザートを構成するのかといったことについて書くのではなく、ディキンズ<sup>【注5】</sup>におけるシンボリズムについて書いているのである。
</p></p>
<p>
 このことにより、書くことは退屈で的はずれのように見えざるを得なくなる。誰がディキンズの作品におけるシンボリズムなんか気にするだろうか?ディキンズ本人でさえも、色や野球のことについて書かれたエッセーにずっと興味を持つはずだろう。
</p></p>
<p>
 どうしてこのようになってしまったのだろうかその質問に答えるためには、ほぼ1000年の時を戻る必要がある。1100年頃に、ヨーロッパはついに何世紀にも及ぶ混乱を終え一息つき始めた。一度知的好奇心という贅沢をし始めると、ヨーロッパの人々は現在我々が「古典」と呼んでいるものを再発見した。その効果は、他の太陽系から来た生物に訪ねられた時のものにとてもよく似ていた。これら初期の文明<sup>【注6】</sup>はとても高度に洗練されていたので、それ以降の何世紀もの間ヨーロッパの学者の主な仕事は、ほぼすべての学問領域の中で古代ギリシア・ローマの人々が知っていたことを吸収することになったのである。
</p></p>
<p>
 この期間中、古代の書物を研究することが権威を得るようになった。書物研究が学者が行っていたことの本質のように思えた。ヨーロッパの学問に弾みがつくにつれて、古代の書物研究は重要ではなくなっていった。1350年までには、科学について学びたいと望んでいた学生は、自分の同時代でアリストテレス<sup>【注7】</sup>よりも良い教師を捜すことができるようなった。<sup>[1]</sup>しかし、学校は学問よりもゆっくりと変化した。19世紀になっても、古代の書物の研究は依然としてカリキュラムの重要な要素であった。
</p></p>
<p>
 次に述べる質問をする時が熟した:古代の書物研究が学問の妥当な研究領域であるのなら、現代の書物も妥当な研究領域ではないのか?それに対する答えは、もちろん、古典を研究する学問のそもそもの存在理由は一種の知的考古学であり、現代の書物の場合になされる必要があるものではない、というものだった。しかし、分かり切った理由から、だれもそうした答えをしようとはしなかった。考古学的な研究がほぼ終わっていたので、古典を研究していた学者達は、時間を無駄にしているというわけではないが、少なくともあまり重要ではない問題に取り組んでいたからである。
</p></p>
<p>
 このようにして現代の文学についての研究が始まった。当初はとても多くの抵抗があった。英文学という学科目における最初の講義は新しい大学で行われたらしい。特にアメリカの大学で、だ。ダートマス大学、ヴァーモント大学、アマースト大学、ユニヴァーシティカレッジが1820年代に英文学を教えた。しかし、ハーヴァード大学では、英文学の教授は1876年までおらず、オックスフォード大学では1885年までいなかったオックスフォード大学では、英文学の教授職を設けるよりも前に、中国についての教授職を設けていた<sup>[2]</sup>
</p></p>
<p>
 少なくともアメリカにおいて状況を決めてしまったのは、教授は研究だけでなく、教育も行うべきだとする考えであったように思える。この考えは博士号、学部・学科、そして近代的大学という概念とともに19世紀の後半にドイツから入ってきた。この新しい大学のモデルがジョンズ・ホプキンズ大学で1876年に採用されると、急速にアメリカ中に広まっていった。
</p></p>
<p>
 書くことは偶然の産物の一つだった。大学は長く文の構成法を教えてきた。しかし、文章の構成をどのように研究することができるだろうか?数学を教える教授には、もともとの数学<sup>【注8】</sup>を研究するように求めることができるし、歴史を教える教授には歴史についての学術的な論文を書くように求めることができる。しかし、修辞や文の構成法を教える教授には何を求めればいいのだろうか?そうした教授は何について研究するべきなのだろうか?最も関連性がある学問領域は英文学であるように思える。<sup>[3]</sup>
</p></p>
<p>
 このようにして19世紀後半に、書くことについての講義は英文学の教授により受け継がれていた。このことには二つの欠点があった。一つ目は、美術史研究者がよい芸術作品をつくることができなければならないことよりも多くの必然性はあるものの、文学についての専門家は良い文章を書ける必要がないということだ。二つ目は、英文学の教授が興味があるものが文学であるから、書くテーマが文学についてのものになりがちになってしまうということだ。
</p></p>
<p>
 高校は大学を模倣した。高校での惨めな体験の種は1892年に蒔かれた。その年に、全米教育協会は「公式に文学と文章構成法が高校の教育課程に統合するように薦めた」。<sup>[4]</sup>基礎学科<sup>【注9】</sup>のうちの書くという要素が国語<sup>【注10】</sup>という学科目に変わったのである。その奇妙な結果として、高校生達はいま英文学について書かなければならなくなっている。認識することさえなく、英文学の教授が数十年前に雑誌に投稿した論文を模倣したものを、高校生達は書かなければいけないのである。
</p></p>
<p>
 このことが当の生徒達にとって的はずれな課題に見えたとしても、驚くべきではない。理由は、私たちは今や実際に行われていることから三段階も離れていることになるからである。生徒達は英文学の教授を模倣し、英文学の教授は古典を研究する学者を模倣し、古典を研究する学者は、700年前には魅力的で緊急に必要とされる仕事であったものから生じた伝統を単に受け継いでいるに過ぎないのである。
</p>
<p>
<h3 align="center">
擁護をしない
</h3>
</p>
<p>
 本当のエッセーと学校で書かせられるものとの間の他の大きな違いは、本物のエッセーはある意見を主張し、そうしてからその意見を擁護するということをしないことだ。{その原則は、文学について書かなければならないという考えに似て、長く忘れられてきたエッセーの出自の知的名残りであることがわかる。}
</p></p>
<hr />
</p>
<p>
<h3 align="center">
 原注
</h3>
</p>
<ul>
<li>
[1] &#8211; 私が念頭に置いているのはオレーム(1325-82)<sup>【注11】</sup>だ。しかし、年代を特定するのは困難だ。理由は、ヨーロッパの人々が古代の科学を吸収するのを終えたまさにその時に学問における急激な衰えが起きたからだ。原因は1347年の疫病かもしれない。というのは、科学上の進歩は人口曲線に符合しているからだ。
</li>
<li>
[2] &#8211; 以下の文献を参照せよ。 <ul>
<li>
Parker, William R. &#8220;Where Do College English Departments Come From?&#8221; College English 28 (1966-67), pp. 339-351. Reprinted in Gray, Donald J. (ed). The Department of English at Indiana University Bloomington 1868-1970. Indiana University Publications.
</li>
<li>
Daniels, Robert V. <i>The University of Vermont: The First Two Hundred Years</i>. University of Vermont, 1991.
</li>
<li>
Mueller, Friedrich M. <i>Letter to the Pall Mall Gazette</i>. 1886/87. Reprinted in Bacon, Alan (ed). The Nineteenth-Century History of English Studies. Ashgate, 1998.
</li>
</ul>
</li>
<li>
[3] &#8211;
</li>
<li>
[4] &#8211;
</li>
</ul></p>
<hr />
</p>
<ul>
<h3 align="center">
訳注
</h3>
<li>
注1 &#8211; 英語の&#8221;essay&#8221;は日本語の作文とは異なり、ある主張を理由を添えて主張するという形式を取る。日本の作文とは別のもので、日本の高校では小論文などと言われ区別されている。
</li>
<li>
注2 &#8211; メルビルの小説。Moby Dick。1851年刊。巨大な白鯨モビー・ディックに片足を奪われたエーハブ船長は、復讐のため世界の海を巡り、ついに発見した宿敵とともに海底に沈む。善と悪の対決等、深い象徴性を秘めた叙事詩的大作。発表当時は不評だったが、1920年代以後評価が高まる。
</li>
<li>
注3 &#8211; 原文では&#8221;writing&#8221;(「書くこと」)・&#8221;essay&#8221;(「エッセー」)・&#8221;English composition&#8221;(「文の構成法」)と使い分けられている
</li>
<li>
注4 &#8211; 『マネーボール』(<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919');" target="_blank">https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919</a>)のことを言っているのだと考えられる。
</li>
<li>
注5 &#8211; イギリスの小説家。ビクトリア女王から貧しい庶民の子どもまでが愛読した、19世紀最大の国民的文豪であるばかりでなく、20世紀になっても各国語に翻訳されるうえに、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、ミュージカルなどのメディアにまで浸透している。
</li>
<li>
注6 &#8211; つまり、古代ギリシア・ローマ文明
</li>
<li>
注7 &#8211; 〈万学の祖〉として、その業績は広範、後世への影響はプラトンと並んで甚大である。学の全分野で今日まで用いられる術語・概念・方法の多くがアリストテレスに発する。
</li>
<li>
注8 &#8211; 実際に数学者が研究していることからすれば、小・中・高校・大学で学ぶ数学は一段階も二段階も実際の数学からはかけ離れたものだ、という考えを前提にしている。
</li>
<li>
注9 &#8211; 日本で言う「読み・書き・算術」のこと
</li>
<li>
注10 &#8211; 原文では&#8221;English&#8221;。言うまでもなく、アメリカ人にとって「英語」とは日本人にとっての「国語」である。
</li>
<li>
注11 &#8211; フランスの司教。アリストテレスを研究。経済学の著作もある。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 仮免
author: kazu634
date: 2005-08-09
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<div class="section">
<p>
同僚のO田くんが、今日仮免を取ったらしい。年生になって、この時期からの教習所通いは大変かもしれないが頑張っているようだ。………というか、順調すぎてつまらないから、どこかで面白いことが起きないかな。
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 星の王子さま
author: kazu634
date: 2005-08-09
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<div class="section">
<p>
夏休みはどう過ごそうかしら。18切符を買って、どこかにさすらうのもいいかもしれないと考える今日このごろ。確か、この前新聞で<a href="http://hoshinooujisama.jp/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://hoshinooujisama.jp/', '星の王子さまのミュージカル公演');" target="blank">星の王子さまのミュージカル公演</a>をやるという記事があったはずだから、それを観に行くことを目標に移動しようかしら…
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: The Zahir
author: kazu634
date: 2005-08-09
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
Paulo CoElhoの最新作<i><a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0007204310/qid=1123517448/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0007204310/qid=1123517448/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-0170639-2669919', 'The Zahir');" target="blank">The Zahir</a></i>を今日、丸善で見つけた。買いたかったが、お金がない…お金を握りしめて、明日買ってこよう♪
</p>
</div>

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@ -1,33 +0,0 @@
---
title: がんばっていきましょい
author: kazu634
date: 2005-08-10
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---
<div class="section">
<p>
今日「<a href="http://www.ktv.co.jp/shoi/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.ktv.co.jp/shoi/', 'がんばっていきましょい');" target="blank">がんばっていきましょい</a>」を観ていたら、このドラマは<i><a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search/249-0170639-2669919?mode=blended&encoding-string-jp=%93%FA%96%7B%8C%EA&keyword=%88%C5%82%CC%89%9C" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/external-search/249-0170639-2669919?mode=blended&encoding-string-jp=%93%FA%96%7B%8C%EA&keyword=%88%C5%82%CC%89%9C', 'Heart of Darkness');" target="blank">Heart of Darkness</a></i><sup>【注1】</sup>と同じくframe-story<sup>【注2】</sup>であることがわかった。高校生だった昔を物語る登場人物と、それを聞く登場人物。そして物語が主に描写するのは、高校生だった過去の話。これこそ典型的なframe-storyだ
</p></p>
<hr />
</p>
<p>
<h2 align="center">
</h2>
</p>
<ul>
<li>
注1 &#8211; イギリスの作家コンラッドの中編小説。1899年刊。マーロウ船長が、アフリカの奥地を訪ねたときの経験を語る、という形で書かれている。地図を見て暗黒世界の魅力に抗しきれず、コンゴ川をさかのぼった彼が現地で見たものは、人間性の暗黒だった。交易と称して実は支配と搾取を続けながら、自らも精神的に荒廃してゆく白人たち。とくに興味をひき強烈な印象を与えるのは、クルツという人物である。彼は現地人たちに神のごとく畏敬(いけい)され、象牙(ぞうげ)の収奪に狂気じみた執念を燃やす男であり、その最期をみとったマーロウは、巨大な空虚を感じて慄然(りつぜん)とする。異様な雰囲気とともに人間性の恐るべき深淵(しんえん)を象徴的に描いた名作。
</li>
<li>
注2 &#8211; 一つの物語の中に複数の物語を含む小説形式。複数の話者が次々と語る短編の集成として全編が構成されるものをさすが、話者が交替しない《千夜一夜物語》なども枠物語と呼ばれる。西洋では、この形式はルネサンス期の文学に多くみられ、口承文芸から文字文芸への移行や、俗語の散文による小説の成立を示唆するものとして文学史上注目される。その典型的なものはボッカッチョの《デカメロン》で、ペストを避けて郊外の別荘に落ちあった10人の男女が交替で司会役をつとめ、残りの9人が順次物語るという形式のもとに、教訓譚、ロマンス、滑稽譚、艶笑譚等々、多様な短編が集められている。チョーサーの《カンタベリー物語》、マルグリット・ド・ナバールの《エプタメロン》もその好例である。また、ストラパローラの《愛しき夜毎》やバジーレの《お話のお話》はこの形式によって、後世に貴重な民話の集大成をもたらした。近代にもゲーテをはじめ、ケラー、ホフマン、スティーブンソンらの作品に、この形式をとったものがあるが、代表作《カルメン》がそうであるように、とくにメリメはこれを得意とした。枠物語の形式は西欧文学にのみみられるものではなく、物語文学を持つ諸民族の文学に共通に存在するといえよう。日本でも中世の説話や御伽草子などにこの形式がみられるが、たとえば室町期の小説《三人法師》は3人の高野聖のそれぞれの発心譚によって全体が構成される、枠物語のすぐれた小品である。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,23 +0,0 @@
---
title: はじめての公道での運転
author: kazu634
date: 2005-08-10
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
O田くん wrote:
</p>
<p>
<blockquote>
昨日仮免をゲットし、今日は初の路上講習にいってきました。 あっち見たりこっち見たりと大変で、一時間だけなのにかなり疲れてしまいました。 いや~運転って大変だね。</p>
</blockquote>
<p>
公道にでて初めての運転か。大変だったなぁ。今だと少しは慣れてきた感じだけれど、ギアチェンジと周囲の確認で精一杯だった気がする。なにはともあれ頑張ってほしいものだ。がんばれO田くん
</p></div>

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@ -1,33 +0,0 @@
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title: The Zahir
author: kazu634
date: 2005-08-10
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
Paulo CoElhoの<i>The Zahir</i>を購入した。zahirというのは、
</p>
<p>
<blockquote>
According to the write Jorge Luis Borges, the idea of the Zahir comes from Islamic tradition and is thought to have arisen at some point in the eighteenth century. <i>Zahir</i>, in Arabic, means visible, present, incapable of going unnoticed. It is someone or something which, once we have come into contact with them or it, gradually occupies our every tought, until we can think of nothing else. This can be considered either a state of holiness or of madness. </p>
</blockquote>
<p>
だそうだ。つまり、「見えて、確かに存在し、どうしても気付かれてしまうもの。常にそのことを考えてしまい、それ以外何も考えられなくなってしまうもの。神聖さとか狂気の状態のどちらかだと考えられうるもの」だそうだ。これからどんな話が展開していくのだろうか。
</p>
</p></p>
<p>
ちなみに、このPaulo CoElhoという人は、<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/404275001X/qid=1123600796/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/404275001X/qid=1123600796/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0170639-2669919', '『アルケミスト』');" target="_blank">『アルケミスト』</a>を書いている人として世界的に有名な人物。この『アルケミスト』は「現代の古典」という評価を得ていて、現代版『星の王子さま』と考えられている。
</p></p>
<p>
今度研究室に置いておくので、読んでみてくださいな>W坪くん
</p>
</div>

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@ -1,36 +0,0 @@
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title: ”The Age of the Essays”の翻訳断片
author: kazu634
date: 2005-08-12
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
<p>
この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、<a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="blank">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</a>を翻訳しようと試みた断片である。
</p>
<hr />
</p>
<p>
 中世の大学はほとんど神学校だったと、しばしば誤って信じられている。ところが実際は、中世の大学はずっと法律学校の性質を帯びていたのだった。少なくとも我々の伝統では、法律家というのは弁護士であり、論争のどちらの側にも立って、出来るだけ筋の通った主張をするように訓練を受ける。この精神が原因・結果のいずれなのかはわからないが、こうした精神は初期の大学に浸透していた。弁論術の研究、つまり説得力ある議論の技術は学部生の三つあるカリキュラムのうちの一つだった。その講義受講後、最もありふれた議論の形式は討論となった。このことは少なくとも、名目上は現代の論文における弁護という形で保たれてきた。ほとんどの人々は論文と博士論文という言葉を交換可能なものとして扱うが、少なくとも本来は、論文というのはある立場から説得力を持たせて書かれるものであり、博士論文というのはその立場を弁護するための議論なのである。<sup>【注1】</sup>
</p></p>
<p>
 ある立場を弁護することは法律上の議論では必要悪であるかもしれないが、それは真実へとたどり着く一番の方法ではない。このことを法律家たちは真っ先に認めるであろうと私は思っている。この方法では洞察力を働かせられないだけではない。本当の問題は、問いと変えることが出来ないということにある。
</p>
<hr />
<ul>
<li>
注1 &#8211; 学部の弁論術が、論文の「説得力を持たせて書かれる」に対応し、それ以後の議論が、博士論文の「弁護するための議論」に対応している。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 中国から
author: kazu634
date: 2005-08-12
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/9/c/9cbe35b5.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/9/c/9cbe35b5.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" align="left" alt="book_from_chinese" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/9/c/9cbe35b5-s.jpg" class="pict" height="120" border="0" /></a>荷物が届いた。何事が起きたのかパニくる自分。中国人の知り合いは一人しかいないが、宛先はきっちり英語で書いてある。知り合いの人からの荷物ではなさそうだ…では誰だ?そんなこと考えながら開けたら、注文していた本だった。どうやら、値段が安い奴を探して注文したら、中国版を注文してしまっていたらしい。とりあえず、前書きだけ中国語で中身は英語だったから、なんとかなるかなぁ、と。
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 健康診断に行ってきた。
author: kazu634
date: 2005-08-12
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
健康診断に行ってきました。結構、色々とやばいです。不整脈だとか、色盲だとか、慢性気管支炎の疑いが…などと色々と言われてきました。不整脈と色盲は、とりあえず大丈夫みたいなんですが、慢性気管支炎は治しに行かないと…。そういえば、ここ一年ぐらい咳することが多かったっけなぁ…
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 病院に行ってきた。
author: kazu634
date: 2005-08-13
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
病院に行ってきました。慢性気管支炎の疑いがあるなんて言われたから、結構ビクビクしていたのですが、結局何でもありませんでした!とりあえず、よかったです。
</p>
</div>

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@ -1,284 +0,0 @@
---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳まだまだ途中
author: kazu634
date: 2005-08-13
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- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
</p>
<p>
この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、<a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="blank">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</a>を翻訳しようと試みた断片である。
</p></p>
<p>
ようやく本題に入ってきたので、とても訳すのが楽しくなってきました。これで全体の半分超えたぐらいです。
</p>
<hr />
<p>
<h1 align="center">
エッセーができてからの年月
</h1>
</p>
<p align="right">
2004年9月
</p></p>
<p>
 高校で書かなければならなかったエッセー<sup>【注1】</sup>を覚えているかい?導入となる段落、理由を与える段落、結論。結論というのは例えば、『白鯨』<sup>【注2】</sup>に出てくるエイハブはキリストに似た人物だ、というものだ。
</p></p>
<p>
 うーん。だから、私は別な側面を示そうと思う。つまり、エッセーとは本当はどんなもので、どのように書くのかということについて示していこうと思う。少なくとも、自分がエッセーをどのように書いているのかということについて書こうと思う。
</p>
<p>
<h2 align="center">
一番明白な違い
</h2>
</p>
<p>
 本物のエッセーと学校で書かなければならないものとの一番明白な違いは、本物のエッセーは英文学についてだけものではないということだ。確かに、学校は生徒達に文章の書き方を教えなければならない。しかし、一連の歴史的出来事のために書くこと<sup>【注3】</sup>の授業は文学研究と混ざり合ってしまっている。そのためにアメリカ合衆国中で生徒達は、少ない予算しかない野球チームがどのようにしてヤンキースと闘いうるのかとか<sup>【注4】</sup>、ファッションにおける色の役割だとか、何がよいデザートを構成するのかといったことについて書くのではなく、ディキンズ<sup>【注5】</sup>におけるシンボリズムについて書いているのである。
</p></p>
<p>
 このことにより、書くことは退屈で的はずれのように見えざるを得なくなる。誰がディキンズの作品におけるシンボリズムなんか気にするだろうか?ディキンズ本人でさえも、色や野球のことについて書かれたエッセーにずっと興味を持つはずだろう。
</p></p>
<p>
 どうしてこのようになってしまったのだろうかその質問に答えるためには、ほぼ1000年の時を戻る必要がある。1100年頃に、ヨーロッパはついに何世紀にも及ぶ混乱を終え一息つき始めた。一度知的好奇心という贅沢をし始めると、ヨーロッパの人々は現在我々が「古典」と呼んでいるものを再発見した。その効果は、他の太陽系から来た生物に訪ねられた時のものにとてもよく似ていた。これら初期の文明<sup>【注6】</sup>はとても高度に洗練されていたので、それ以降の何世紀もの間ヨーロッパの学者の主な仕事は、ほぼすべての学問領域の中で古代ギリシア・ローマの人々が知っていたことを吸収することになったのである。
</p></p>
<p>
 この期間中、古代の書物を研究することが権威を得るようになった。書物研究が学者が行っていたことの本質のように思えた。ヨーロッパの学問に弾みがつくにつれて、古代の書物研究は重要ではなくなっていった。1350年までには、科学について学びたいと望んでいた学生は、自分の同時代でアリストテレス<sup>【注7】</sup>よりも良い教師を捜すことができるようなった。<sup>[1]</sup>しかし、学校は学問よりもゆっくりと変化した。19世紀になっても、古代の書物の研究は依然としてカリキュラムの重要な要素であった。
</p></p>
<p>
 次に述べる質問をする時が熟した:古代の書物研究が学問の妥当な研究領域であるのなら、現代の書物も妥当な研究領域ではないのか?それに対する答えは、もちろん、古典を研究する学問のそもそもの存在理由は一種の知的考古学であり、現代の書物の場合になされる必要があるものではない、というものだった。しかし、分かり切った理由から、だれもそうした答えをしようとはしなかった。考古学的な研究がほぼ終わっていたので、古典を研究していた学者達は、時間を無駄にしているというわけではないが、少なくともあまり重要ではない問題に取り組んでいたからである。
</p></p>
<p>
 このようにして現代の文学についての研究が始まった。当初はとても多くの抵抗があった。英文学という学科目における最初の講義は新しい大学で行われたらしい。特にアメリカの大学で、だ。ダートマス大学、ヴァーモント大学、アマースト大学、ユニヴァーシティカレッジが1820年代に英文学を教えた。しかし、ハーヴァード大学では、英文学の教授は1876年までおらず、オックスフォード大学では1885年までいなかったオックスフォード大学では、英文学の教授職を設けるよりも前に、中国についての教授職を設けていた<sup>[2]</sup>
</p></p>
<p>
 少なくともアメリカにおいて状況を決めてしまったのは、教授は研究だけでなく、教育も行うべきだとする考えであったように思える。この考えは博士号、学部・学科、そして近代的大学という概念とともに19世紀の後半にドイツから入ってきた。この新しい大学のモデルがジョンズ・ホプキンズ大学で1876年に採用されると、急速にアメリカ中に広まっていった。
</p></p>
<p>
 書くことは偶然の産物の一つだった。大学は長く文の構成法を教えてきた。しかし、文章の構成をどのように研究することができるだろうか?数学を教える教授には、もともとの数学<sup>【注8】</sup>を研究するように求めることができるし、歴史を教える教授には歴史についての学術的な論文を書くように求めることができる。しかし、修辞や文の構成法を教える教授には何を求めればいいのだろうか?そうした教授は何について研究するべきなのだろうか?最も関連性がある学問領域は英文学であるように思える。<sup>[3]</sup>
</p></p>
<p>
 このようにして19世紀後半に、書くことについての講義は英文学の教授により受け継がれていた。このことには二つの欠点があった。一つ目は、美術史研究者がよい芸術作品をつくることができなければならないことよりも多くの必然性はあるものの、文学についての専門家は良い文章を書ける必要がないということだ。二つ目は、英文学の教授が興味があるものが文学であるから、書くテーマが文学についてのものになりがちになってしまうということだ。
</p></p>
<p>
 高校は大学を模倣した。高校での惨めな体験の種は1892年に蒔かれた。その年に、全米教育協会は「公式に文学と文章構成法が高校の教育課程に統合するように薦めた」。<sup>[4]</sup>基礎学科<sup>【注9】</sup>のうちの書くという要素が国語<sup>【注10】</sup>という学科目に変わったのである。その奇妙な結果として、高校生達はいま英文学について書かなければならなくなっている。認識することさえなく、英文学の教授が数十年前に雑誌に投稿した論文を模倣したものを、高校生達は書かなければいけないのである。
</p></p>
<p>
 このことが当の生徒達にとって的はずれな課題に見えたとしても、驚くべきではない。理由は、私たちは今や実際に行われていることから三段階も離れていることになるからである。生徒達は英文学の教授を模倣し、英文学の教授は古典を研究する学者を模倣し、古典を研究する学者は、700年前には魅力的で緊急に必要とされる仕事であったものから生じた伝統を単に受け継いでいるに過ぎないのである。
</p>
<p>
<h2 align="center">
弁護をしない
</h2>
</p>
<p>
 本当のエッセーと学校で書かせられるものとの間の他の大きな違いは、本物のエッセーはある意見を主張し、そうしてからその意見を擁護するということを、しないことだ。その原則は、文学について書かなければならないという考えに似て、長く忘れられてきたエッセーの起源の知的名残りであることがわかる。
</p></p>
<p>
 中世の大学はほとんど神学校だったと、しばしば誤って信じられている。ところが実際は、中世の大学はずっと法律学校の性質を帯びていたのだった。少なくとも我々の伝統では、法律家というのは弁護士であり、論争のどちらの側にも立って、出来るだけ筋の通った主張をするように訓練を受ける。この精神が原因・結果のいずれなのかはわからないが、こうした精神は初期の大学に浸透していた。弁論術の研究、つまり説得力ある議論の技術は学部生の三つあるカリキュラムのうちの一つだった。その講義受講後、最もありふれた議論の形式は討論となった。このことは少なくとも、名目上は現代の論文における弁護という形で保たれてきた。ほとんどの人々は仮説と(博士)論文という言葉を交換可能なものとして扱うが、少なくとも本来は、仮説というのはある立場から説得力を持たせて書かれるものであり、(博士)論文というのはその立場を弁護するための議論なのである。
</p></p>
<p>
 ある立場を弁護することは法律上の議論では必要悪であるかもしれないが、それは真実へとたどり着く一番の方法ではない。このことを法律家たちは真っ先に認めるであろうと私は思っている。この方法では洞察力を働かせられないというだけではない。本当の問題は、問いを変えることが出来ないということにある。
</p></p>
<p>
 しかし、この原則は高校で書くように教えられるものの構造そのものに組み込まれてしまっている。トピックセンテンス<sup>【注11】</sup>とは、事前に選ばれた仮説であり、理由を与える段落とは議論的対立の中で放つ打撃のことであり、そして結論とは―アー、結論とはなんだろう?私は高校のとき決して結論が何であるか確信を持つことはなかった。第一段落で述べたことをもう一度言い直さなければならないようだったのだが、誰もわからないぐらいまでに別な言葉を用いて言い直さなければならないようだった。なぜ言い直さなければいけないのだろうか?しかし、この種の「エッセー」の起源を理解すると、どこから結論が生じたのかがわかるだろう。結論は、陪審員達にとっての結論となる言なのである。
</p></p>
<p>
 良い文章は確かに納得させるものであるべきだが、良い文章が我々を納得させるのは正しい答えに到達したからであって、議論を上手に行ったからではない。私がエッセーの草稿を友達に見せるとき、私が知りたいことは次の二つのことだ。一つ目は、どの部分が退屈かということ。二つ目は、どの部分が納得できないかということ。退屈な部分というのは大抵の場合削除することで直すことが出来る。しかし、私は読んで人を納得させられない部分をもっと明晰に議論することで直そうとはしない。必要なのは、そのことについて《読んでくれた人と》十分に話し合うことなのだ。
</p></p>
<p>
 控えめに言って、《エッセーの中で》私はひどい説明をしていたに違いない。その場合は、会話の中でより明確な説明を思いつかざるをえなくなる。その思いついた説明を、私はただエッセーの中に組み込むのである。《こうすることで、》私が述べたいことまで変えざるをえなくなることがとても多い。しかし、エッセーの目的とはけしてそれ自体で説得力あるものであることではない。読者が賢くなっていくにつれて、説得力あることと真実であることは同じものとなる。だから、賢い読者を納得させられれば、私は真実に近い所にいるに違いないことになる。
</p></p>
<p>
 議論をして論破しようと試みる種類の文章が、《法律家の文章としては》妥当な(あるいは、少なくとも不可避の)形式ではあるかもしれないが、その形式の文章をエッセーと呼ぶのは歴史的に見て不正確なのである。エッセーというのは別のものだ。
</p>
<p>
<h2 align="center">
理解しようと試みること 
</h2>
</p>
<p>
 本当のエッセーがどういうものであるのかを理解するために、今回は前回ほどさかのぼりはしないが、私達は再び歴史をさかのぼる必要がある。1580年に&#8221;essais&#8221;と自身が呼んだ本を出版したモンテーニュ<sup>【】</sup>にまでさかのぼる。モンテーニュは法律家たちが行っていることとはかけ離れたことを行っており、その違いはその書名の中に具体的に表されている。&#8221;essayer&#8221;というのは「試みる」という意味のフランス語の動詞で、&#8221;essai&#8221;とは試みである。<sup>【注12】</sup>エッセーとは、それを書くことで何かを理解しようと試みることなのである。
</p></p>
<p>
 何を理解しようとするのだろうか?君はまだそれを知らない。だから、君は仮説からはじめることが出来ない。理由は、君が仮説を持たず、そして決して仮説を持つことがないだろうからだ。エッセーは主張で始まるのではなく、問いで始まるんだ。本当のエッセーでは、ある立場に立ってその立場を弁護するということをしない。ドアが少し開いているのに気づいて、そのドアを開けて中に入り、中がどうなっているのかを見てみる、ということを《本当のエッセーでは》するんだ。物事を理解したいだけなのであれば、なぜ文章を書く必要があるのだろうか?ただ座って、考えていれば良いのではないか?えぇと、まさしくそこにこそ、モンテーニュの偉大な発見があったんだ。考えを表現することは、考えを形成するのを助ける。それどころか、「助けになる」というのは控えめにすぎる表現だ。私のエッセーの中で書かれたことの大半を思いついたのは、私が椅子に座ってエッセーを書いてからだった。だから、私はエッセーを書くんだ。
</p></p>
<p>
 学校で書くものの中では、君は理論上、読者に自分自身について説明しているにすぎないことになる。《だけど、》本当のエッセーでは、君は自分のために書くことになるんだ。声を出して考えていることになる。
</p></p>
<p>
 しかし、完全に自分のために書いているということにはならない。ちょうど人を自分の家に招くと部屋を掃除しなければならなくなるように、他の人が読むことになるものを書くことは十分に考えるよう要請する。だから、読者を持つことはとても重要になる。自分だけのために私がこれまで書いてきたものは、けして良いものではなかった。そうした文章は先細りになっていく傾向にある。私は困難にぶつかると、少数の曖昧な問いとともに結論を下し、書くことから離れて紅茶を飲みに行くことを知っている。
</p></p>
<p>
 出版されている多くのエッセーも同じようにして先細っている。とりわけ、時事解説誌の専属記者によって書かれた種類のエッセーがそうだ。外部の記者は、ある立場に立って、その立場を弁護する様々な論説を提供する傾向にあり、そうした論説は興奮を呼び起こし(、そしてあらかじめわかりきった)結論に向けてまっすぐに進む。しかし、専属記者は「偏りのない」ものを書かなければならないと感じている。そうした記者たちは評判の雑誌のために書いているのだから、とても議論の的となる問いで記事を始める。そうした問いから―というのも、記者たちは評判の雑誌のために書いているのだから―記者たちは前に進んでいくのだが、結局は恐怖で後ずさりすることになる。妊娠中絶に賛成か反対か?このグループはこのように述べており、あのグループは別なことを述べている。ただ一つ確かなことは、妊娠中絶は複雑な問題ということだ(けれど、私たちを怒らないでほしい。私たちは結論を出さなかったけれど)、というように。
</p>
<p>
<h2 align="center">
河のように
</h2>
</p>
<p>
 問いだけでは十分ではない。エッセーは答えを提出しなければならない。いつも提出しなければならないわけでは、もちろんない。時には、見込みがある問いから初めて、どこにもたどり着けないこともある。しかし、そうしたエッセーを発表してはいけない。そうしたエッセーは結論に導くような結果が得られない実験のようなものだ。発表するエッセーは、読者にそれまで知らなかったことを伝えるものでなければならない。
</p></p>
<p>
 しかし、伝える内容は重要ではない。その内容が面白いものである限りは。私は時々散漫に論じていると責められることがある。ある立場に立って、その立場を弁護するスタイルの文章では、それは欠点になるだろう。《というのも、》そうした文章では真実に関心を払ってはいないのだから。《そうした文章は、》すでにどこに向かっているのかを知っていて、そこに向かってまっすぐに向かい、障害の中をどなりちらして進み、湿原を超えていくことを何でもないことのように扱うのである。しかし、それはエッセーの中で君が行おうと試みていることではない。エッセーは、真実を求めるものでなければならない。もしエッセーがわき道にそれていかなければ、そのエッセーはうさんくさいものになるだろう。
</p></p>
<p>
 メンダー(別名メンデレス川)はトルコにある河だ。予想の通り、この河はいたる所で曲がりくねる。<sup>【注13】</sup>しかし、何の考えも無しに曲がりくねっているわけではない。メンダーの流れの向きは、海へと向かう最も経済的なルートなのである。<sup>[6]</sup>
</p></p>
<p>
 河のアルゴリズムは単純だ。どの段階においても、低い方へと流れていく。エッセーを書く人のためには、次のように言い換えることが出来る。面白いものへ向かって流れていけ、と。次に行くことが出来る全ての場所の中から、一番面白いものを選ぶんだ。人は河と同じぐらい先が見えないわけではない。<sup>【注14】</sup>私はいつも、何について書きたいのかを大体は知っている。けれど、自分がたどり着きたいと望んでいる明確な結論が何なのかを知らない。段落から段落へと、私は自分の考えが流れていくのに任せて《書いて》いる。
</p></p> </p>
<p>
 この方法がいつもうまくいくとは限らない。時には、河のように、壁にぶつかることもある。そうした時、私は河がしているのと同じことをする。同じ道を戻っていくんだ。このエッセーのある地点で、私はある筋道をたどった後で考えが尽きてしまったことに気づいた。私は七段落分戻って、別な方向に向かってやり直したのだった。基本的に、エッセーとは一連の考えである―しかし、劇や物語の会話の部分が仕上げを受けた後の会話であるように、仕上げを受けた一連の考えである。本当の考えは、本当の会話に似て、誤ったゆがみに満ちている。《そうしたものを》読むことで、極度に消耗してしまうだろう。鉛筆で描かれた絵の上にインクを入れるイラストレーターのように、文を削ったり、付け加えたりして、中心の筋道を強調する必要がある。しかし、あまりに多くの部分を変えて、元の文章の自然さを失わせてはならない。
</p></p>
<p>
 間違いを犯すとしても、河と同じ間違いをするようにしよう。エッセーは参照する作業ではない。エッセーは特定の答えを求めて読むものではなく、そうした答えが見つけられないと騙されたと感じるものではないのだ。私は、事前に規定された道に沿って義務的にゆっくりと進むエッセーよりもむしろ、予期していなかったけれど面白い方向へと進んでいくエッセーを読みたい。
</p>
<p>
<h2 align="center">
驚き
</h2>
</p>
<p>
 それでは、何が面白いのだろうか?私にとっては、面白いとは驚きを意味する。
</p></p>
<hr />
</p>
<p>
<h2 align="center">
原注
</h2>
</p>
<ul>
<li>
[1] &#8211; 私が念頭に置いているのはオレーム(1325-82)<sup>【注15】</sup>だ。しかし、年代を特定するのは困難だ。理由は、ヨーロッパの人々が古代の科学を吸収するのを終えたまさにその時に学問における急激な衰えが起きたからだ。原因は1347年の疫病かもしれない。というのは、科学上の進歩は人口曲線に符合しているからだ。
</li>
<li>
[2] &#8211; 以下の文献を参照せよ。 <ul>
<li>
Parker, William R. &#8220;Where Do College English Departments Come From?&#8221; College English 28 (1966-67), pp. 339-351. Reprinted in Gray, Donald J. (ed). The Department of English at Indiana University Bloomington 1868-1970. Indiana University Publications.
</li>
<li>
Daniels, Robert V. <i>The University of Vermont: The First Two Hundred Years</i>. University of Vermont, 1991.
</li>
<li>
Mueller, Friedrich M. <i>Letter to the Pall Mall Gazette</i>. 1886/87. Reprinted in Bacon, Alan (ed). The Nineteenth-Century History of English Studies. Ashgate, 1998.
</li>
</ul>
</li>
<li>
[3] &#8211;
</li>
<li>
[4] &#8211;
</li>
</ul></p>
<hr />
</p>
<p>
<h2 align="center">
訳注
</h2>
</p>
<ul>
<li>
注1 &#8211; 英語の&#8221;essay&#8221;は日本語の作文とは異なり、ある主張を理由を添えて主張するという形式を取る。日本の作文とは別のもので、日本の高校では小論文などと言われ区別されている。
</li>
<li>
注2 &#8211; メルビルの小説。Moby Dick。1851年刊。巨大な白鯨モビー・ディックに片足を奪われたエーハブ船長は、復讐のため世界の海を巡り、ついに発見した宿敵とともに海底に沈む。善と悪の対決等、深い象徴性を秘めた叙事詩的大作。発表当時は不評だったが、1920年代以後評価が高まる。
</li>
<li>
注3 &#8211; 原文では&#8221;writing&#8221;(「書くこと」)・&#8221;essay&#8221;(「エッセー」)・&#8221;English composition&#8221;(「文の構成法」)と使い分けられている
</li>
<li>
注4 &#8211; <a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270000120/249-0170639-2669919', '『マネーボール』');" target="blank">『マネーボール』</a>のことを言っているのだと考えられる。
</li>
<li>
注5 &#8211; イギリスの小説家。ビクトリア女王から貧しい庶民の子どもまでが愛読した、19世紀最大の国民的文豪であるばかりでなく、20世紀になっても各国語に翻訳されるうえに、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、ミュージカルなどのメディアにまで浸透している。
</li>
<li>
注6 &#8211; つまり、古代ギリシア・ローマ文明
</li>
<li>
注7 &#8211; 〈万学の祖〉として、その業績は広範、後世への影響はプラトンと並んで甚大である。学の全分野で今日まで用いられる術語・概念・方法の多くがアリストテレスに発する。
</li>
<li>
注8 &#8211; 実際に数学者が研究していることからすれば、小・中・高校・大学で学ぶ数学は一段階も二段階も実際の数学からはかけ離れたものだ、という考えを前提にしている。
</li>
<li>
注9 &#8211; 日本で言う「読み・書き・算術」のこと
</li>
<li>
注10 &#8211; 原文では&#8221;English&#8221;。言うまでもなく、アメリカ人にとって「英語」とは日本人にとっての「国語」である。
</li>
<li>
注11 &#8211; 段落などで中心となる考えを表す文のこと。第一文であることが多い。
</li>
<li>
注12 &#8211; フランス語も英語と同じように、名詞の語尾に-sを付け加えることで複数形を作る。つまり、&#8221;essais&#8221;とは「(複数の)試み」ということである。
</li>
<li>
注13 &#8211; 「メンダー」は英語では&#8221;meander&#8221;と綴り、その意味は「曲がりくねる」であるため。
</li>
<li>
注14 &#8211; 河は海へと向かっていることを知らずにただ低い方へと向かっており、それに対して人はある程度までエッセーで何を述べたいのかを意識してエッセーを書くということを述べたいのだと考えられる
</li>
<li>
注15 &#8211; フランスの司教。アリストテレスを研究。経済学の著作もある。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 昨日の甲子園
author: kazu634
date: 2005-08-14
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<div class="section">
<p>
逆転劇ばかりで、職場の同僚たちとかなり興奮してしまいました。こんな熱い試合が続くといいのですけど。
</p>
</div>

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@ -1,28 +0,0 @@
---
title: ウイニングイレブン9
author: kazu634
date: 2005-08-14
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---
<div class="section">
<p>
O田くん wrote:
</p>
<p>
<blockquote>
</blockquote>
</p>
<p>
ってか操作難くない? どんどん複雑になってる気がする・・<br />まぁなんにせよ、お気にのアイマールが強ければモウマンタイ!!
</p></p>
<p>
O田くんたち同僚は、ウィニングイレブンを買ったらしい。最近発売されてたそうで。知らなかったんだけど。<br />深夜に買いに行ったのは確認していたけれど、みんなでゲームしているところには居合わせなかった自分。隣の部屋の応接室ですやすやと眠っていたもので。眠りながら、サッカーの実況が聞こえてきたっけなぁ。。。<br />けど、早朝時ぐらいまでやってなかったかO田・H山くん
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
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title: アイスの品種がわからない…
author: kazu634
date: 2005-08-14
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<div class="section">
<p>
pralines&#8217;n&#8217; creamというアイスは日本語では何て言うのかしら
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: Aviator
author: kazu634
date: 2005-08-14
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<img width="137" align="left" alt="3c83349a.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/3/c/3c83349a.jpg" height="192" border="0" class="pict" />映画館で上映されていたときは観に行けなかったけど、<em>Aviator</em>がDVDで発売されることになる。これは楽しみだ。<br />Aviatorというのは、「パイロット」を表す古い言葉で、ある辞書を引くと「a pioneering pilot」黎明期のパイロットという語義があたえられている。黎明期のパイロットということで思い出すのは、サン・テグジュペリだろう。サン・テグジュペリは『星の王子さま』しか知られていないが、自身のaviatorとしての経験を元に書かれた断片的なエッセー『人間の土地』も自分は気に入っているのだけれど。<br />とりあえず、Aviatorという言葉に惹かれたから、で借りてこよう♪
</p>
</div>

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@ -1,86 +0,0 @@
---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳断片
author: kazu634
date: 2005-08-14
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<h3 align="center">
</h3>
</p>
<hr />
</p>
<p>
<h3 align="left">
<font face=" ゴシック, Helvetica, sans-serif" size="2">この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、</font><a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="blank"><font face=" ゴシック, Helvetica, sans-serif" size="2">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</font></a><font face=" ゴシック, Helvetica, sans-serif" size="2">を翻訳しようと試みた断片である。</font><br />
</h3>
</p>
<p>
<h3 align="center">
</h3>
</p>
<hr />
</p>
<p>
<h2 align="center">
驚き
</h2>
</p>
<p>
 それでは、何が面白いのだろうか私にとっては、面白いとは驚きを意味する。Geoffrey Jamesがこれまで述べてきたように、インターフェース<sup>【注1】</sup>は最小限の驚きという原則に従うべきだ。それを押したら機械を止めるように見えるボタンは、機械を止めるものでなければならない。逆に、スピードを上げるのではなく。エッセーは、この全く逆を行うべきだ。エッセーは、最大限の驚きを目標とすべきなのだ。
</p></p>
<p>
 私は飛行機に長時間乗ることをおそれているので、他人の経験を通じて旅行を楽しむことしかできない。友人が遠い場所から帰ってきたとき、私が友人に何を見てきたのかと聞くのは、ただ礼儀上そのようにしているのではない。私は本当に知りたいんだ。そして、友人から情報を得る一番の方法は、何に一番驚いたのか尋ねることだと気付いた。期待していたのと、旅行した土地はどのように異なっていたのか?これはきわめて有益な質問だ。注意して見ていなかった人にさえその質問をすることが出来るし、その質問をすることで、そうした人たちが記憶していたとさえ知っていなかった情報を引き出すことが出来るだろう。
</p></p>
<p>
 驚きは知らなかったことというだけでなく、自分が知っていると考えていたことに反することでもあるのだ。だから、驚きというのは手に入れることが出来る事実の中でも最も価値ある種類の事実である。そうした事実は単に健康的であるだけでなく、すでにこれまで食べてきたものが持つ不健康にする影響を中和する食べ物に似ている。
</p></p>
<p>
 どのようにして驚きを見つけるのか?そこにこそ、エッセーを書くことの仕事の半分がある(後の半分は自分の考えを十分に表現するということだ)。コツは、自分自身を読者の代理として使うということだ。何度も考えてきたことについてだけ書くべきなんだ。その話題についてこれまでずっと考えてきた人を驚かすものは、きっとほとんどの読者を驚かすことになるだろう。
</p></p>
<p>
 例えば最近書いたエッセーで私は、コンピュータープログラマーを判断する方法は一緒に働くこと以外にはないのだから、総合的に誰が一番のプログラマーなのか誰もわからない、と指摘した。私がそのエッセーを書き始めた時にこのことに気付いてはおらず、今でさえもこの考えのことを幾分奇妙だと思っている。そうしたものこそが、探し求めているものなんだ。
</p></p>
<p>
 だから、エッセーを書きたいのであれば、次に述べる二つの材料が必要になる。これまでたくさん考えてきた少数の話題、そして予期しなかったものを探し出す能力。
</p></p>
<p>
 何について考えるべきなのだろうか?私の推測では、その問いは重要ではない―つまり、そのことに深く関わっていれば、何でも面白いものになり得るのではないだろうか。あり得そうな例外には、ファストフード産業で働くことのように、意図的に一律にしてしまう物事が考えられる。振り返ってみると、バスキン-ロビンズ<sup>【注2】</sup>で働くことについて何か面白いことがあっただろうか?
</p></p>
<p>
 しかし、客にとって色がどれほど重要かということは面白かった。ある年齢の子供たちはケースを指し示して、黄色のアイスが欲しいと言う。その子供たちはフレンチバニラとレモンのどちらが欲しかったのだろうか子供たちはポカンとしてこちらを見てくるだろう。子供たちは黄色のアイスが欲しいのだ。一年を通じて一番売れるPralines&#8217;n&#8217; Creamがなぜ客に訴えかけるのかという謎がある。そして、父親と母親が子供たちにアイスを買うときの振る舞いの違い、というのもある。父親は慈悲深い王様のように大きなアイスを子供に与え、それに対して母親は悩んで、子供たちに言われた通りのものを買う。だから、そうだ、ファストフード産業にさえもエッセーのテーマになりうる材料があるように思える。
</p></p>
<p>
 けれど、私は勤めていた当時はそうしたことに気付かなかった。16才の時、私は岩と同じ程度しか注意深くはなかった。私がその当時に実際に自分の目の前で起こったことから見て取ることが出来るものよりも多くのことを、今の私はその当時の記憶から引き出すことが出来るのだ。
</p>
<hr />
<ul>
<li>
注1 &#8211; 異種システム間や機械としてのコンピュータと人間(使用者)とを仲介するプログラムや装置;その規格全般。例えば、マウスとかキーボードのこと。
</li>
<li>
注2 &#8211; アメリカでアイスクリームを作っている会社
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,67 +0,0 @@
---
title: 'U2: ”With or Without You”(re:みんなのおすすめの曲って何?)'
author: kazu634
date: 2005-08-15
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<img width="160" align="left" alt="6d776853.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/6/d/6d776853.jpg" height="160" border="0" class="pict" />
</p>
<p>
O田くん wrote:
</p>
<p>
<blockquote>
みんなのおすすめの曲って何? </p>
</blockquote>
</p>
<p>
挙げろと言われたら、まずはU2でしょう何が何でも。特に&#8221;With or Without You&#8221;がお薦め♪といっても、O田くんとカラオケに行ったときに自分が歌ったから、これはあまり新しい情報ではないかもね…
</p></p>
<p>
&#8220;With or Without You&#8221;は歌詞と、その歌い方がいいんだよ。サビの部分はこんな感じなんだけど…
</p>
<p>
<blockquote>
</blockquote>
</p>
<p>
With or without you<br />With or without you<br />I can&#8217;t live<br />With or without you
</p>
<p>
And you give yourself away<br />And you give yourself away<br />And you give<br />And you give<br />And you give yourself away
</p>
<p>
<blockquote>
</blockquote>
</p>
<p>
側にいても、いてくれなくても<br />側にいても、いてくれなくても<br />俺は生きていくことが出来ない<br />君が側にいても、いてくれなくても
</p>
<p>
そして、君は本心を明かしてくれた<br />君は、本心を明かしたんだ<br />君が、<br />君が、<br />本心を明かしたんだ
</p></p>
<p>
BonoU2のボーカルの人ねという男性がこの歌を唄っていることを考えると、このyouは女性を念頭にしていると考えられるのね。それで、二人の関係はどうしようもなくなってしまって、とてもfrustratedな状態になったBonoがこのサビの部分を歌うことになるんだ。だから、この歌は最初はとても鬱屈した、か細い声で歌い始められる。そうして、段々と感情がこもってきて、行き場のない怒りを声に込め始めるんだ。だから、最後の方のサビの部分では、ため息が混じったりする。
</p></p>
<p>
と、まぁ、こんな風に、この&#8221;With or Without You&#8221;というのは、ある男性の姿を大げさな歌詞や歌い方をせずに表現してて、情景を聞いている人に考えさせるようにしているところが自分は好きなんだろうなぁ、と思っているとこ。
</p>
</div>

View File

@ -1,65 +0,0 @@
---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳断片
author: kazu634
date: 2005-08-15
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- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
<p>
この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、<a href="http://www.paulgraham.com/essay.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.paulgraham.com/essay.html', '&#8220;The Age of the Essays&#8221;');" target="blank">&#8220;The Age of the Essays&#8221;</a>を翻訳しようと試みた断片である。
</p>
<hr />
<p>
<h2 align="center">
観察
</h2>
</p>
<p>
 だから、予期しないものを見つけ出す能力は生まれつきのものではないに違いない。その能力は身につけることが出来るものに違いないのだ。では、どのようにして身につけるのだろうか?
</p></p>
<p>
 ある程度まで、それは歴史を学ぶことに似ている。はじめて歴史を読んだとき、歴史は一連の名前と年号が混じり合っているものに過ぎない。何も引っかかりはしないように思える。しかし、多くを学べば学ぶほど、新しい事実を関連づけるとっかかりがますます増えていくのだ―このことが意味するのは、日常的な言い回しでの指数的な割合で知識を蓄積しているということだ。一度ルマン人が西暦1066年にイングランドを侵略していることを覚えたら、他のルマン人がほぼ同時期に南イタリアを征服したと聞いたとき、その話に関心を抱くことだろう。そうしたことに関心を抱くことでルマンディーについて好奇心を持ち、三冊目に読んだ本がルマン人は、現在フランスと呼ばれているところに住んでいる大半の人々のように、ローマ帝国が崩壊したときに流入してきた部族ではなく、4世紀後の西暦911年にやって来たヴァイキングーマンとは、北方の人々のことである<sup>【注1】</sup>だと述べたとき、注意することになる。こうしたことに注意すると、ダブリンはヴァイキングによって西暦840年代に開かれたことを覚えるのもより容易になる。こうして、二乗の割合で覚えていくことになるのである。
</p></p>
<p>
 驚きを集めるのも同様な過程である。より多く例外的なものを見ていればいるほど、より容易に新しい例外的なものに気づけることになる。つまり、奇妙なことに年を重ねていくほどに、人生というのはもっとずっと驚きに満ちたものになっていくのだ。私が子供だったとき、大人は何でもわかっているんだ、とよく考えたものだった。私は逆に考えていたんだ。子供たちの方こそが、何でもわかっているんだ。子供たちはただ誤解しているんだ。
</p></p>
<p>
 驚きに関していえば、富める者がますます富んでいく。しかし、富と同じでそうした過程を助ける心の習慣というものがあるかもしれない。質問をするという習慣を持つのはいいことだ。とりわけ、「なぜ」で始まる質問をする習慣を持つことは。しかし、3才の子供がするようなランダムなやり方で質問をしてはいけない。無限の数の質問があるけれど、《その中から》有益な質問をどのようにして見つけるのだろうか
</p></p>
<p>
 誤っているように思えることについて質問をすることがきわめて役に立つことを私は知っている。例えば、なぜユーモアと不幸の間に繋がりがなければならないのだろうか?なぜ好きな登場人物でさえもバナナの皮で滑って転ぶと私たちは愉快に感じるのだろうか?そこには確かにエッセーまるまる一つ分に値する驚きがあるはずだ。
</p></p>
<p>
 誤っているように思える物事に気付きたいのであれば、ある程度の懐疑主義が役立つことに気付くだろう。私たちは自分たちが出来ることのたった1%しか達成していない、ということを私は自明の理だと思っている。こうした考えは、子供の時に頭の中にたたき込まれた「物事が現在のようになっているのは、そのようになっていなければならないからだ」という規則を打ち消すのに役立つ。例えば、このエッセーを書いている間に私が話をした人はみんな英語の授業について同じことを感じていた―彼らは全過程が的はずれのように感じていたのだ。しかし誰もその当時は、英語の授業が事実みんな間違えているのだ、と仮説を立てる勇気を持っていなかった。私たちはみんな、捉えてはいない何かがあるのだと考えていたんだ。
</p></p>
<p>
 ただ誤っているというだけではなく、ユーモアに富んだ方法で誤っている物事に注意を払いたい、と思い始めたのではないかと思う。私はいつも、私のエッセーの草稿を読んで人が笑うのを見て、喜ぶ。しかし、なぜ喜ぶべきなのだろうか?私は良い考えを目標にしている。なぜ良い考えは愉快でなければならないのか?その繋がりは驚きであるかもしれない。驚きは私たちを笑わせ、そして驚きこそがエッセーで述べたいものなのである。
</p></p>
<p>
 私はノートに驚いたことを書きつけている。私は実際の所、決してそのノートを読んで、エッセーのネタにするということは出来ないが、同じ考えを後になってはっきりと思い浮かべる傾向にある。だから、ノートの主な価値というのは書くことで頭に残るもの、ということになるのかもしれない。
</p>
<hr />
<ul>
<li>
注1 &#8211; ノーマン(norman)は語源をたどると、北方の人々(north man)が元々の語源だということを述べている
</li>
</ul>
</div>

View File

@ -1,27 +0,0 @@
---
title: 地震
author: kazu634
date: 2005-08-17
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
ありえない。なぜか地震が起きたときは研究室にいた。研究室はとても古い建物の8階にある。すごく揺れる、揺れる。ありえないぐらい揺れた。思わず、机の下にくぐってしまった。小・中学生に戻ったみたいだった。
</p></p>
<p>
被害としては、本が数冊落ちて、茶碗とかカップが何個か割れて、ワイン瓶が割れたぐらいで済んだ。といっても、お盆の最終日で誰もいなかったわけで、自分一人で復旧作業。自分のものでもないのに、床を濡らしているワインやガラス片を雑巾で孤独に拭いてました。ありえない…
</p></p>
<p>
しかも、余震が怖くて、とりあえず建物の外に避難したときに、テレビが見れる携帯でニュースを見ている人がいたんだけど、そのテレビで自分が住んでいるところをドンピシャで取材していた。地割れでもしたのかと思って、こっちは心配しちゃったさ。本当に。今から考えれば、テレビ局から一番近い大きなスーパーを取材に行ってただけみたいだったんだけど。
</p></p>
<p>
何とか研究室を復旧して仙台駅に帰ってみると、普段通りの生活をみんながしていて、おかしいなぁと思ったんだよなぁ。自分の頭の中では、オンボロの建物の8階という揺れを増幅させる中での地震体験で、しかも自分が住んでいるところは地割れが起きているんじゃないかと思いこんでいたものだから、大変な状況になっているはずだと思っていたのだけれど…実際はそんなに大したことないじゃん!!心配して損した。。。
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 次は
author: kazu634
date: 2005-08-18
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<p>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/3/b3c042eb.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/3/b3c042eb.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" align="left" alt="b3c042eb.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/3/b3c042eb-s.jpg" height="213" border="0" class="pict" /></a>これを観に行こうかしら。
</p>
</div>

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@ -1,27 +0,0 @@
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title: 『星になった少年』
author: kazu634
date: 2005-08-18
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<p>
<a href="http://www.randy-movie.com/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.randy-movie.com/', '『星になった少年』');" target="_blank">『星になった少年』</a>を見てきました!主人公の少年の成長を追いかけた作品とも、親子の絆を確認させた作品とも捉えられるのだと思います。
</p></p>
<p>
中学を卒業してすぐに(?)、タイに行って像使いになろうとするなんて、なかなかできるものではないでしょう。それをやった実在の人物をモデルにした話。タイの像学校の人々に受け入れていく過程もじっくりと描かれていて、とても良かった。
</p></p>
<p>
主人公の少年役を演じた役者さん(柳楽優弥)も素晴らしかったです。中学生の時は弱々しい目をしていたのだけれど、タイの像使いの学校から帰ってきてからは、とても強い、意志のこもった眼差しをするようになっていて、「すごぃ!」と思わず思ってしまった。それを見守るお母さん役の常盤貴子もいい味を出してました。
</p></p>
<p>
この作品はカンヌか何かで賞をもらっているはず。一見の価値あり。 もちろん感動させることを狙って、演出を組み立てているが、そうではない部分についてもとても考えられて作られているのがわかって素晴らしいと思った。
</p>
</div>

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@ -1,19 +0,0 @@
---
title: 大阪桐蔭
author: kazu634
date: 2005-08-19
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---
<div class="section">
<p>
怪物を三人も擁する大阪桐蔭高校が負けてしまいました。同僚と一緒に観戦していたのですが、延長10回、ツーアウト、ランナー二塁で四番・「あの清原以来の甲子園一試合」の平田。ここで一発ホームランがでれば逆転勝利という場面。ここで三振をしてしまってゲームセット。
</p></p>
<p>
とても熱い試合をしてくれたので、とても良かったです。おそらくプロに行くのだろうから、プロに行って頑張って欲しいです!
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 消臭元を買った
author: kazu634
date: 2005-08-19
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<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="56500a2a.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/5/6/56500a2a.jpg" height="160" border="0" class="pict" />プチ一人暮らしを始めて4ヶ月。始めてお部屋用の消臭元を買った。少しずつ生活臭がする部屋になっていってる。
</p>
</div>

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@ -1,45 +0,0 @@
---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳断片
author: kazu634
date: 2005-08-19
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- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
</p>
<p>
この投稿はPaul Graham氏によるエッセー、&#8221;The Age of the Essays&#8221;を翻訳しようと試みた断片である。
</p>
<hr />
</p>
<p>
 落ち着きをはらおうと努めている人々は驚きを集める際に、不利な立場にいることに気づくだろう。驚くということは間違えるということだ。冷静さの本質とは、どんな14才の子供でも教えてくれるように、「平然とした状態」なのだ。間違えたとき、そのことについてくどくど考えるな。ただ何も間違えてはいないように振舞うんだ。そうすれば、ひょっとしたら誰も気づかないかもしれない。
</p></p>
<p>
 冷静さを得るための一つの方法は、不慣れなことをして愚かなように思わせかねない状況を避けることだ。驚きを集めたいのであれば、その反対の事をしなければならない。さまざまなことを勉強するんだ。理由は、とても面白い驚きというもののいくつかは、異なる領域間の予期しない繋がりだからである。例えば、ジャム・ベーコン・ピクルス・チーズ―これらはとても好まれている食材である―は、すべて元々は保存するための手段として意図された。保存するために意図されたというのは、本と絵画についても当てはまる。
</p></p>
<p>
 何を学んでも良いが、歴史を含めるようにしよう―といっても、社会・経済史をであって、政治史ではない。私には歴史は、とても重要なものに思えるので、歴史を単なる研究領域と見なすのは人を誤解させることになる。歴史を別な言い方で表現すれば、「これまで私たちが蓄えてきたすべてのデータ」となる。
</p></p>
<p>
 他のものの中でも、歴史を勉強することは、気づかれないままの状態ですぐ目の前に良い考えが発見されるのを待っている、という自信を与えてくれる。剣は、青銅器時代<sup>【注1】</sup>の間に短剣から考案された。剣は石器時代につくられたものに似ていて刃から分離された刀剣のつかを持っていた。そうしてできた剣は、それまでのものにくらべて長かったので、つかは折れつづけた。しかし、つかと刃を溶かして一つにすることを思いつくまでに、500年かかったのである。
</p>
<hr />
<ul>
<li>
注1 &#8211; 三時代区分法による時代区分の一つ。石器時代と鉄器時代の間にあり、青銅器が多く用いられた時代。オリエントでの前3000年から前1200年ころまで、中国での殷いん周時代などがこれに当てられ、これらの地域では奴隷制社会や都市国家の成立、輸送手段の発達と交易の拡大、大墳墓の出現などが認められる。しかし、文化程度が高くても原料の入手難から青銅器を作らなかった社会たとえば第12王朝までのエジプトもあった。日本には弥生時代に青銅器と鉄器がもたらされ、厳密な意味の青銅器時代といえるものはない。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,26 +0,0 @@
---
title: 今日は
author: kazu634
date: 2005-08-21
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---
<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="87c6db99.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/7/87c6db99.jpg" height="160" border="0" class="pict" />15:00からバイトで仙台まで出向かなければいけないので、午前中から研究室で読書していた、というかしている。
</p>
<p>
いまWisdom of the Crowds『集団が持つ英知』を読んでいるのだけれど、これが面白い英語で、内容を理解しながら読んでるから読むスピード遅いけど、面白いから苦にならないや。
</p>
<p>
</p>
<p>
ちなみに、写真は研究室で本に挟まれてしまっているスヌーピー。
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: ヨーダ発見!
author: kazu634
date: 2005-08-21
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---
<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="7c27b7dd.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/7/c/7c27b7dd.jpg" height="160" border="0" class="pict" />ヨーダのかぶりものを141で発見
</p>
</div>

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@ -1,22 +0,0 @@
---
title: 花月
author: kazu634
date: 2005-08-22
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---
<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="8bb2b3c4.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/b/8bb2b3c4.jpg" height="160" border="0" class="pict" />後輩のS田くんと、Biviにあるラーメン屋・花月に行った。ニンニクとチャーシューがのったトンコツラーメンが一番人気だったので、それを頼む……おいしい(^^)
</p>
<p>
</p>
<p>
今日は、午前中ダラダラ過ごしていたけど、ニンニクパワーで少し覚醒。明日からは、日中は勉強、夜はバイトというスケジュールをこなしていきたい…なぁ
</p>
</div>

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@ -1,23 +0,0 @@
---
title: バイトでの話
author: kazu634
date: 2005-08-22
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
自分は寮で住み込みの家庭教師をしているのだが、訳のわからない寮生がいて困っている。
</p></p>
<p>
その寮生は、門限を破って私らに迷惑をかけ、親御さんにいらぬ心配をかけた。本人の携帯電話にも当然連絡したが、通じない。親御さんに話を聞くと、使いすぎて高額の料金を請求されたから止めているのだそうだ。これで親御さんも私らも連絡を取る手段がなくなった。その馬鹿息子はさらに、何の連絡もなしに深夜何らかの手段で寮内に進入して帰ってきたそうだ。それを携帯会社にお金を払い込んだ親御さんが事務室に伝えてきた。そして、本人に弁明に行かせますから言って、電話が切れたそうだ。だが、本人は弁明に来ない。午前中の話だったのだが、20:00過ぎてもやってこない。これにはさすがにカチンときたので、直接呼んで話をする…
</p></p>
<p>
ダメだこれ。反省してねぇ。というか、何を目的にこの寮にいるわけ?この寮は勉強をするという目的を持った人が集まる場所であって、それ以外のことをするのはダメなんだよ。しかも、親から説教されているにも関わらず、自分が悪いことしたとは思っていない。悪いことしたら謝りなさい、って幼稚園で教わることじゃあないのだろうか…そんな態度は社会では通用しないのだが。何を考えているんだろう???理解不能だ。。。
</p>
</div>

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@ -1,22 +0,0 @@
---
title: 今日は
author: kazu634
date: 2005-08-23
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="91e9a8fb.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/9/1/91e9a8fb.jpg" height="160" border="0" class="pict" />雨降りなので、寮でじっとしていようと思う。ちょっと研究室に置いてある牛乳が心配だけれども……
</p>
<p>
</p>
<p>
ちなみに写真は朝飯です。
</p>
</div>

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@ -1,27 +0,0 @@
---
title: 研究室
author: kazu634
date: 2005-08-25
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
今日というかすでに昨日なんですが…研究室に行ってきました。S先輩と待ち合わせていて、貸していた本を返してもらい、お昼を奢ってもらいました
</p></p>
<p>
生協でお昼を食べていると、先代の先代の助手さんであるKさんがやって来ました―なぜにしてKさんがここにいるのだろうKさんは青森の高専に勤めているはずではなかったのか―Kさんは資料を探しに、わざわざ新幹線に乗ってやって来たということでした。すごいなぁKさん
</p></p>
<p>
なんだかんだで、Sさん・Kさんと一緒に研究室に戻ると、現在の助手のFさんも来ていらっしゃり、四人で色々と話しておりました。SさんもKさんもおみやげを持ってきていただいたので、研究室はおみやげでにぎやかなことになってます。I先生もイギリスから帰ってらっしゃったようで、イギリス土産も置いてありました。お菓子が食べたければ、研究室に顔を出してみてくだされ。
</p></p>
<p>
ちなみに、研究室は月・水・金の13:30なら開いているそうですFさん談
</p>
</div>

View File

@ -1,27 +0,0 @@
---
title: 職場のアイドル・コタロウ
author: kazu634
date: 2005-08-25
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
いま現在、O田くんの所にハムスターのコタロウがいる。コタロウは事務室に顔を見せるや、一瞬にしてアイドルとしての地位を確立してしまった。一番年上の寮長を始め、みんなでコタロウに一目惚れしてしまった…なんてかわいいんだろう♪
</p></p>
<p>
O田くん wrote:
</p>
<p>
<blockquote>
これから画像をアップしていこうかと思ってます。</p>
</blockquote>
<p>
デジカメ提供するよ自分もコタロウの画像が欲しいのでO田くん
</p></div>

View File

@ -1,27 +0,0 @@
---
title: Google Print
author: kazu634
date: 2005-08-25
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
前々から話題になっていたけれど、<a href="http://print.google.com/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://print.google.com/', 'Google Print');" target="_blank">Google Print</a>というサービスが<a href="http://google.co.jp/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://google.co.jp/', 'Google');" target="_blank">Google</a>の本国アメリカで開始された。
</p></p>
<p>
このサービスは図書館や出版社と協力して、これまで出版されてきた本の中で、ISBNコードが付与されたものをスキャナーで取り込んで、そうして取り込んだ本文データを全文検索してもらえる…というサービスだ。当然のことながら、現在の段階では言語は英語しか使えない。
</p></p>
<p>
これの何が便利かというと、「この英文どこかで見たことあるけれど、どこだったかわからないなぁ」というような時にこの<a href="http://print.google.com/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://print.google.com/', 'Google Print');" target="_blank">Google Print</a>を利用すると、一発で探し出せる可能性が高いということだ。これ以外にも、ある本の著者が別の本の中でどの位引用されているのか、ということも簡単にわかる。
</p></p>
<p>
もうちょっと使ってみて、便利な使い方があったらまた報告します。
</p>
</div>

View File

@ -1,31 +0,0 @@
---
title: コタロウ
author: kazu634
date: 2005-08-26
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
前回の投稿を見るとすぐに、O田くんは早速事務室にコタロウを連れてきて、写真撮影が行われた。120枚ぐらい撮れるデジカメが、あっという間に100枚撮ってしまった。そして、ベストショットはこれだった♪
</p></p>
<p align="center">
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/e/aebb08f9.JPG" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/e/aebb08f9.JPG', '');" target="_blank"><img width="160" align="center" alt="kotaro02" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/e/aebb08f9-s.JPG" class="pict" height="120" border="1" /></a>
</p></p>
<p align="left">
そして、コタロウと戯れるO田くんの写真がこれ↓
</p></p>
<p align="center">
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/2/c/2cb96d5a.JPG" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/2/c/2cb96d5a.JPG', '');" target="_blank"><img width="160" align="center" alt="kotaro02" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/2/c/2cb96d5a-s.JPG" class="pict" height="120" border="1" /></a>
</p></p>
<p>
コタロウはやっぱりかわいいなぁ。
</p>
</div>

View File

@ -1,27 +0,0 @@
---
title: 矢井田瞳のHere today-gone tomorrowを買いました
author: kazu634
date: 2005-08-27
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/f/2/f25320fa.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/f/2/f25320fa.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" align="left" alt="f25320fa.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/f/2/f25320fa-s.jpg" height="157" border="0" class="pict" /></a>
</p>
<p>
この前映画を観に行った時に宣伝していた『ロボッツ』のエンディング曲に使われていたということで注目していた矢井田瞳の最新アルバムが、この前発売された。というわけで、早速購入。
</p></p>
<p>
矢井田瞳という人は結構多才な人なのではないだろうか。日本人でありながら、Mejaと共同で歌を唄ったりできるというのも、なかなかいない気がする。自分としては、多分この独特な声が好きなのではないだろうかと思っている。
</p></p>
<p>
もう少し聞いてみてから、さらに何か書いてみます。
</p>
</div>

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@ -1,77 +0,0 @@
---
title: ”The Age of the Essays”の翻訳断片
author: kazu634
date: 2005-08-27
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
</p>
<p>
この投稿は、Paul Graham氏による&#8221;The Age of the Essays&#8221;を翻訳しようとした断片である。
</p></p>
<p>
これで全文を訳し終わった。Paul Graham氏に全文の掲載許可をお願いしてみようかしら。
</p>
<hr />
<p>
<center>
</center>
</p>
<p>
<h2>
服従しないこと
</h2>
</p>
<p>
 特に、不適切であるとか、重要ではないとか、取り組むべきものではない、とかいう理由で注目すべきではないとされている事柄に対して注目する習慣を持つようにしよう。もし何かについて興味があるのであれば、自分の本能を信じるようにしよう。自分の注意を引いた筋道をたどるんだ。本当に興味あることがあるのであれば、説明のつかないような方法で、そうした筋道が興味あることの方へと戻すことがわかるだろう。それはちょうど、何事かについてとても誇りを持っている人々の会話が、常にその誇りとしていることに戻って行きがちであるのに似ている。
</p></p>
<p>
 例えば、私はいつもcomb-overに魅せられてきた。とりわけ、まるで自分の髪でできたベレー帽をかぶっているように見える極端な種類の髪型にだ。たしかに、このことは興味を持つにはつまらない種類のことではある―ティーンネイジャーの女の子たちに委ねるのが一番の表層的な質問ではある。しかし、その背後には重要なものがある。重要な問いは、どうしてcomber-overは自分がなんと奇妙な髪形をしているのかということがわからないのだろう、ということだと私は理解している。そしてその答えは、そのような髪形をするように<i>徐々</i>になっていったということだ。<sup>【注1】</sup>髪の毛が薄くなってしまった部分を覆い隠すように髪の毛をとかすというようにして始まったものが、徐々に20年以上の時を経て、奇怪なものへとなったのである。緩やかに進行することはとても強力だ。そして、その力は建設的な目的に用いることができる。ちょうど自分のことを変人のように見せることができるように、とても規模が大きいためにこれまでに一度だってそのようなものを作ろうだなんて<i>計画</i>しようとしたこともない何かを作ろうとさせることができる。つまり、余分な機能を一才省いたカーネル<sup>【注2】</sup>を書くこと(それはどれほど困難なことだろうか?)からはじめて、徐々に完璧なオペレーティング・システムにしていくんだ。従って次の問いは、同じことを絵画や小説でできるかということになる。
</p></p>
<p>
 取るに足りないように思える問いから、何を引き出すことがわかっただろうか?エッセーを書くことについて、私が一つだけ忠告をするとすれば、それは次のようになる。言われた通りにはするな。しなければならないとされていることを信じるな。読者が《展開を》予想するエッセーを書くな。内容が予想できるエッセーからは何も得ることがない。学校で教えられたようなやり方でエッセーを書くな。
</p></p>
<p>
 インターネットはエッセーに対する態度を変えた。誰でもウェブ上でエッセーを公開でき、どんなエッセーでもそうあるべきなのだが、誰が書いたのかではなく、そのエッセーの内容で判断されるようになった。xについて書こうとするなんて何様のつもりだ誰でも、どんなことについても書く資格があるんだ。
</p></p>
<p>
 大衆向けの雑誌は、読み書きの能力が人々の間で広まっていきテレビが生まれるまでの時代を、短編小説の黄金時代にした。おそらくウェブも、今この時をエッセーの黄金時代にするだろう。そして、それこそがまさしく私がこのエッセーを書き始めたときには気づいていなかったことなんだ。
</p>
<hr />
<p>
<center>
</center>
</p>
<p>
<h2>
訳注
</h2>
</p>
<ul>
<li>
注1 &#8211; 「徐々に」と訳しているが、原文ではincrementallyという語が使われている。プログラミング用語では「何らかのカウンタを1だけ増加させること」であり、語の本来の意味は「決まった量、増えていく」である。だから、日本語の「徐々に」とは意味がずれている。この部分の意味は、「最初は軽いcomb-overだったのだが、年月が経るにつれ、その度合いが少しずつ強くなっていった」ということだ。
</li>
<li>
注2 &#8211; カーネルとは、階層型に設計されたオペレーティングシステムの中核となる部分である。タスク切り替え、仮想記憶処理などの重要な処理、システムコールの処理など、基本的な処理をカーネルが実行する。カーネル以外の処理とは、代表的にはデバイスドライバやユーザプログラムなどである。
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,33 +0,0 @@
---
title: ネットの影響力について
author: kazu634
date: 2005-08-28
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/', '梅田望夫氏のブログ');" target="_blank">梅田望夫氏のブログ</a>で、9月5日号のFortune誌にSteve Jobsのスタンフォードでの卒業演説が載っているという記事があった。この記事はネットで評判になっているから、Fortune誌でも掲載することにしたという旨が書いてあったという。そして梅田さんは、Fortune誌だけでなく日経新聞でも同様に、ネットの後追いが起きていると指摘している。
</p>
<p>
<blockquote>
莫大なコストをかけて取材している雰囲気は伝わってくるけれど、ネット上で毎日色々読んでいる人たちにとって目新しいことはほとんどない。テーマゆえ、素材の多くがネットの後追いになるのは仕方ないけれど、もう少し工夫しなきゃねぇ。これじゃあ「読者層はネットで何もしない人」と自己規定しているみたいだ。今後に期待をしてはいるのだけれど。</p>
</blockquote>
</p>
<p>
このように梅田さんは述べているけれども、この考えはネットの力を過大に評価しているのではないかと思う。つまり、皆が皆ネットを最大限に活用しているわけではないのではないかと思うのだ。
</p></p>
<p>
いま、私は大学院生というとても曖昧な立場にある。立派な大人と言われればそうだろうし、とはいえまだまだ学生でもある。将来のこと、特に職業の選択について同級生と話すことも多い。このような悩みを抱えた私たちのような立場からすれば、Jobsのスピーチはとても考えさせるもので、私は将来について話し合った友人みんなにこのスピーチの存在を教えている。皆、このスピーチの存在を知らなかったのだ。つまり、私の周りだけかもしれないが、ネットを有効に活用し情報を収集できていない人が多いのである。
</p></p>
<p>
私の周囲のこのような状況を考慮すると、ネットで話題になっていることを紙の媒体で取り上げることに意義はあると思う。まだまだ世間一般にはネットの情報というものは流通していないのではないだろうか。そして、ネットに流通している情報にも、読むべき価値があるものがある、ということに多くの人は気づいていないのではないだろうか。もちろん、『電車男』みたいに有名になってしまった例外はあるけれど。このようなことを、梅田さんのブログを読んでいて感じた。
</p>
</div>

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@ -1,19 +0,0 @@
---
title: スケジュール帳
author: kazu634
date: 2005-08-30
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="e9bb3880.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/e/9/e9bb3880.jpg" height="160" border="0" class="pict" />職場のKさんが使っているスケジュール帳を前々から欲しいと思っていたのだけれど、これまでどうしても見つけられなかった。ロフトで買える、と教えてもらったのだけれど、売ってない。あきらめかけていたのだけれど、今日になって発見できた。どうやらフランス製だから、あちらの年度末の10月に合わせて発売していたようだった。早速、購入。
</p>
<p>
B6サイズで、一週間ごとに縦に時系列でスケジュールが書き込めるのは、探したなかではこれだけだった気がする。
</p>
</div>

View File

@ -1,39 +0,0 @@
---
title: スケジュールソフト
author: kazu634
date: 2005-08-30
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
スケジュールつながりということで、パソコン上でスケジュール帖の役目を果たすソフトを紹介したいと思います。私が使っているのは、<a href="http://www31.ocn.ne.jp/~sakosoft/sw42.htm%22" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www31.ocn.ne.jp/~sakosoft/sw42.htm%22', 'Schedule Watcher');" target="blank">Schedule Watcher</a>というソフトで、月間カレンダーやタイムテーブル表示が出来るソフトです。月間というのはつまり、↓みたいなことです。
</p>
<p>
<center>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/c/8cacc859.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/c/8cacc859.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" align="none" alt="month" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/c/8cacc859-s.jpg" class="pict" height="116" border="1" /></a>
</center>
</p></p>
<p>
そして、タイムテーブルというのは、↓のようなことです。
</p>
<p>
<center>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/4/3/4330b420.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/4/3/4330b420.jpg', '');" target="_blank"><img align="none" alt="month" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/4/3/4330b420-s.jpg" class="pict" height="116" border="1" /></a>
</center>
</p></p>
<p>
こうした表示を切り替えていくと、とてもわかりやすくスケジュール管理が出来ます。もちろん、パソコンでスケジュール管理しているわけですから、例えば「毎週水曜日の18:00-20:00はバイト」みたいなスケジュールの追加も一気に出来てしまいます。結構楽チンです。
</p></p>
<p>
パソコン上でスケジュール管理を行う利点については、<a href="http://www31.ocn.ne.jp/~sakosoft/special1.htm" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www31.ocn.ne.jp/~sakosoft/special1.htm', 'ここ');" target="blank">ここ</a>も参照してもらえればいいかと思います。
</p>
</div>

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@ -1,110 +0,0 @@
---
title: Googleについて
author: kazu634
date: 2005-08-31
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
</p>
<p>
<a href="http://www.theonion.com/content/node/40076" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.theonion.com/content/node/40076', 'Googleについての記事');" target="blank">Googleについての記事</a>を見つけたので、それを要約+コメントしてみました。
</p></p>
<p>
Googleが本気でこうしたことを行おうとしているのであれば、世界は変わるだろうけれど、本当にこうしたことは出来るのだろうかちょっと疑問です。
</p>
<hr />
</p>
<p>
先日、GoogleのCEOが演説を行った。その演説は、
</p>
<p>
<blockquote>
&#8220;Our users want the world to be as simple, clean, and accessible as the Google home page itself,&#8221; said Google CEO Eric Schmidt at a press conference held in their corporate offices. &#8220;Soon, it will be.&#8221;</p>
</blockquote>
<p>
</p>
<p>
<center>
拙訳
</center>
</p>
<p>
<blockquote>
「GoogleのユーザーはGoogleのホームページのように単純で、さっぱりしていて、アクセスしやすいものに、世界になって欲しいと望んでいる」と、GoogleのCEO、エリック・シュミットはGoogle本社で行われた記者会見で発言した。「じきに、そうするつもりだ」</p>
</blockquote>
</p>
<p>
と、このように発言し、現実世界にあるものですらコンピュータ上でGoogleを検索するように、検索できるようにするのがGoogleの目標だと宣言したのである。そして次のように記事では述べられている。
</p>
<p>
<blockquote>
As a part of Purge&#8217;s first phase, executives will destroy all copyrighted materials that cannot be searched by Google. [&#8230;]<br />As a part of Phase One operations, Google executives will permanently erase the hard drive of any computer that is not already indexed by the Google Desktop Search. <br />&#8220;We believe that Google Desktop Search is the best way to unlock the information hidden on your hard drive,&#8221; Schmidt said. &#8220;If you haven&#8217;t given it a try, now&#8217;s the time. In one week, the deleting begins.&#8221; </p>
</blockquote>
<p>
<center>
拙訳
</center>
</p>
<p>
<blockquote>
Googleによるインデックス化の第一段階として、Google社の重役たちはGoogleによって検索できないすべての著作物を壊すつもりだ。省略<br />第一段階の一部として、Google社の重役たちはGoogle Desktop Searchによってインデックス化されていないコンピュータのハードディスクを永久にその存在を抹消するつもりだ。<br />「Google Desktop Searchはハードディスクに隠されている情報を明らかにする最適の方法だと我々は信じている」とシュミットは言った。「まだ試していないのなら、今がその時だ。一週間後には、消去は始まる」</p>
</blockquote>
</p>
<p>
こうした動きというのは、つまり、「現在のウェブでGoogleによって検索できないということは、その存在がなかったものにされることに他ならないことだ」という考えを反映しているのだろう。こうしたGoogleの発表に対して、John Battelle氏が「一年前に、GoogleはGoogle Print計画のために地球上にあるすべての本をスキャンすることを申し出た。そして、今、Googleはそれ以外の本は燃やすと約束したのだ」として批判している。現在のウェブ上におけるGoogleの影響力を考え、そして今回の発表を聞けば、このような発言も納得できるものだろう。
</p>
</p>
<p>
それだけでなく、Googleは人のDNA情報すら蓄積し、検索することが出来るようにしようと考えている。ウェブと同じように小さなロボットを現実世界にばらまいて、人のDNA情報をすべてスキャンしつくそうと計画している。
</p>
</p>
<p>
Google-Watch.orgの創設者であるBrandtはGoogleのこうした宣言と新たな社是について懸念を表明した。
</p>
<p>
<blockquote>
Until yesterday&#8217;s news conference, the company&#8217;s unofficial slogan had been &#8220;Don&#8217;t be evil.&#8221; The slogan has now been expanded to &#8220;Don&#8217;t be evil, unless it&#8217;s necessary for the greater good.&#8221; </p>
</blockquote>
<p>
<center>
拙訳
</center>
</p>
<p>
<blockquote>
昨日の演説までは、Googleの非公式のスローガンは「邪悪になるな」訳者注・「マイクロソフトのようにはなるな」という意味だった。そのスローガンは現在、次のように拡張された。「よりよいことのために必要でないのなら、邪悪にはなるな」</p>
</blockquote>
</p>
<p>
このように、&#8221;Dont&#8217; be evil&#8221;というスローガンを基にこれまでGoogleは頑張ってきたのだけれど、もしこのようなことを行ってしまったら独占禁止法違反をしてでもWindowsの売り上げを守ろうとしていたマイクロソフトとどこが異なるのだろうか、というのが正直な感想。実現したら、全く別の世界になるだろうけれど、抵抗にあって現実のものにはならないような気がする。
</p>
</p>
<p>
だが、こうしたことですら宣言してしまえるアメリカの懐の広さには感服してしまう。Winnyの作者は著作権の概念を変える意図でWinnyを作成したそうだが、それはつぶされてしまった。アメリカではそうした発言すら許容されてしまう。この違いが、現在のアメリカの発展を支えているのだろうか
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 神戸に出かけてきます
author: kazu634
date: 2005-09-02
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/5/b5386b8c.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/5/b5386b8c.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" align="left" alt="b5386b8c.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/5/b5386b8c-s.jpg" height="213" border="0" class="pict" /></a>中旬にかけて神戸に行ってきます。港街の雰囲気に浸ってきます!
</p>
</div>

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@ -1,35 +0,0 @@
---
title: 朝日新聞
author: kazu634
date: 2005-09-03
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://en.wikipedia.org/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://en.wikipedia.org/', 'Wikipedia');" target="blank">Wikipedia</a>という、ネット上の無料の百科事典があるのだけれども、この英語版がすごいことになっている。これで<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Asahi_Shimbun" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://en.wikipedia.org/wiki/Asahi_Shimbun', '朝日新聞');" target="blank">朝日新聞</a>をひくと…
</p>
<p>
<blockquote>
[&#8230;] The Prime Minister, Junichiro Koizumi said in a formal parlimental budget meeting on 3 February 2005, &#8220;I know that Asahi cannnot write any truth. But I beg Asahi, please do not write forgery.&#8221; Public confidence in the newspaper has declined, and now all the Japanese have to suspect that this company is no longer qualified as a part of journalism.</p>
</blockquote>
<p>
<center>
拙訳
</center>
</p>
<p>
<blockquote>
小泉純一郎首相は2005年2月3日の公式の国会予算会議で次のように述べた。「朝日新聞は正しいことを書けないことを知っている。だが、朝日新聞にお願いしたい。でっち上げの記事は書かないで欲しい、と」。朝日新聞に対する信用は落ちており、今やすべての日本人は朝日新聞はもはやジャーナリズムの一つである資格がないのではないかと疑わざるを得なくなっている。</p>
</blockquote>
</p>
<p>
英語のWikipediaでこんな風に紹介され始めたら、全世界にこの評判が広がっていくんですけどね…
</p></div>

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@ -1,21 +0,0 @@
---
title: Only One
author: kazu634
date: 2005-09-03
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
ふと思い立って、<a href="http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=%22the+age+of+the+essays%22&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&q=%22the+age+of+the+essays%22&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=', 'Googleでキーワードに「&#8221;The Age of the Essays&#8221;」を入力して検索');" target="blank">Googleでキーワードに「&#8221;The Age of the Essays&#8221;」を入力して検索</a>してみました。そしたら、なんと一件のみしか検索できずとのこと。というわけで、Only One達成♪
</p>
<p>
<center>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/d/8d055e5d.JPG" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/d/8d055e5d.JPG', '');" target="blank"><img width="158" align="none" alt="google" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/8/d/8d055e5d.JPG" style="WIDTH: 348px; HEIGHT: 186px" height="67" border="0" class="pict" /></a>
</center>
</p>
</div>

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@ -1,40 +0,0 @@
---
title: タゾティー・パッション
author: kazu634
date: 2005-09-05
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<img width="120" align="left" alt="a78636b5.jpg" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/7/a78636b5.jpg" class="pict" height="160" border="0" />
</p>
<p>
 スターバックスというコーヒー専門店で販売されている唯一のお茶がタゾティーのシリーズだ。なかなか頼む人がいないために、店員さんに聞いてもどれがどんな風味なのかがわからないという、なんとも不幸なシリーズ。
</p>
<p>
けれど、タゾティーのパッションはとても美味しい。その名の通り、刺激的で覚醒作用がある。だけどカフェインフリー。カフェインだと効かなくなってきたような時に、とても助けられた覚えがある。
</p>
<p>
<br clear="" /><br />
<hr />
2005.10.08. 追記
<p>
 
</p>
<p>
「タゾティー」という検索キーワードで検索してこのページにたどり着く人が多いので、追加情報です。タゾティーはスターバックスで飲むこともできますが、
</p>
<p>
ティーカップをスターバックスの店頭で購入することもできます。つまり、自宅でもタゾティーは楽しめるのです。パッションは24個入りで800円でした。ぜひ、あの刺激的な味を自宅でも楽しんでみてください
</p></div>

View File

@ -1,118 +0,0 @@
---
title: Think Different
author: kazu634
date: 2005-09-07
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/f/5/f506540a.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/f/5/f506540a.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" align="left" alt="Yoda" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/f/5/f506540a-s.jpg" class="pict" height="120" border="0" /></a>
</p></p>
<p>
<a href="http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/differentthinka_c7ae.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/differentthinka_c7ae.html', 'フローラン・');" target="blank">フローラン・</a><a href="http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/differentthinka_c7ae.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/differentthinka_c7ae.html', 'ダバディ氏のブログ');" target="blank">ダバディ氏のブログ</a>で紹介されていた画像がこれ。<a href="http://blogs.yahoo.co.jp/ycrobbie/9599117.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://blogs.yahoo.co.jp/ycrobbie/9599117.html', 'その記事にトラックバックされていたブログ');" target="_blank">その記事にトラックバックされていたブログ</a>を見ると、この画像は<a href="http://www.theapplecollection.com/desktop/ThinkDiff52.shtml" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.theapplecollection.com/desktop/ThinkDiff52.shtml', 'The Apple Collection');" target="blank">The Apple Collection</a>でフリーで配布されていたものだと言うことなので、ここでも掲載しておきました。
</p></p>
<p>
Yodaにまず目がいってしまうのですが、ここではスターウォーズの話ではなく、Think Differentについて書きたいと思います。
</p></p>
<p>
Think Differentという運動はiPodやiMacをつくっているアップルが1990年代に始めた運動で、次のような宣伝を行っていました拙訳
</p>
<p>
<blockquote>
<pre>風変わりな人たちに対する
アップルの声明
これは風変わりな人たちに対する声明だ。
うまく適応できない人、反抗する人に対する声明だ。
トラブルメーカーに対する声明だ。
四角い穴に丸い杭を打ち込むような人に対する声明だ。
物事を違ったように見る人に対する声明だ。
そうした人は規則を好まない。
そして、そうした人は現状に満足することはない。
そうした人を誉めることも、異議を唱えることも、
そうした人の発言を引用することも、信じないことも
そうした人を賛美することも、中傷することもできる。
ただ一つできないことは、そうした人を無視することだ。
なぜならそうした人が物事を変えるからだ。
そうした人は工夫して何かを作り上げ、想像をする。
そうした人は問題を解決し、問題を探求する。
そうした人は何かを生み出し、人々に影響を与える。
そうした人こそが人類を前進させているのだ。
そうした人は風変わりでなければならないのかもしれない。
そうでなければ、どのようにして空の額縁を見て、
そこに芸術作品を見いだせるのだろうか?
黙って座って、これまでに一度も作曲されなかった
歌を聴くことができるのだろうか?
前人未踏の地にある岩に
触ることができるのだろうか?
我々はそうした人たちのために道具を作る。
なぜなら、ある人たちはそうした人を風変わりだと見るが、
我々は天才だと判断するからだ。
そして、世界を変えることができると考えてしまうほど
風変わりな人たちこそが
実際に世界を変えてしまうからだ
違ったように考えるんだ。
</pre>
</blockquote>
</p>
<p>
このような価値観を前面に押し出して、アップルは以後iPodやiMacをヒットさせました。こうした価値観は<a href="http://blog.livedoor.jp/simoom634/archives/50099525.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://blog.livedoor.jp/simoom634/archives/50099525.html', '以前紹介したスティーブ・ジョブズ');" target="blank">以前紹介したスティーブ・ジョブズ</a>が暫定CEOになって初めて提示されたものでした。こうした価値観はハッカーの価値観とも非常に親和性が高いようです。
</p></p>
<p>
こうした独自の価値観を持つように、フローラン・ダバディ氏は言いたいのでしょう。そして、「独自の価値観を持て」というのが4月20日にうちの大学で行われたダバディ氏の講演会でのメッセージでもありました。
</p></p>
<p>
また、ダバディ氏は<i>News Week</i>誌次のようにも述べています(リンク先がすでに消滅していました)。
</p>
<p>
<blockquote>
</blockquote>
</p>
<p>
[. . .]日本もこの20年間で、若者にとっては恵まれた「温室」になった。ほどほどにバイトをして小遣いを稼ぎ、自由に大学に通い、フリーの時間ももてる。世界一の「温室」だと思う。
</p></p>
<p>
 その温室に、日本の若者がもつ最大の問題も発見できる。ナイーブさ、甘さ、ある種の中途半端さ。私は日本の若者の短編映画やアートの審査をしばしばするのだが、彼らがよく口にする「自分探し」という言葉に問題を見る。常に自分を探す冒険は気高いが、それを言い訳にして価値観や目標を見つけられずにいてはだめだと思う。
</p></p>
<p>
 価値観をもたずに大人の世界に入るなんて危険すぎる。流される、洗脳される、どこかで決定的に自分を失う。大学を終えるまでに自分の哲学をもたないといけない。政治的な意見、人生で訴えるべき主義、人生の情熱と目標。
</p></p>
<p>
  フランスの若者は少なくとも高校から、自分をはっきりもっている。それは家庭と学校の教育のおかげだ。学校では暗記よりも、考える過程を重視する。小学校からフリーエッセーを書かせ、中学校では討論の授業をやる。自分を見つけ、身に着けた価値観と思考を相手にぶつける練習をする。
</p></p>
<p>
 日本の若者にいちばん欠けているのが、この「自分」であり「個性」だと思う。もちろん自分をもちすぎた結果、フランスのように行きすぎた個人主義に走って、社会をだめにするケースもある。だから今の日本人のように環境と社会への意識をもちながら、フランス人のように個人としての輝きを磨いていけばいい。
</p></p>
<p>
 日本の若者の包容力と好奇心は素晴らしいが、そこから簡単に洗脳される危険性もある。とくに、彼らの政治的無関心は危険すぎる。その無関心のために、社会が知らないうちに悪い方向へ導かれる可能性に気づいてほしい。
</p></p>
<p>
こうしたことを踏まえた上で、この画像と一緒にしてダバディ氏は次のように述べています。
</p>
<p>
<blockquote>
「DIFFERENT、THINK…ALWAYS !」常に他の人が考えていないことを発想しよう。常に想像力を使おう。常に視点を変えよう。常に先入観を排除しよう。常に旅に出よう。今日も、皆さんに冒険のすすめを!</p>
</blockquote>
<p>
Think Different!
</p></div>

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@ -1,28 +0,0 @@
---
title: OReilly Radarで
author: kazu634
date: 2005-09-11
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- つれづれ
---
<div class="section">
<ul>
<li>
<a href="http://radar.oreilly.com/archives/2005/09/steve_jobs_to_studios_i_got_th.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://radar.oreilly.com/archives/2005/09/steve_jobs_to_studios_i_got_th.html', 'Steve Jobs to Studios: I Got the Power!');" target="_self">Steve Jobs to Studios: I Got the Power!<img width="9" alt="Permalink" src="http://radar.oreilly.com/images/permalink.gif" class="permalink" height="9" border="0" /></a> <a href="http://radar.oreilly.com/archives/2005/09/steve_jobs_to_studios_i_got_th.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://radar.oreilly.com/archives/2005/09/steve_jobs_to_studios_i_got_th.html', 'Steve Jobs to Studios: I Got the Power!');" target="_self">Steve Jobs to Studios: I Got the Power!<img width="9" alt="Permalink" src="http://radar.oreilly.com/images/permalink.gif" class="permalink" height="9" border="0" /></a>
</li>
<li>
<a href="http://radar.oreilly.com/archives/2005/09/why_microsoft_cant_best_google.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://radar.oreilly.com/archives/2005/09/why_microsoft_cant_best_google.html', 'Why Microsoft can&#8217;t best Google');" target="_self">Why Microsoft can&#8217;t best Google<img width="9" alt="Permalink" src="http://radar.oreilly.com/images/permalink.gif" class="permalink" height="9" border="0" /></a>
</li>
</ul></p>
<p>
という二つの面白そうなエントリーがありました。一つめは、アップルのCEOスティーブ・ジョブズはmonopsonyを目指しているという内容のようです。monopsonyというのは、単一の優れた商品に消費者が殺到する状態のことで、独占とは異なる意味なんだそうです。
</p></p>
<p>
二つめは、マイクロソフトとグーグルについて。これはまだ読んでいないので、何ともコメントできません…
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: 明日から
author: kazu634
date: 2005-09-12
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
明日から神戸に行ってきます。<a href="http://www.tenki.jp/yoh/y6310.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://www.tenki.jp/yoh/y6310.html', 'どうやら晴れている');" target="_blank">どうやら晴れている</a>ようなので、一安心。
</p>
</div>

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@ -1,77 +0,0 @@
---
title: 『蝿の王』
author: kazu634
date: 2005-09-12
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categories:
- つれづれ
---
<div class="section">
<hr />
</p>
<p>
サークルの方で、書評誌の出版をしているので、その草稿を載せておきます。最近は忙しすぎて、会議に参加できていないが原稿だけ入れるようにしよう…と決意してみるが続くだろうか。。。
</p></p>
<p>
2005.09.06:O田くんのコメントを受けて、書き直す。(Thanks to O!)
</p>
<hr />
<p>
<center>
<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102146016/qid=1124445261/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102146016/qid=1124445261/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-0170639-2669919', '『蠅の王』');" target="_blank">『蠅の王』</a>
</center>
</p></p>
<p>
<small><a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/3/b3a91a15.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/3/b3a91a15.jpg', '');" target="_blank"><img width="159" align="left" alt="Lord of the Flies" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/b/3/b3a91a15-s.jpg" class="pict" height="222" border="0" /></a>ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』を読んだ。この小説の中では、子供たちだけで無人島で生活をすることになる。だが、その無人島生活は燦々たるものになる。この小説は、「子供たちだけで社会を構成したらどうなるのか?」という問いに対する一つの答えなのだろう。</small>
</p></p>
<p>
 子供たちの社会というのは残酷だ。ニュースを見てみれば、いじめによって生徒が自殺をしたなどという報道も時折目にする。この『蠅の王』では、6~12才の少年たちが無人島に不時着し、自分たちだけで生活をしなければならなくなる。最初は、文明的に振る舞い、どうすればよいかを考えて行動していた。例えば、救助をしてもらえるように烽火を上げよう、だとかというように。だが次第に、彼らは好きなように振る舞い始める。決められた約束事は無視され、皆が皆バラバラに行動する。さらに、烽火の火を絶やす。
</p></p>
<p>
 筋道立てて考え、全体の利益のために現在の苦しさを堪え忍ぶという考えがそこには見いだせない―といっても、それが子供だと言われれば、それまでのことだが。好き勝手振る舞う子供たちの一団をジャックという少年が束ねているのだが、そのジャックは烽火を守ろうとする隊長のラーフに反旗を翻す。ジャックが率いる集団は、完全に理性を失ってしまう。筋道立てて、どうすれば自分たちが助かるのか―このような問いを立てることが出来ないでいる。
</p></p>
<p>
 こうした状況で、野生へと戻っていくジャックたちの手でついに死人すら出てきてしまう。誰も彼らを止めることが出来ないでいた。
</p></p>
<p>
 『蠅の王』に出てくる子供たちの社会には、拠り所とする価値観というものが欠けている。何が何でも守らなければならない規則という概念が欠けている。そして、ただひたすらに自分たちがしたいことをやろうとする。彼らが共有する唯一のものは、「やりたいことをしたい」という本能的な欲望だけなのかもしれない。だからこそ、烽火を絶やしてしまえるのだろう。<sup>【注1】</sup>
</p></p>
<p>
 なぜこのようなことが子供の社会で起きたのだろうか?子供たちが受けている教育が問題ではないか、という指摘をポール・グラハム<sup>【注2】</sup>はしている。学校で教えられていることは、実際に大人になってやらなければならないことから何段階も離れている偽物なのだ、というのである。打ち込める何かであればいいのに、それは到底打ち込めそうにもないのだというのだ。そうしたまがい物を強制的にやらされれば、精神が病んでいくのではないか、というのである。子供たち、少なくとも中学生の一部や高校生以上の子供たちにとっては、だ。
</p></p>
<p>
 この『蠅の王』で描かれる年上の登場人物たちは、自分たちにとって最善の手は何か考えることを放棄している。これは、まがい物を強制的に行わされ、そして自分たちの意志では何も行えないようにさせられている子供たちからすれば、どうしようもなく刷り込まれてしまう態度なのではないだろうか。そして、年少の子供たちはそもそもそのようなことを考えようともしていない。遊ぶことが彼らの仕事になっている。
</p></p>
<p>
 教育というものを子供を社会に慣らしていく過程だと捉えると、現在の教育は社会で実際に行われていることから何段階も離れたことを教えていることになるのではないか。これでは子供を社会に慣らすことは出来ないのではないだろうか。
</p></p>
<p>
 唯一の救いがあるとすれば、迷いながらも烽火を上げ続けようとしたラーフがいたという事実なのではないだろうか。ラーフの存在は、子供たちがこのような行動を起こしたのは教育という刷り込みの結果であることを示しているのだと思う。こうした状況を変えることが出来る、ということを示しているのではないだろうか。
</p>
<hr />
<ul>
<li>
注1 &#8211; 「社会」というものは教育を経て、それに慣らされていくものなのかもしれない。そして一度その縛りから解き放たれてしまうと、大人でさえもこの子供たちと同じように行動し始めることになるかもしれない。<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FVY3/qid=1125982224/sr=1-8/ref=sr_1_10_8/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00007FVY3/qid=1125982224/sr=1-8/ref=sr_1_10_8/249-0170639-2669919', '『esエス』');" target="blank">『esエス</a>という映画を観るとこのことがわかる、とこの草稿を読んでくれた友人が教えてくれた。
</li>
<li>
注2 &#8211; <a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4274065979/qid%3D1125983597/249-0170639-2669919" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4274065979/qid%3D1125983597/249-0170639-2669919', '『ハッカーと画家』');" target="blank">『ハッカーと画家』</a>を参照のこと
</li>
</ul>
</div>

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@ -1,23 +0,0 @@
---
title: 仙台→神戸
author: kazu634
date: 2005-09-13
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/1/2/127e444c.png" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/1/2/127e444c.png', '');" target="_blank"><img width="160" align="left" alt="行きのルート" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/1/2/127e444c-s.png" class="pict" height="112" border="0" /></a>今日の一日を振り返ると、仙台→大阪伊丹空港ははじめての飛行機でした。窓の外を見るのが楽しかったです。スチュワーデス(今は客室乗務員と呼ばなければ行けないのでしょうか)も始めて見ました。
</p></p>
<p>
伊丹空港からはモレールで蛍池へ。蛍池からは私鉄の阪急で、蛍池→十三→三宮へ。これで神戸市内に着きました。ここでホテルがJR神戸駅のすぐ近くだということがわかったので、阪急三宮駅→JR三宮駅→JR神戸駅へと移動。ホテルへと着きました。
</p></p>
<p>
明日は観光をしてきます♪
</p>
</div>

View File

@ -1,25 +0,0 @@
---
title: 神戸にて
author: kazu634
date: 2005-09-14
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---
<div class="section">
<p>
ただいま1日の予定を確認して、神戸駅をすり抜けて、市内の観光スポットをまわってくれるシティループに乗り込もうとしています。。異国情緒あふれる場所中心に回ってきます。ランプ館にも行ってきますよO田くん。ちなみに写真は神戸駅内部の様子。デザインの良い建築ですね。
</p></p>
<p>
# とにかく神戸は暑い…関西弁のインテネーションにも大分慣れてきた。
</p>
<p>
<center>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/7/a739f1c8.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/7/a739f1c8.jpg', '');" target="blank"><img width="160" alt="koube_station" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/a/7/a739f1c8-s.jpg" class="pict" border="1" /></a>
</center>
</p>
</div>

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@ -1,15 +0,0 @@
---
title: ドンキホーテ
author: kazu634
date: 2005-09-14
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
<img align="left" alt="ドンキホーテ" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/3/8/38dff9fa.jpg" class="pict" height="160" border="1" />ドンキホーテがいました。異人館だけはあるなぁ…
</p>
</div>

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@ -1,33 +0,0 @@
---
title: 旧居留地の風景
author: kazu634
date: 2005-09-14
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- つれづれ
---
<div class="section">
<p>
博物館から次の目的地である大丸デパートに向かっていく途中は、旧居留地と呼ばれる一帯で、明治時代以降の西洋風の建物が残っている地域です(といっても阪神大震災によって修復されていたようですが)。
</p>
<p>
<center>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/5/b/5baa428d.jpg" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/5/b/5baa428d.jpg', '');" target="_blank"><img width="160" alt="居留地01" src="http://image.blog.livedoor.jp/simoom634/imgs/5/b/5baa428d-s.jpg" class="pict" height="120" border="1" /></a>
</center>
</p>
<p>
<center>
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@ -1,15 +0,0 @@
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title: 異人館だけに
author: kazu634
date: 2005-09-14
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@ -1,35 +0,0 @@
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title: 神戸市立博物館
author: kazu634
date: 2005-09-14
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ランプミュージアムの向かいにある神戸市立博物館でベルリン博物館展をしてました。↓の画像の背景にランプミュージアムがあります。
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向こう側に渡ると、ロダン作の彫刻、「ジャン・ド・フィエンヌ」が出迎えてくれます。
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中を見ると、古代ギリシャ・ローマ、ビザンティン、イスラム、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパの芸術について展示がしてありました。気になったのは、中世ヨーロッパ芸術は無表情だということ。よく言われているように、ルネサンスが一大転機となって表情がうまれてくるようでした。中世期の彫刻のほほえみはアルカイックスマイルと呼ばれているんでしたっけ?あの無表情なヤツ。それが次第に変わっていく様子を見てきました。こうした表情というのは、ギリシア・ローマも表情があったので、中世という時代を考えるにあたり大事な切口になるのでしょう。一番最後はニーチェの肖像画でした。なんだかんだ言って、ヨーロッパのセクションはドイツの作品が多かったです。ベルリン博物館だから、当然といえば当然ですが。
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