--- title: 「証拠」の時代 author: kazu634 date: 2008-10-12 wordtwit_post_info: - 'O:8:"stdClass":13:{s:6:"manual";b:0;s:11:"tweet_times";i:1;s:5:"delay";i:0;s:7:"enabled";i:1;s:10:"separation";s:2:"60";s:7:"version";s:3:"3.7";s:14:"tweet_template";b:0;s:6:"status";i:2;s:6:"result";a:0:{}s:13:"tweet_counter";i:2;s:13:"tweet_log_ids";a:1:{i:0;i:4337;}s:9:"hash_tags";a:0:{}s:8:"accounts";a:1:{i:0;s:7:"kazu634";}}' author: - kazu634 categories: ---
成功へのプレッシャーが厳しくなればなるほどに、過程の「正しさ」が重視される。 誰が重視するのかといえば、それはたぶん「主治医の中の裁判官」みたいな、 本来そこにいないはずの誰かなんだけれど。
ルールがいいかげんだった昔、ガイドラインというのは、それを破ることで初めて治癒につながるような ところがあって、治療のやりかたは、医師が違えばみんな微妙に違ってたから、 要するに「勝てばいい」状態だった。
「証拠」の時代になって、ルールの正しさが厳密に検証されるようになって、 ルールは正しさを得た代わり、融通が利かなくなった。「正しく勝つ」ことが求められるようになって、 それはしばしば難しかったけれど、正しさで磨かれたルールは、逸脱することが難しくなった。