--- title: 多賀城〜塩竈〜七ヶ浜を訪ねて date: 2011-04-18T15:04:05Z author: kazu634 images: - "ogp/2011-04-18-00001473.webp" categories: - 旅行 tags: - 七ヶ浜 - 仙台 - 塩釜 - 多賀城 --- 多賀城の実家に帰省していたシリーズの二日目です。実家に帰省と言っても、仙台のホテルに泊まって再び多賀城市に向かったのでした。 There was a problem connecting to Twitter. There was a problem connecting to Twitter. ## 住み込みで働いていたバイト先へ 実は私、学生時代の3年間を住み込みで働いていました。よくよく考えると、宮城県内の第二の実家といえる場所が仙台市宮城野区田子にあります。実は昨日訪ねようとしたのですが、連絡が悪く訪ね人はおらず。。。残念でした。 There was a problem connecting to Twitter. というわけでリベンジしてきました! 住み込みで働いていたバイト先はブロック塀などに亀裂が入っている部分があるものの、基本的には耐震性に問題がなかった模様。震災後もみんなで協力して助けあって生き延びたそうです。実は寮長さんが塩釜にお店を構えているのですが、聞いてみたらお店は流されてしまったとのこと。。。でも、前向きに明るく言っていただいていたので、助かりました。 ここでバイトの後輩から、私が作成したお仕事教本が現役で活躍していることを教えてもらいました。作ったことすら忘れていたのですが、自分が作成したものが役立っていると聞いて嬉しくなりました。 ## 実家へ バイト先に滞在しながら、父親が車で迎えに来るのを待機していました。父の車で実家へ。途中多賀城市内の港沿いの道を進んでもらいました。津波で全てが流されていました。工場地帯、港湾地帯が津波で流されています。港湾としての機能は取り戻しつつあるようでしたが、工場はまだ当分動きそうにはありません。 実家に帰ると、地震があってからこれまでの様子を教えてもらいました。震災地ではだいぶ復興が進んでいて、食料やライフラインはもう復旧しているようでした。働いているうちの弟は「ガソリンが高い」ことを嫌って自転車を購入したと聞きました。復興の段階としては生命にかかわる部分の支援から、次の段階へと進んでいったようです。日常生活を取り戻しつつあるという印象を受けました。 ## 塩釜市内〜鹽竃神社 実家で両親から話を聞いてから、被害の大きかった各地を自転車で回ってきました。地震や津波の被害に遭うというのがどんなものなのか、この目で見て、焼き付けて、これから生きていきたいと思ったからです。 最初は塩竈に向かいました。塩釜では市街地部分が海に面しているため、中心部が津波にさらわれました。でも、通常の生活を徐々に取り戻しつつあるようでした。