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title: 『ひとつ上のアイディア』
author: kazu634
date: 2006-02-11
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- つれづれ
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今日、『ひとつ上のアイディア』を読み終わりました。この『ひとつ上のアイディア』というのは、広告のキャッチコピーを作り上げている人々が日頃どのようなことを考えて、キャッチコピーを作り上げているのかを書いています。
気になったのは↓の部分。
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そう考えると、クリエイティブ・ディレクターとしてのぼくの仕事の原点、あるいは与えられた役割は、「視点」を設定することだと思う。視点が定まれば、コピーはあの人に書いてもらうしかない、デザインは誰にやってもらおうという方針も見えてくる。逆に視点が定まらなければ、何も動かない。
先に360度の方向性を持ちたいと言ったが、それはこの視点の可能性を全方位に求めるということだ。もしある角度からの視点しか持てなくなれば、いつもひとつの考え方とひとつの傾向しか出てこなくなる。
ぼくらの仕事の基本はここにあると思う。つまり、ものの見方は一つではないということだ。この基本的な原則を、血液や筋肉のレベルで実感できているかどうか。ぼくはその一転でクリエイターの才能を見ている。
すぐれたクリエイターは、最初からそれをわかっている。コピーを書くのも、アートディレクションをするのも、テレビのCMを考えるのもすべて同じだ。この基本が身についていなければ、すぐれた表現は出てこない。
もちろん、クリエイターに技術が必要なのはいうまでもない。しかし、ぼくは技術以上に視点が重要だと思っている。実際に、優れたクリエイターは必ず、すばれしい視点を示してくれる。
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だが、正面の視点から自由になるのは決して容易ではない。アイディアを評価するときに用いる言葉を見ても、それは明らかだ。「新鮮」「斬新」「奇抜」。反対側に、既成概念や固定観念がふんぞり返っているのがわかる。
クリエイターはこうした既成概念や固定観念と戦いながら、まったく別の角度からの視点を提供するのが仕事だ。
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最近は、ものにあまり深入りせずに、ものとできるだけ距離を置いたところで、アイディアを発想すれば広告できると思っている人が多い。
そういうスタンスで発想すれば、対象となるものや自称に対する正面の視点から逃れるのは難しくなる。物に対する既成概念や固定観念から抜け出ていないわけだから、どう語ろうとも人の心を打つことはできない。
アイディアや企画は、肉体化してはじめて力を持つものだと思う。対象を客観視するのではなく、自分がその中に入ってしまうぐらいに興味や好奇心を持つ。あるいは愛情さえ持つ。少なくともぼくは、そこまで行かなければアイディアの欠片も浮かばない。
また、視点がユニークであれば何をやってもいいと思っている人がいるが、その考え方には同意できない。ぼくはアイディアや企画は、ある程度、社会的な責任を負うべきだと考えている。
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広告やデザインを見た後の感触をクリエイトしようと思ったら、いまの時代というものをしっかりと把握する必要があります。これはデザイナーであろうが何であろうが、世の中にコミュニケートしようとする仕事においては、最も大切な部分です。
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要するに、最も大変で、最も重要なのは、問題点を探し出すことです。それは絡まってしまったコードを少しずつほどいていくような作業を要するものですが、面倒でも時間をかけて地道に取り組めば、必ず明らかにできます。そして解決策も同時に見えてくる。
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肝心なのは、数学的な背景をきちんと把握した上で、世の中に対して商品の物語をどう描くかです。あるいは、商品を生み出した当事者する気づいていない商品の価値を見つけ出して、それを物語として描けるかどうか。そうした価値の提案が必要になってきているのだと思います。
そして、働きかける相手はあくまで世の中です。本当に得意先のために課題を解決しようと思うのであれば、やはり商品や商品の物語が世の中に効くかどうかを第一に考えるべきだとぼくは思います。世の中に効かなければ、商品は売れません。それでは、得意先が喜ぶことにはならないでしょう。
でも、世の中に効くことをまず考えていれば、商品も売れるわけですから、結果的には得意先のためにもなるわけです。
物語を描くとは、その商品ならではの世の中での位置づけを考え直すということです。そのためには、単純にこの機能がこれだけ優れているという数値やスペック上の話を超えて、その商品によって世の中はどう変わるのか、あるいはどういう価値を提供できるのか、というところを描いて見せなくてはなりません。
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本当のシンプルというのは、削ぎ落として捨て去ることではなくて、じつは足し算作業なのです。
商品にしても企業にしても、訴えるべきことを山のように持っています。イメージや価値の新しさ、背負っている歴史、便利さなど、表現したいことは、20個も30個もあるはずです。そのなかから、いろんなものを削ぎ落として、ひとつだけを残そうとすれば、おかしなことになってしまうのは当然でしょう。
20個なら20個、30個なら30個、そのうちのどれかひとつが企業のアイデンティティなのではなくて、全部合わせたものがビジョンをつくっているはず。だから、引き算ではなく、足し算をするわけです。
でも、もしそのままを足し算の式にしてしまえば、それはただの羅列にすぎません。内容によっては、1時間のCMをつくっても表現しきれない可能性もあります。
それをたったひとつの答えとして解決するのが、すぐれたアイディアです。足すべきものをすべて足して、ひとつの答えを出す。それがぼくのいう本当のシンプル。
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アイディアの本質は意表をつくことにあるとぼくは考えています。
でも、意表をついているだけでは不十分で、半分は正論でなければいけない。つまり、意表をついた正論であること。それがアイディアのあるべき姿だと思う。
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J-フォンの一見からもわかることですが、アイディアは世の中に合わせようとする姿勢からは出てきません。やはり「つぎ」を見せることを目指すべきです。
「つぎ」を見せようとするからには、当然、時代性をつかんでいかなければいけないわけですが、ぼくは時代性をつかむ、あるいはその次代を担うということは、それほど特殊なものではないと考えています。
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だから、ぼくのアイディアはソリューションです。問題を解決するものがアイディアも必要ないということです。
では、どうやってアイディアを生み出すのか。
ぼくは、まず枠をつくらないと考えられないと思います。考えるための枠組みを自分でうまく設定しないといいアイディアは出ないでしょう。仕事で考える以上は期間があるわけですから、無秩序に、際限なく取り組もうとするのはかなり無理があります。
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この編集作業と少し関わりがあることですが、あえて極論すれば、ぼくはアイディアにはオリジナリティなど存在しないのではないかと思っています。すべてのアイディアは引用から始まります。
ときどき、アイディアというものを、天才の産物とか、ものすごく特殊なものであるかのように考える人がいますが、それは違っています。そういう人はアイディアが出せないのではないでしょうか。
結局、自分が考えるものを作り上げていこうとすれば、他から概念などを持ってきて使うわけです。でも、それを使う場も違えば、相手も違う。作り上げたものは同じになることはあり得ない。だから真似でいい。いいどころか、積極的に真似をしなさいと僕はいいたいわけです。もちろん、そのままの盗用は絶対にだめですが。
では、すぐれたアイディアとは何なのか。
それは誰でも考えることを見事にやってのけることです。誰もが思いついてわかっていたけれども、それでもやらなかった、あるいはできなかったことを見事にやってのける。それが本当にすぐれたアイディアです。
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アイディアには必ず目的があります。でも、それを見失ってしまっている人が意外と多いようです。
コピーライター養成講座で教えているときなど、ときどき「このコピーはどういう目的で書いたの?」と尋ねてみるのですが、「課題だから」などと答える生徒はいても、明確に目的を意識できてる生徒はそう多くはいません。
コピーならば、伝えなくてはいけないことや、読んだ人に感じてもらいたいイメージが必ずあるはずです。それが目的です。目的を見失ったままいくら工夫を重ねたところで、すぐれたコピーなど浮かぶことはないでしょう。
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要するに、つまらない案を出せない人に、いい案は出せないということです。いい案だけをひとつ、ポンと出せるというのはあり得ない。
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方法論を考えるときもそうです。人というのは杓子定規に話されたり、折伏されたりすると、あまりいい気がしない。それがどんなに正論でも、いやむしろ正論であればあるほど、反抗してみたくなったりします。
そうかと思えば、思いもかけないことを許したり、逆にごく身近なことが意外に許せなかったりします。人間が理解できていなければ、こうした人間の機微がわからないわけですから、伝わるものも伝わりません。
だから、まずある程度、人間を理解しているということが大前提としてあって、そのうえで、テーマを追いつめていった先に出てくるものがアイディアです。
概念をこねくり回したからといって、生まれるものではありません。