--- title: 学習する方法に唯一正しい方法なんてあるの? author: kazu634 date: 2006-12-24 wordtwit_post_info: - 'O:8:"stdClass":13:{s:6:"manual";b:0;s:11:"tweet_times";i:1;s:5:"delay";i:0;s:7:"enabled";i:1;s:10:"separation";s:2:"60";s:7:"version";s:3:"3.7";s:14:"tweet_template";b:0;s:6:"status";i:2;s:6:"result";a:0:{}s:13:"tweet_counter";i:2;s:13:"tweet_log_ids";a:1:{i:0;i:2701;}s:9:"hash_tags";a:0:{}s:8:"accounts";a:1:{i:0;s:7:"kazu634";}}' categories: - つれづれ ---

 ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読み終わりました。個々人のナレッジワーカーが生産性をいかにして上げるのか、どのようにして決断を下していくのかなどについてかかれています。気になった部分は以下の通り:

 特に一つめの「世界中のあらゆる国のあらゆる学校が、学び方には唯一の正しい方法があり、それは誰にとっても同じであるとの前提に立っているからである。」という指摘には納得。結果的に求められる一定ラインの基準を満たすのに方法なんて関係ない…というのは当たり前のことのはずなのに、それを一つに限定してしまうのはいかがなものかと。基本的なルールを侵犯しない範囲で多様なあり方を模索してみるのもいいのではないかと思う(でも、そうすると教育制度だけでなく、社会全体の仕組みまでも変える必要が出てくるんだろうなぁ…)


プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか