--- title: 恐ろしすぎる指摘 author: kazu634 date: 2008-02-12 wordtwit_post_info: - 'O:8:"stdClass":13:{s:6:"manual";b:0;s:11:"tweet_times";i:1;s:5:"delay";i:0;s:7:"enabled";i:1;s:10:"separation";s:2:"60";s:7:"version";s:3:"3.7";s:14:"tweet_template";b:0;s:6:"status";i:2;s:6:"result";a:0:{}s:13:"tweet_counter";i:2;s:13:"tweet_log_ids";a:1:{i:0;i:3723;}s:9:"hash_tags";a:0:{}s:8:"accounts";a:1:{i:0;s:7:"kazu634";}}' categories: - つれづれ ---

 模倣することは徹底的に簡単であり、何かを作り出さなければならない時代に我々は生きている!

羽生 もちろん、そういう考え方もありうると思うんです。でも、時代の流れというか、共有しないと生き残れない時代になってますから、多勢に無勢という印象はあります。気持ちはわかるんですよ。創造って、手間も時間も労力もものすごくかかるから、簡単に真似されると報われません。私も対局で新しい試みをやるんですが、ほとんどはうまくいかない。仮にうまくいっても、周囲の対応力が上がっているので厳しいものがある。効率だけで考えたら、創造なんてやってられない。

二宮 すぐ追いつかれるということは、創造性を発揮するタイプより、むしろ状況への対応力があるタイプのほうが有利になるということはありませんか?

羽生 そうですね。でも、逆に考えると、創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。だから、何かを創り出すのは無駄な作業に見えるけど、一番大事なことなんじゃないかと。それ以外のことでは差をつけようがないので、最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。

現代将棋が表現する思想 – My Life Between Silicon Valley and Japan

コメント欄も熱い!オシムの本からの引用が!

今の世界は、コンピューターもあれば、テレビもある。テレビの中で誰が何を言っているかを見聞きし、インターネットをみて何かを知る。他にも情報を得られるものはいくらでもある。それに慣れてしまうと、誰か知らない人に操られ、自分の考え方をもう持てなくなってしまう。他人の考えをオートマティックに受け入れ、過ごしてしまうようになるのだ。もし日本人にとってそのほうが楽ならば、人と異なることを考えようとすると疲れてしまうことになるだろう。そうなれば、新しいことを考える必要がなくなってしまうのは当然だ。

だから、まずは自分の頭で考えて欲しい。日本人は世界最高のものを模倣している。まずそれをやめるのだ。客観的に自分の力を見極め、そこから自分の道を探して欲しい。その先にのみ、栄光は待っている。

現代将棋が表現する思想 – My Life Between Silicon Valley and Japan