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title: 「こんなもんでいい」と思いながらつくられた物は、それを手にする人の存在を否定する
author: kazu634
images:
- "ogp/2007-10-26-00000629.webp"
date: 2007-10-26T15:04:05Z
categories:
- 引用
tags:
- book
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 <a href="http://gitanez.seesaa.net/article/55468342.html" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://gitanez.seesaa.net/article/55468342.html', '「丁寧に時間と心がかけられた仕事をするためのワークスタイルDESIGN IT! w/LOVE');" target="blank">「丁寧に時間と心がかけられた仕事をするためのワークスタイルDESIGN IT! w/LOVE</a>で紹介されていた<a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794965850/goodpic-22/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794965850/goodpic-22/', '『自分の仕事をつくる』');" target="_top">『自分の仕事をつくる』</a>を読みました。「いい仕事とは何か」みたいな問題意識を持って、様々なデザイン会社やクリエーターを著者が訪ねるという形式になっています。色々と気になった部分がありました。
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また一方に、丁寧に時間と心がかけられた仕事がある。素材のうまみを引き出そうと、手間を惜しまず作られる料理。表には見えない細部にまで手の入った工芸品。一流のスポーツ選手による素晴らしいプレイに、「こんなもんで」という力の出し惜しみはない。このような仕事に触れるとき、私たちはうれしそうな表情をする。
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人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、常に探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
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「こんなもんでいい」と思いながらつくられた物は、それを手にする人の存在を否定する。とくに幼児期に、こうしたとげに囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。大人でも同じだ。人々が自分の仕事を通して、自分たち自身を傷つけ、目に見えないボディーブローを効かせ合うような悪循環が、長く重ねられている気がしてならない。
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Good design is in the nature of things.
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いい視点はそれが見いだされた時点で、アイディアの展開に入り始めている。
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合理的であること、生産的であること、無駄が無く効率的に行われることを良しとする価値観の先にあるのは、極端に言えば全てのデザインがファーストフード化した、グローバリズム的世界だ。そのゲームから降りて、仕事の中に充実感を求めるとき、私たちには「時間」を手元に取り戻す工夫が求められる。
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世の中で一番難しいのは、問題を作ることです。万有引力の法則におけるニュートンのリンゴのように、問題の凄いところは、出来た瞬間その先に答えがあること。それを作り出すのは、本当に難しいことです。
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出来るだけ自由に、自発的に仕事をしてもらうこと。そして逆説的であること。その仕事の価値や意味を問い続けること。不可能に思えてしまうようなことを提案して、オープンにフレキシブルにね。みんな最初は心のチャックを閉じている。だからメンタルなプロセスを経て、まず心のチャックを開けてもらうこと。限界を課さないで、極限まで行くこと。
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ファシリテーター10ヶ条:&#160;&#160;&#160; <ol>
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主体的にその場に存在している
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柔軟性と決断する勇気がある
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他者の枠組みで把握する努力が出来る
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表現力の豊かさで、参加者の反応への明確さがある
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評価的な言動は慎むべきとわきまえている
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プロセスへの介入を理解し、必要に応じて実行できる
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相互理解のための自己開示を率先できる、開放性がある
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親密性、楽天性がある
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自己の間違いや知らないことを認めることに素直である
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参加者を信頼し、尊重する
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それは「あなたには価値がある」と口で言うことではなく、その人の存在に対する真剣さの強度を態度と行動で体現することだと僕は思う。
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むろん奇跡や偶然は起こる。むしろ、重要なことの大半は主に偶然起こると言っても良いだろう。条件がそろっているようには見えない&#8221;にもかかわらず&#8221;、それを呼び込む才能や運に炊けた人々は確かに存在する。が、その偶然性を活かせる働き方もあれば、気づくことすらない働き方もある。
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いずれにしても大事なのは、自分がしっくり来ないことや疑問に思うことを素通りせずに、常に意識し続けること。自分を大事にすること、自分らしさを模索し続けること。
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中途半端な掘り下げはマスターベーションと評されかねないが、深度を極端に深めていくと、自分という個性を通り越して、人間は何が欲しいのか、何を快く思い、何に喜びを見いだす生き物なのかといった本質にたどり着かざるを得ない。歴代の芸術家や表現者が行ってきた創作活動は、まさにこの繰り返しだ。自我のこだわりだけでなく、世界に開かれた感覚を持ってその仕事を行えるかどうかが、つくり手の器の大きさに当たるのだと思う。
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大事な人が自分のためにつくってくれた物であれば、多少形がいびつでも、それだけの理由で価値が損なわれることはない。が、つくり手との関係性や物語性に欠けるプロダクトは、モノそのものの美しさや機能に評価を集中せざるを得ない。
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ミヒャエル・エンデは、仕事に対する愛はないが頭は良い、そんな人々が作り出す社会を「機能は完璧だけど、本質を全く欠いた世界」という言葉で表現した。
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思いっきり単純化すると、「良い仕事」とは嘘のない仕事を指すのかもしれない。
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私のデザインから生み出されるモノの量を考えると、いつも複雑な気持ちに駆られる。美に関わる職業の中でもうらやましく思うのは、ダンサーと俳優だ。彼らは人々の心に記憶として刻みつけられるモノ以外、何一つ残さないから。
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でも、私と一緒につくるものはその逆です。何の飾りもないから、一つの間違いでもすぐわかってしまうし、私にもその人の腕がわかる。もちろん手作りだから、まったく同じモノはつくれない。やっぱり、みんなちょっとずつ自然と違ってきます。
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自分がどんな場所を気持ちいいと思うか。その判断力がなかったら、気持ちの良い場所を生み出すことなど出来ない。モノ作りは無数の判断の積み重ねだ。もしつくり手が自らの判断力に自信を失ったら、一体何が作れるだろう。
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個人を掘り下げることで、ある種の普遍性に到達すること。自分の底の方の壁を抜けて、他の人にも価値のある何かを伝えることは、表現に関わる人全ての課題だ。
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鈴木さんも言うように、模型は確かに生活必需品ではない。しかし絶対的に必要とされ、その異議があらかじめ約束されているモノなど、この世の中にどれほどあるだろう。
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自分がとことんバカになれることを、忘れないことです。バカをなれることを大事にする。バカをやれることを大事にする</p>