blog/content/post/2008-02-27-00000822.md

48 lines
2.5 KiB
Markdown
Raw Normal View History

2019-03-31 11:00:21 +00:00
---
title: ドイツ人の先生が講演してたので覗いてきた
author: kazu634
date: 2008-02-27
url: /2008/02/27/_881/
wordtwit_post_info:
- 'O:8:"stdClass":13:{s:6:"manual";b:0;s:11:"tweet_times";i:1;s:5:"delay";i:0;s:7:"enabled";i:1;s:10:"separation";s:2:"60";s:7:"version";s:3:"3.7";s:14:"tweet_template";b:0;s:6:"status";i:2;s:6:"result";a:0:{}s:13:"tweet_counter";i:2;s:13:"tweet_log_ids";a:1:{i:0;i:3777;}s:9:"hash_tags";a:0:{}s:8:"accounts";a:1:{i:0;s:7:"kazu634";}}'
categories:
- diary
- 英文学
---
<div class="section">
<p>
 この前の発表で遊びに来ていたドイツ文学の先生に誘われて、ドイツ人の哲学の先生の講演会を聴きに行ってきた。ドイツ語がわからないことに愕然としながら、日本語のハンドアウトと解説を頼りに理解する。
</p>
<p>
 どうやら
</p>
<blockquote>
<p>
哲学という西欧特有の学問体系の限界が19世紀を境にわかってきた。キーワードは歴史主義。哲学は西欧という歴史的風土で形成されてきたものである。
</p>
<p>
また、哲学は西欧という文化的風土の下で形成されてきたものでもある。
</p>
<p>
このことから、哲学は歴史・文化の強い影響下にあることが明らかになってきている。そうした西欧という歴史的・文化的風土に<b>特有な</b>ことを私たちは意識すべきであり、新しい哲学を模索すべきである。その際のキーワードはinter-culturalityだ。
</p>
</blockquote>
<p>
こんな感じのことを言っていた。ドイツ語による質疑応答が応酬され、自分は完全アウェーの雰囲気の中、司会の人が英語でも質問大丈夫と言ったので、質問。「ヴィトゲンシュタインの言語ゲームとどのような関係があるのか?」と質問をした。哲学が歴史的・文化的構築物であるのと同様に、言語も歴史的・文化的構築物なのだから、先生の考えと言語ゲームの間には類似性があるから、その類似についてどう考えているのかを質問。なんかいい質問だったらしい。反応が良かった。
</p>
<p>
<center>
</center>
</p>
<p>
<a href="http://flickr.com/photos/juanrayos/420087810/" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://flickr.com/photos/juanrayos/420087810/', '');" title="MoleskineB 15"><img src="http://farm1.static.flickr.com/150/420087810_08a417fb0c_m.jpg" /></a>
</p></p>
</div>