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+++ title = "わたしはずっと前から、「自分が誰かと仕事をしたら『つぎもあいつと仕事がしたい』と言わせよう」というのがモットーだったんです。" date = 2020-01-27T15:04:05Z description = "『岩田聡はこんなことを話していた』を読んでいて、気になった部分をまとめてみました。" tags = ["book"] categories = ["Quotes"] author = "kazu634" image = "" +++

『岩田聡はこんなことを話していた』を読んでいて、気になった部分をまとめてみました。

岩田聡さんは任天堂の社長だった方で、プログラマーとしても有名な方でした。大学院生くらいの時にほぼ日刊イトイ新聞で掲載された記事を読んでましたが、その記事をまとめたものみたいです。

「あの人が決めるならまあ納得しよう」といってもらうのに、こんなにいい方法はないんですよ

率先垂範ということかと思います:

社長になってからも、開発の責任者は自分がやっていました。「なにがこの会社の強みか」ということを考えたとき、開発を軸に立て直す以外に道はないだろうとすぐにわかりましたから。それは頭のなかで10秒でわかる答えと言ってもいいかもしれません。

わたしはそのとき、自分をつねにいちばん忙しいところに置くと決めていました。社内にチームはいくつかあって、忙しさのピークはずれていたわけですが、わたしはいちばん忙しいチームを応援しにいくことにしていました。

そうしたのは、まず、「そのときにどんな課題があるのかを見つけて分析して解決する力」が、当時、社内の開発者としてはわたしがもっともあると思っていたからです。

いちばんたいへんなところに自分が行くのが、会社の生産性にとってもっとも合理的であり、それと同時に、「岩田にものを決められること」に会社の人たちが納得するためには、問題解決の姿を目の前で見せることが、いちばんいいじゃないですか。「あの人が決めるならまあ納得しよう」といってもらうのに、こんなにいい方法はないんですよ。

自分たちの得意なことが活きるように、苦手なことが表面化しないような方向へ組織を導く

方針を示すということかなと思います:

自分たちは、なにが得意なのか。
自分たちは、なにが苦手なのか。
それをちゃんとわかって、
自分たちの得意なことが活きるように、
苦手なことが表面化しないような方向へ
組織を導くのが経営だと思います。

物事って、やったほうがいいことのほうが、実際にやれることより絶対多いんですよ。

優先順位をつけて、順番を決めて進めていくことが大事。全部いきなりは無理だから:

物事って、やったほうがいいことのほうが、実際にやれることより絶対多いんですよ。だから、やったほうがいいことを全部やると、みんな倒れちゃうんです。

ですから、自分たちはなにが得意なんだっけ、ということを自覚したうえで、「なには、なにより優先なのか」をはっきりさせること。順番をつけること。それが経営だとわたしは思います。

わたしはきっと当事者になりたい人なんです。あらゆることで、傍観者じゃなくて当事者になりたいんです。

こういう生き方には憧れます:

わたしはきっと当事者になりたい人なんです。
あらゆることで、傍観者じゃなくて当事者になりたいんです。
誰かのお役にたったり、誰かがよろこんでくれたり、
お客さんがうれしいと思ったり、
なにかをもたらす当事者でいつもいたいんです。
当事者になれるチャンスがあるのに、それを知りながら、
「手を出せば状況がよくできるし、
なにかを足してあげられるけど、
たいへんになるからやめておこう」
と当事者にならないままでいるのは
わたしは嫌いというか、そうしないで生きてきたんです。
そうしないで生きてきたことで、たいへんにもなりましたけれども、
たくさんおもしろいことがありました。
「後悔したくないし、力があるならそれを全部つかおうよ」
という感じなんですね。

わたしはずっと前から、「自分が誰かと仕事をしたら『つぎもあいつと仕事がしたい』と言わせよう」というのがモットーだったんです。

これには同意です。「もうあいつとはごめんだ」なんて言われたくないですから:

わたしはずっと前から、
「自分が誰かと仕事をしたら
『つぎもあいつと仕事がしたい』と言わせよう」
というのがモットーだったんです。
それは自分のなかにつねに課していたつもりです。
だって、もうあいつとはごめんだ、とは、
言われたくないですからね。

わたしがもしも昔の時代にいたら、いま任天堂がやっているのと同じような方法を取ったと思うよ。でも、環境が変わったでしょう?周囲が変わったでしょう?ぼくらが変わらなかったらどうなる?ゆっくり縮小していく道を選ぶ?

環境が変わったら、自分たちも変わらなければいけないということかと思います:

「わたしがもしも昔の時代にいたら、いま任天堂がやっているのと同じような方法を取ったと思うよ。でも、環境が変わったでしょう?周囲が変わったでしょう?ぼくらが変わらなかったらどうなる?ゆっくり縮小していく道を選ぶ?それとも、もっとたくさんの人が、未来にぼくらのつくったものでよろこんでくれるようになる道を選ぶ?」ということなんです。

それから、新人って、どういうわけか、明らかに説教しやすい人と、しにくい人がいるんですよ。安心して「バカもん!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんです。

学生の時にこの記事を読んで、「どうやったら説教してもらいやすくなるんだろう」って考えた記憶があるような、ないような:

それから、新人って、どういうわけか、明らかに説教しやすい人と、しにくい人がいるんですよ。安心して「バカもん!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんです。

これって、実はものすごい差なんです。こちらから与えられる量も、その人が吸収できる量も、最終的に大きく変わってくる。「バカもん!」と言われやすい人は、ものすごくたくさんのことを短期間に学べるんです。

そして、「バカもん!」って安心して言える人が入ってくると、じつは職場の人たちはすごくうれしい。いや、もちろん、「ぜひ、バカなことをしなさい」といっているんじゃないですよ (笑)。

どういう人が気持ちよく「バカもん!」と言われるかというと、おそらく動機や行動が純粋で、悪気がないこと。言われたときに打たれ強いかどうかということではないですね。そして、前提として、たとえたしなめたとしても、こちらが「その人の人格を否定してない」ということが相手に伝わっていること。その信頼感がお互いにあるからこそ、安心して「バカもん!」と言えるんだと思います。

たとえ、知識もスキルもないとしても、「あなたの言うことを受け入れる用意があります」っていうことがその人から伝わってくるなら、できていないことや、やらなければならないことをきちんと言えるし、言われたほうもそれを学ぶことができるんですよね。

逆に腫れ物に触るように叱らなくてはならない人っていうのは、「ここからは入ってこないでください」っていうバリアーみたいなものを、周囲に感じさせてしまう人なんでしょうね。そこに踏み込んでしまうと、その人のことを壊してしまうんじゃないかと、まわりの人たちが気づかってしまうというか。その人がなにを大切にしているのかがわかっていれば、安心して「バカもん!」って言えるんでしょうけど、大切な物がなんだかわからない人には、怒ったらその人の大切なものを意図せず踏みにじってしまうかもしれないという恐怖がありますからね。

怒ったり、説教したりすることって、やっぱり気をつかいますし、それなりに恐怖もある。だから、自分が言うことを新人を受け入れるつもりでいるかどうか、いい顔でこちらを見ているかどうかと言うのは、とても重要なことだと思います。

わかりやすくいうと、なるべくなら、「ほんとうにやりたそうにしてる人」に仕事は渡したいんですよ。人間ですからね。嫌そうにしている人に大切なことを任せたい人なんかいないですよ。

仕事はやっぱりたいへんだし、嫌なことはいっぱいあります。きっと、我慢もしなきゃいけません。ですけど、おそらく、その人にとって「仕事がおもしろいかどうか」というのは、「自分がなにを楽しめるか」という枠の広さによってすごく左右されると思うんです。

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。
ほぼ日刊イトイ新聞
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