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Raw Blame History

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Numberからの引用 kazu634 1969-12-31 /1970/01/01/_7/
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メモ
  • でも周囲がやめろ、と言えば言うほど反対に行くっていう、あつい心の持ち主だからね、ダルビッシュは。意気に感じるというか。これはスポーツの世界のいいところだ。政治、音楽の世界では意気に感じることなんてまずない。でもスポーツ界にはなくてはならないものだし、これはもう男だけに通じるものなんだ。(江夏豊 on ダルビッシュ)
  • 賞金王というのがいったい何なのか、よくわからないんです。アメリカの試合に出られるとか、凄いことなのはわかるんですけど、現実感がないというか。プロになるにしても、高校を卒業してテストを受けて、段階を踏んでいくものとばかり思っていました。うちは普通のサラリーマンの家庭だし、主人も私も普通の家族で生まれ育って、遼が特別な星の下に生まれたなんて思ったこともないんです。 (石川遼の母)
  • あれから主人は、遼が掲げた夢を手伝うなら本気で取り組もうと思ったんでしょうね。今思えば主人を責めたことは悪かったなと思います。それまでは残業続きで朝早く夜も遅かった人が、定時に帰り車で遼のいる練習場に向かうようになった。仕事を捨てたというわけではないんですけど、仕事を減らして、遼に重点を変えたのかな、と。当時はあまり気にしてはいなかったんですけど、今思うと、普通はそこまではできないですよね。 (石川遼の母)
  • 子供が国会中継の首相演説を見て、将来、総理大臣になりたいというようなものです。そのときは、絶対に無理だと思いましたよ。今でも、日本人が優勝するのは、99.9% 無理だと思う。だけど・・・子供の夢に対して、そんなの無理だという親はいないんじゃないですか。じゃあ頑張ろうなと。真剣に向き合おう、と。 (石川遼の父)
  • 幼い遼がマスターズで勝ちたいと言った。僕は朝の5時から車のエンジンをかけて、寒かろうが、雨が降ろうが、子供をゴルフに引っ張っていく。周囲からは、あの家族バカじゃないの異様だよね、と思われたでしょう。でも、やってる本人が充実していればいいんじゃないですか。無理だと思っても、やってみなければわからない。たとえ失敗しても、衛生堂々と戦ってその場でぶっ倒れた方が清々しい。勝つことが目的じゃない。戦うことが目的なんだ。それが男の人生なんだと。僕は遼にゴルフは教えてませんが、どんなにつらくても自分の立てた目標に責任を持って生きていくんだ、ということは教えたかもしれない・・・まぁ、『老人と海』の世界なのかもしれませんが。 (石川遼の父)