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やっぱり人間への関心って大事だと思うのです。自分は。 | kazu634 | 1969-12-31 | /1970/01/01/_66/ |
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id:umedamochioさんがこんなことを言っている。
その話というのは「皆さんは、人間への関心をどのくらい、どのように持っていますか」ということです。理系の人間に囲まれて暮らしていると、彼ら彼女らが「モノへの強い関心」を持ちながら暮らしているのがとても印象的です。でも法律にたずさわる仕事をする人には、「人間への強い関心」を持つことが不可欠ではないかなと思ったのです。司法試験を受けようとするような人たちは皆、成績優秀なエリートたちでしょう。でも、法律が取り扱う相手は、よほど特殊な専門分野を選ばない限り、基本的に「何万人に一人」のエリートたちではありません。あらゆる境遇のあらゆる種類の人たちの、やむにやまれぬギリギリのところでおこなう行為と向き合うのが法律の仕事ではないか、と僕は常々思っている、という話をいくつかの実例を挙げながら話しました。
「頭はいいけど、人間に対する関心なんかまったくない人は、法律なんかより別のことやったほうがいいんじゃない?」
すごく同意してしまった。
自分は色々あって研究者を目指せなくなってしまったけれど、研究者を目指そうとしている人で明らかに向いていないのではないかと思う人がいたりする。うまくは言い表せないのだけれど、「自分が関心を持って問題としたいことが万人にとっても同様に興味深い問題だ」と無邪気に信じている人がいる。たしかにそうした人が提起する問題は断片的には興味深いのだけれど、ある一冊の小説について、あるいは、ある作家について論じるという視点が欠けているような気がする。そういった人たちは頭は良いのかもしれないけれど、なんかセンスがないような気がしてならない。
これまでの先行研究を踏まえれば、ホットなトピックというものが確かに存在しているはずだし、それについて何らかの解決を迫るようなことを言えば、誰もが固唾をのんで集中して話を聞くように思う。それに対して、これまでの流れを無視して自分勝手に話し始めて、何で自分が提起した問題が意義深いのかを説明できないまま話し続けられても、くだらないおしゃべり程度にしか思えなかったりする。そうした「センスのない」人は、発表を「自分の考えを表現する場」と捉えているみたいだ。自分の少ない経験から考えると、ホットなトピックに触れずに「Look at me!」と主張しても誰も話を聞いてくれない。それに対して、ホットなトピックに言及し、「Here’s what you are looking for」というような導入を行えば、後は黙って集中して話を聞いてもらえた。
文学研究というのは色々なジャンルがあるけれども、これまでの積み重ねを踏まえた上である小説なり作家について自分がどう思うかを論理的に述べることがメインの、とても人間的な学問領域と言える…と思う。作品の文脈から切り離して知識をひけらかされても、面白いとは思われていない。「センスのない」人はこの「これまでの積み重ねを踏まえ」とか「作品の文脈」みたいな部分についての意識が欠落していることが多い気がしてならない。自分がこれまで蓄えてきた知識に触れる部分をうまく当てはめればいいと思っているのだろうか?そんな記憶力の勝負で勝敗が決まるようなことをしているのだとすれば、地頭のいい東大の人たちに太刀打ちできなくなるのですが。。。作品を読んでいく中で自分が感じることに耳を澄ませ、それがホットトピックとどういう関連があるかを考えることが重要ではないのかと思うのです(もちろんそれには自分の考えを補強するために膨大な量の資料をあさることが必要になるのですが)。ホットトピックに関係する個人的な感想・直感を客観的に立証していく…という矛盾にあふれた行為とも言えるのかもしれない。
人間に関心がなければ、作品を読みこなし、深く読むことは不可能だ。自分の考えを他人に伝えるのにも、人間に関心を持つことが不可欠だ。
自分はこんなことを先輩たちから仕込まれてきたから、後輩たちには伝えていきたいとは思うのだが、うまくいかなかったりする。でも、自分が先輩から引き継いだことは後輩にも伝える義務があると思う。頑張ろうっと。