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”What Business Can Learn from Open Source”を読んで考えたこと kazu634 2005-08-06 /2005/08/06/_70/
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つれづれ

Paul Graham氏によるエッセー、“What Business Can Learn from Open Source”を読んで船乗りについてや自分が専門とするConradについて考えたことを書いてます。


Paul Grahamは次のように述べている。

Were funding eight new startups at the moment. A friend asked what they were doing for office space, and seemed surprised when I said we expected them to work out of whatever apartments they found to live in. But we didnt propose that to save money. We did it because we want their software to be good. Working in crappy informal spaces is one of the things startups do right without realizing it. As soon as you get into an office, work and life start to drift apart.
That is one of the key tenets of professionalism. Work and life are supposed to be separate. But that part, Im convinced, is a mistake. (my italics)

このprofessionalismという語がキーワードになっているのだろう。professionalismという考えが生まれ発達して行くにつれて、仕事と生活が乖離し始めた、とPaul Grahamは述べている。

自分が専門とするConradという作家は船の世界の大転換期に船乗りとして働いていた。Conradは帆船から蒸気船へと船の動力が風から蒸気に変わる中で働き、帆船と蒸気船のどちらにも船員として勤務していた。そのConradは、帆船の方がよいと考えている。理由は、帆船の中で自然に育まれる連帯感・責任感などといった倫理的側面を重視するものだった。つまり、帆船は仕事と生活が重なるものだったのではないだろうか。一つの目的、つまり目的地にたどり着くために、船員は船長の号令のもと協力して働かなければならない。もしも非協力的な態度を取れば、自分の命すらも危ない―そんな環境の中で帆船乗りというものは独自の倫理的価値観を育んできたのだと考えられる。

そうした生活と仕事が混然と一つになっていた状況に変化をもたらしたものとして蒸気船が考えられはしないだろうか。蒸気船は船乗り達から仕事を奪う。何もしていなくても船は目的地に向かってまっすぐに進む。帆船は風を頼りに進むためにどうしても蛇行しながら目的地に進むのとは対照的だ。船は時間通りに進む、機械的なものへとなった。蒸気機関を動かし続けることができれば船は進む。それ以外のこと、例えば帆を張るだとか、風向きを考えて舵を取るだとかということ、は船乗りの仕事ではなくなった。船乗りの仕事に余暇ができたのである。このことを船乗りの仕事と船上の生活を分離させたと考えられはしないだろうか。少なくとも、帆船乗りよりも多い余暇を汽船乗りは持っていた、と言うことはできる。

このように生活と仕事が分離し始めると、それまで職人芸のようにして伝達されてきた船乗りとして経験・技が伝達されなくなっていったのではないだろうか。新しい世代の船乗りにとって帆船乗りの経験や技というものは時代遅れのものにしか感じられないだろうから。【注1】だが、そうした古い価値観の中にこそ大事なものがあると、Conradは述べたいのではないだろうか。そうした大事な価値観を育むことができなかった、古い世代との会話が断絶した若い世代としてLord Jim【注2】のジムを導入したのではないだろうか。ジムが最後に乗っていた船は汽船であったことも偶然ではないはずだ。


  • 注1 私はここで、コンピュータにおけるCOBOLプログラマーと新しい世代のプログラマーのことを念頭に置いている
  • 注2 コンラッドの長編小説。1900年刊。船客を捨てて難破船を逃れた若い航海士ジムは、自分がそのような人間であることを認めることができず、マレーの奥地に隠れ、その土地で最も尊敬される人間になることによって己の過去から逃れようとするが、海賊ブラウンの奸計のために現地人の信頼を裏切る結果になり、潔くみずから死に赴く。自己理想化の美しさとその裏にある自己欺瞞、エゴティズムを語り手マーローによってえぐり出させ、人間の内奥を仮借なく追求した、実存的で、テーマ、手法ともにきわめて現代的な小説。