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Raw Blame History

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Saint Exupery & Henry Guilleumet kazu634 2006-02-22 /2006/02/22/saint-exupery-henry-guilleumet/
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つれづれ

こども宇宙館

 久々に興奮していますO田くんのタレコミでこども宇宙館というところで、『人間の土地』(サン・テグジュペリ著・英訳: Wind, Sand, and Stars)でサン・テグジュペリが触れていたギヨメのエピソードが映画として公開されているじゃあないですか!!!これは熱い!!!

 このギヨメのエピソードというのは、「僚友」(Comrade)の節で紹介されているエピソードで、サン・テグジュペリが自分の航空会社に勤めていた時代の僚友について書いた節です。うで、そのギヨメという同僚が冬のアンデス山脈を飛行機で飛んでいて、不時着してしまい、一週間ほどアンデス山脈をさまよいながらも無事に生還した…というのは一応の筋です。とりあえず、『人間の土地』から引用しつつ筋を追ってみます。

 五十時間以来、きみは行方不明になっていた。冬、アンデス山脈横断の途中で、パタゴニアの奥地からやって来て、ぼくはメンドサで、操縦士ドーレイと一緒になった。二人は別々に、五日間ぶっ通しで、機上からあの山岳の重なりあいの上をたずねまわったが、ついに何ものをも見いだしえなかった。[…]ぼくらは救出のあらゆる希望を失った。あの国の密輸業者達、日頃五フランもらって犯罪を請け負うほどの山賊どもまでが、救援隊に加わって、あの山腹を捜索するのはごめんだと断ったものだ、[…]。

 最後に七日目のこと、ある着陸と離陸のあいだに、ぼくが、メンドサのあるレストランで、昼食をしていたときのことだ、一人の男が、入り口のドアをあけて叫んだ。それは、ほんのわずかな言葉でしかなかった、

―ギヨメが生きてる!」

 すると、そこに集まっていた見ず知らずの人たちが、おたがいに抱き合った。

 十分の後、ぼくは、ルフェーブルとアブリの二人の機関士を乗せて、離陸していた。四十分後、ぼくは、どうしてそれとわかったか知らないが、とにかく、きみをどこかサン・ラファエル方面へ運んでゆく自動車だと認めて、とある道ばたへ着陸した。じつになんとも言えない邂逅だった。ぼくらはみんな泣いていた。そしてぼくらはきみをぼくらの腕の中で()しつぶした、生きている君を、蘇生した君を、きみ自身の奇跡の創造者なるきみを。その時だ、君が口をきいたのは、それがきみの聞き取れる最初の言葉だった、それは賞賛すべき人間としての矜恃の言葉だった、「ぼくは断言する、ぼくがしたことは、どんな動物もなしえなかったはずだ」と。

この後に、ギヨメの遭難の回想が始まっていきます。お気に入りの部分はここ。

 きみはあらゆる誘惑に耐えた。きみは言った、「雪の中では自己保存の本能がまったく失われてしまう。二日三日四日と歩きつづけていると、人はただもう睡眠だけしか望まなくなる。ぼくも眠りたかった。だがぼくは、自分に言い聞かせた、ぼくの妻がもし、ぼくがまだ生きているものだと思っているとしたら、必ず、ぼくが歩いていると信じているに相違ない。ぼくの僚友達も、ぼくが歩いていると信じている。みんながぼくを信頼していてくれるのだ。それなのに歩いていなかったりしたら、ぼくは意気地なしだということになる」と。

[…]

 「ぼくは最期が近づいていることを、さまざまの兆しで察した。兆しの一つはこうだ。だいたい二時間おきにぼくはどうしても立ち止まらずにはいられなかった。これは靴を少しずつ切って広げるためだったり、腫れあがった足を雪でこするためだったり、または単に心臓を休ませるためだったりした。ところが、最期の一日二日となると、ぼくは記憶を失っていた。ぼくの中に明かりが射して気がつくのは、すでに歩き出してからだいぶ時が過ぎてからだった。ぼくは休むたびに必ず何ものかを置き忘れてきた。最初は片方の手袋だった!なにしろ寒いものだから、この忘れ物は重大だった!ぼくはそれをはずして自分の前に置いたのだが、そのまま拾い上げずに来てしまった。つぎは時計だった。つぎがナイフ。つぎが磁石。一度休むたびに、ぼくは貧困を加えた……。

 救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すことだ……」

うで、最終的に語り手(おそらくサン・テグジュペリ)のコメントが入ります。

 ぼくがきみを看取っていたメンドサのあの病室で、きみはやがて息苦しそうに眠りに落ちていった。ぼくは思ったものだ。人が彼の勇気を賞賛したら、ギヨメは肩をピクつかせるだろう。だがまた人が彼の謙譲ぶりを称揚するとしたら、これまた彼に対する裏切りだ。彼はそのような、ありきたりな美徳の彼岸に身を置いている。勇気を誉められて彼が肩をぴくりとさせるのは、彼の聡明さがさせるのだ。彼は知っている、何人にもあれ、一度事件の渦中へ入ってしまったら決して恐れたりするものではないと。人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、それに向かって挑みかかる者にとってはすでに未知ではない、ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと。ギヨメの勇気は何よりも、彼の端正さの結果に他ならない。

 彼の真の美質はそれではない。彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある、自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友達に対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。彼には、かしこ、生きている人間の間に新たに建設されつつある物に対して責任があった。それに手伝うのが彼の義務だった。彼の職務の範囲内で、彼は多少とも人類の運命に責任があった。

 彼もまた、彼らの枝葉で広い地平線を覆いつくす役割を引き受ける偉人の一人だった。人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に荷担していると感じることだ。

 世人はよくこの種の人間を、闘牛士や賭博者と混同したがったりする。世人は彼らが死を軽んじる点を吹聴する。だが、ぼくは死を軽んじることを大したことだとは思わない。その死がもし、自ら引き受けた責任の観念に深く根ざしていない限り、それは単に貧弱さの現れ、若気の至りにしかすぎない。[…]


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