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学習する方法に唯一正しい方法なんてあるの? | kazu634 | 2006-12-24 | /2006/12/24/_418/ |
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ドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読み終わりました。個々人のナレッジワーカーが生産性をいかにして上げるのか、どのようにして決断を下していくのかなどについてかかれています。気になった部分は以下の通り:
- もう一つ仕事の仕方について知っておくべきことは、仕事の学び方である。学び方は、読み手か聞き手かという問題以上に深刻な状況にある。なぜならば、世界中のあらゆる国のあらゆる学校が、学び方には唯一の正しい方法があり、それは誰にとっても同じであるとの前提に立っているからである。
- 正しい決定のための原則はない。だが、指針とすべき考え方は明確である。個々の具体的な状況に置いて、行動すべきか否かの意志決定が困難なケースはほとんどない。第一に、得るものが犠牲やリスクを大幅に上回るならば行動しなければならない。第二に、行動するかしないか、いずれかにしなければならない。二またをかけたり、間を取ろうとしてはいけない。
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リーダーと似非リーダーとの違いは目標にある。政治、経済、人事など現実の制約によって妥協せざるを得なくなったとき、その妥協が使命と目標に沿っているか離れているかによって、リーダーであるか否かが決まる。リーダーが真の信奉者を持つか、日和見的な取り巻きを持つにすぎないかも、自らの行為よって範を示しつつ、いくつかの基本的な基準を守り抜けるか、捨てるかによって決まる。
リーダー足ることの第二の要件は、リーダーシップを、地位や特権ではなく責任と見ることである。優れたリーダーは常に厳しい。ことがうまくいかないとき、そして何事もだいたいに置いてうまくいかないものだが、その失敗を人のせいにしないウィンすとん・チャーチルが使命と目標を明確に定義したリーダーの範とするならば、第二次大戦中にアメリカの参謀本部議長を務めたジョージ・マーシャル将軍は、責任を負うリーダーの範である。ハリー・トルーマンがよく口にした「最終責任は私にある」との言葉も、リーダーの本質を示している。
真のリーダーは、ほかの誰でもなく、自らが最終的に責任を負うべきことを知っているが故に、部下を恐れない。ところが、似非リーダーは部下を恐れる。部下の追放に走る。優れたリーダーは、強力な部下を求める。部下を激励し、前進させ、誇りとする。部下の失敗に最終的な責任を持つが故に、部下の成功を脅威とせず、むしろ自らの成功と捉える。
リーダーはうぬぼれの強い人であることがある。マッカーサー将軍にいたっては、ほとんど病的だった。逆に控えめな人であることもある。リンカーンやトルーマンにいたっては、劣等感を持っていたとさえ言って良い。しかし彼ら三人はいずれも、周りに有能で、独立心のある自信家を集めていた。部下を励まし、ほめ、昇進させた。この三人とは全く違うタイプのアイゼンハワーも、ヨーロッパ連合軍最高司令官を務めていたとき、そのようなリーダーだった。
もちろんリーダーといえども、有能な部下は、得てして野心家でもあるというリスクを十分知っている。しかしそれは、凡庸な部下にかしずかれるよりは、遙かに小さなリスクであることを自覚している。
真のリーダーは、人間のエネルギーとビジョンを創造することこそが、自らの役割であることを知っている。
リーダーたる第三の要件は、信頼が得られることである。信頼が得られない限り、従う者はいない。そもそもリーダーに関する唯一の定義は、付き従う者がいるということである。
信頼すると言うことは、必ずしもリーダーを好きになることではない。常に同意できるということでもない。リーダーの言うことが真意であると確信を持てることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。リーダーが公言する信念とその行動は一致しなければならない。少なくとも矛盾してはならない。
もう一つ、古くから明らかになっていることとして、リーダーシップは賢さに支えられるものではない。一貫性に支えられるものである。
特に一つめの「世界中のあらゆる国のあらゆる学校が、学び方には唯一の正しい方法があり、それは誰にとっても同じであるとの前提に立っているからである。」という指摘には納得。結果的に求められる一定ラインの基準を満たすのに方法なんて関係ない…というのは当たり前のことのはずなのに、それを一つに限定してしまうのはいかがなものかと。基本的なルールを侵犯しない範囲で多様なあり方を模索してみるのもいいのではないかと思う(でも、そうすると教育制度だけでなく、社会全体の仕組みまでも変える必要が出てくるんだろうなぁ…)
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか