blog/content/post/2007-12-11-『政治的無意識―社会的象徴行為と...

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title: 『政治的無意識―社会的象徴行為としての物語』
author: kazu634
date: 2007-12-11
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categories:
- 修論
- 英文学
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<div class="section">
<a name="seemore"></a></p>
<h4>
</h4>
<h5>
歴史化を行う手続き(9)
</h5>
<ol>
<li>
対象を考察する道筋: 事物それ自体の歴史的起源を探る方法
</li>
<li>
主体を考察する道筋: その事物を理解しようとする際に用いられる概念なりカテゴリーの無形の歴史性を探る方法
</li>
</ol>
<p>
この本では、二番目の方法で行くよ!
</p>
<h5>
仮説(9)
</h5>
<blockquote>
<p>
私たちは、モノ-それ-自体の新鮮さを失わないテクストに直に触れることはあり得ない。むしろテクストは、いつも-すでに-読まれたものとして、私たちの前に送り届けられる。それ以前になされた解釈が埋もれている沈殿物の分厚い層を通して、あるいは―もし、そのテクストが新品ならば―それ以前の解釈の伝統の中で育まれた読みの習慣やカテゴリーを通して、私たちはテクストを把握するしかない。
</p>
</blockquote>
<p>
だから、研究対象はテクストそのものじゃなくって、解釈だよ!
</p>
<h5>
解釈 (10)
</h5>
<blockquote>
<p>
解釈というものを、ここでは、本質的にアレゴリカルな行為、つまり、所与のテクストを特定のマスターコードを参照して書き換える行為と捉えることにしよう。マスターコードがいかなるものかをつきとめさえすれば、さまざまな解釈コードの評価に移れる。
</p>
</blockquote>
<p>
</p>
<h4>
第一章
</h4>
<h5>
文学テクストの政治的解釈を優先すべきである(18-)
</h5>
<ul>
<li>
ある種のテクストから、社会的、歴史的―そしてしばしば政治的―な共鳴音が聞き取れる(→過去の文化と考古学的関係を結んで満足している文学史的研究)
</li>
<li>
過去から特定のテクストを選び取り、そのテクストを独自の美的観点から、またとりわけ、モダニズム的(いや、もっと正確に言えば、ポスト-モダニズム的)観点から、書き換える作業(→現代的「妥当性」あるいは現代性の投影)
</li>
</ul>
<p>
この二つの選択肢のいずれも選べない状況、このイデオロギー的ダブルバインド、これこそ、歴史主義の古きジレンマを示す何よりの証拠だ。
</p>
<p>
これからの分析ではこいつを前提とするよ:
</p>
<blockquote>
<p>
真正の歴史哲学だけが、過去の文化や過去の社会の特殊性並びに根源的な際を正しく認識できるし、その時合わせて、過去の文化や社会に存在した、論争や情念、社会と文化の形態や構造や経験そして闘争が、現在のそれと連帯しあえることを解き明かせるだろ。
</p>
</blockquote>
<p>
ただし、真正の歴史哲学はごまんとはないよ!それに現在の消費資本主義世界と多国籍企業体制の中で、まだ使えそうな有効な歴史哲学はほとんど残っていそうにない!
</p>
<p>
それに引き替え、ただマルクス主義だけが、先に述べた歴史主義のジレンマを、哲学的に見ても首尾一貫し、イデオロギーとしても火とを納得させずには置かない形で解決できる。こいつが筆者の主張!
</p>
<p>
もし過去の出来事が、単一の大きな集団的物語という統一体の中で、語り直されるならば、私たちはとうの昔に死に絶えた諸々の問題が自分に語りかけてくる声をつかの間聴くことができる。
</p>
<p>
</p>
<p>
もし過去の出来事が、単一の大きな集団的物語という統一体の中で、語り直されるならば
</p>
<blockquote>
<p>
「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である。自由民と奴隷、貴族と平民、君主と農奴、ギルドの親方と徒弟―要するに抑圧する者と抑圧される者―とは、常に対立し、ときには隠れた、ときには公然たる闘争を、絶え間なく行ってきた。そしてこの闘争は、いつでも、社会全体の革命的改造に終わるか、あるいは、あい戦う階級の共倒れに終わるかの、いずれかだった」。この途切れることなくつづいている物語の様々な痕跡を追跡すること。この原基的歴史の、抑圧され埋葬された現実を、テクストの表面に呼び戻してやること。これをおこなうときに、大いに役立つもの、そしてなくてはならぬもの、それが政治的無意識の原理である。
</p>
</blockquote>
<p>
「政治的無意識」とはなんぞ???:
</p>
<blockquote title="Political consciousness:title - Wikipedia, the free encyclopedia" cite="http://en.wikipedia.org/wiki/Political_consciousness">
<p>
Consciousness typically refers to the idea of a being who is self-aware. It is a distinction often reserved for human beings. This remains the original and most common usage of the term. But a line of political and philosophical inquiry opened up which explores consciousness in terms of one&#8217;s political state of mind.
</p>
<p>
Following the work of Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Karl Marx outlined the workings of a political consciousness. For Marx, consciousness describes a person&#8217;s political sense of self. That is, consciousness describes a person&#8217;s awareness of politics. For Marx, an authentic consciousness was linked to understanding one&#8217;s true position in History. While Hegel placed God behind the workings of consciousness in people, Marx saw the political economy as the engine of mind.[1]
</p>
<p>
In the 20th century, many social movements and intellectuals have developed this use of consciousness.
</p>
<p>
<cite><a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Political_consciousness" onclick="__gaTracker('send', 'event', 'outbound-article', 'http://en.wikipedia.org/wiki/Political_consciousness', 'Political consciousness &#8211; Wikipedia, the free encyclopedia');" target="_blank">Political consciousness &#8211; Wikipedia, the free encyclopedia</a></cite>
</p>
</blockquote>
<h5>
政治的無意識
</h5>
<p>
文化的産物を社会的象徴行為として暴く多様な道筋を探ってみよう―政治的無意識の存在を主張して提案したいのも、このことなのだ。これはまた、冒頭で列挙した解釈法に対抗する、新しい解釈法構築のプロジェクト案と言っても良い。
</p>
<p>
だが、このプロジェクトの成就には、様々な解釈学がすでに発見した者に不良品のレッテルを貼るだけでは十分ではない。新しい解釈学の方が、他のもっと専門的な解釈コードよりも、究極的には哲学と方法論の面で優位に立つことを立証せねばならない
</p>
<h5>
解釈の分類
</h5>
<dl>
<dt>
秘儀的
</dt>
<dd>
政治的読解(歴史の集団的「意味」)
</dd>
<dt>
道徳的
</dt>
<dd>
心理的読解(個人主体)
</dd>
<dt>
アレゴリー的
</dt>
<dd>
アレゴリーの鍵もしくは解釈コード
</dd>
<dt>
字義的
</dt>
<dd>
歴史的・テクスト的指示対象
</dd>
</dl>
</div>