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Raw Blame History

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何でも作れるさ (Rands in Reposeより) kazu634 2008-11-08 /2008/11/08/_1143/
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Translation

BEST SOFTWARE WRITING』で触れられていたRands In Reposeの記事を暇に任せて訳してみたよ。元記事は「Rands In Repose: Build Anything」。yes-folkがよくわかってないかも。

エンジニアの口癖「十分な時間さえくれたら、何でも作れるよ」を枕として話を始め、そこから健全な楽観主義に話を移し、健全な楽観主義が窮地に陥ったときにそこから脱出するのに必要だと言います。話は一転、アメリカ合衆国が直面する経済危機になり、私たちに必要なのはinsane optimistsだと主張しています。「エンジニアvsスーツ」というよくある構図を巧妙に「国家再建に燃える人vs国家再建の実現に疑問を持つ人」というようにすり替えていっているのかな

なんとなくオバマと同じセリフがあったから…という軽い気持ちで訳してみたけれど、これすごくいい文章では…

追記:

コメント欄で気になった:

Be an enabler, not a barrier.

何でも作れるさ

As an engineer, if you want to piss off someone who is asking you whether you can or cant build a thing, just say, “Given enough time, I can build anything”.

これこれこういったものが作れるかどうかと尋ねてくる人をエンジニアとして怒らせたいのなら、ただこう言えばいい: 「十分な時間をくれたら、何でも作れるよ」って。

Theyll believe youre dodging the question, and theyll think youre arrogant.

その質問をした人は質問を言い抜けていると感じて、あなたのことを傲慢だと考えるだろう。

As a means of negotiating a schedule or a feature, this answer is not helpful. You need to take the time to explain your thinking to this person. You need to walk them through your development process. Its an opportunity to educate and not come off like a jerk.

スケジュールやある機能について交渉する方法として、この解答は役立つものじゃない。あなたは時間を取って自分が考えていることを質問をしてきた人に説明する必要がある。彼らに一連の開発プロセスをざっと納得させる必要がある。これは彼らを教育する機会であって、くだらないこととして片付けていい機会じゃないんだ。

However.

しかし、だ。

Given enough time, an engineer can build anything.

たしかに、十分な時間さえ与えられれば、エンジニアは何でも作ることができるんだ。

Im optimistic.

私は楽観主義だ。

And I hire optimists.

そして私は楽観主義者を雇う。

Like any profession, software development is chock full of radically different personalities, but I want the optimists. Im not looking for Yes-folk; Im looking for those folks who, when backed into a corner with a gun to their heads, respond with, “Fuck it, were going to figure it out”.

他の職業と同じように非常に異なる個性が集まってソフトウェア開発は行われるものだが、私がほしいのは楽観主義者なんだ。単に状況を受け入れる人を求めてなんかいないんだ。私が求めているのは、銃を頭に突きつけられて窮地に陥ったときに、「くそったれ、何とかこの状況を打開してやる」と答える人だ。

This base optimism can be hidden in all types of personalities, but when the shit hits the fan it shows up and often creates the impossible.

たしかにどんな個性の中にもこの卑しい楽観主義が隠れている可能性はあるが、面倒ごとが起きたときにこの楽観主義が姿を現すと、不可能を成し遂げてしまうことが多い。

In my two decades of working in Silicon Valley, I am happy to confirm that this valley is full of these insane optimists. These are people who:

シリコンバレーで働いた20年の経験で、シリコンバレーにはこうした狂った楽観主義者がたくさんいると断言できて私はうれしい。こういった狂った楽観主義者というのは:

  • Work hard 一生懸命に働く
  • Over-commit and still deliver 過剰なほど仕事を引き受け、それでも〆切りを守る
  • Rampantly go out of their way to help each other 自分たちの仕事の範囲を超えて、お互いに助け合う
  • Have a track record of stunning success すばらしい成功の実績を持っている

This is not a population limited to the valley, its a population spread across the country and across the globe, but today Im thinking about my country.

これはシリコンバレーだけに見られる人種ではなく、アメリカ中にそして世界中にいる人種だ。でも、私は今アメリカ合衆国のことについて考えている。

Were nowhere near the bottom of this disaster weve voted onto ourselves. I dont think the majority of Americans fully understand the severity of our financial crisis. Were all fervently staring at Christmas, confusing the holiday spirit for hope.

自分たち自身に降りかかることをこれまで認めてきた災厄の底にはまだ達していない。自分たちの経済的危機の厳しさについてアメリカ人の大半はまだ十分に理解できていないように思う。私たちはみな、熱心にクリスマスを待ち望み、クリスマスの精神を希望と混同している。

Yet, I remain optimistic.

それでも、私は楽観主義だ。

Regardless of who wins the election, the question remains, “Do we have it in us to re-invent ourselves? Can we rebuild our country into a place we respect?”

大統領選挙に勝つのがどちらであっても、次の疑問は依存として残ったままだ: 「私たちは自分たちの手で自分たち自身を作り直すことができるのだろうか?自分たちの国を誇りに思う場所に再建することができるのだろうか?」

Yes, we can.

できるさ。

I live on the west coast of the United States, which is a region pioneers traveled to so they could choose how to define their home, but this whole country is built on that idea — we choose who we will be.

私が住んでいるのはアメリカ合衆国の西海岸で、そこは自分たちの国家を明らかにする方法を選択できるようにするために開拓者たちが移住してきた地域だ。しかしこの考えは西海岸にだけ見られるものではなく、アメリカ合衆国全体がこの西海岸に移住してきた開拓者たちが抱いていた考えの上に築かれている ― 私たちは自分たちの将来の姿を選ぶことができる。

Where I sit, with the cranky engineers — the insane optimists — I hope we all share this optimism because, given enough time, we can build anything.

気違いじみたエンジニア ― 狂ったエンジニア ― と一緒に私が座っているところから、私たちがみなこの楽観主義を共有していることを望んでいる。なぜなら、十分な時間さえあれば、私たちは何でも作れるのだから。