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『修行論』を読んで気になった部分 kazu634 2013-08-13 /2013/08/13/reading_training_practice_by_tatsuru_uchida/
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メモ

修行とは:

「インセンティブ(incentive: 動機、奨励金、報奨、発奮材料、励みとなるもの)」の価値は、努力が始まる前にすでに理解可能でなければ意味がないからです。「努力したら金をやる」という利益誘導が有効なのは、「金の価値」が、努力する前からあらかじめわかっているからです。当然ですね。

ところが修行というのは、そういうものではありません。修行して獲得されるものというのは、修行を始める前には「意味不明」のものだからです。

身体技術の向上について:

だが、考えてみれば自明のことだが、「完成系」というものを仮想的にであれ先取りするというのは、単一の度量衡に居つくということを意味している。

これは武道的には致命的である。というのは、武道においても、身体技術の向上は、ほとんどの場合、「それまでそんな身体の使い方ができるとは思ってもいなかった使い方」を発見するというかたちをとるからである。

無知とは:

人はものを知らないから無知であるのではない。いくら物知りでも、今自分が用いている情報処理システムを変えたくないと思っている人間は、進んで無知になる。自分の知的枠組みの組み替えを要求するような情報の入力を拒否する我執を、無知と呼ぶのである。

額縁を見落としたものは世界のすべてを見落とす可能性がある。

先人が工夫したあらゆる心身の技法は生きる知恵と力を高めるためのものである

私たちが適切に生きようと望むなら、そのつど世界認識に最適な額縁を選択することができなければならない

「平時」と「非常時」について:

勝敗を争い、強弱に拘ることにかまけていても特に困らない状況のことを、「平時」と呼ぶのである。

だが、そのような「平時マインド」だけしか知らない個体は、非常時には対応できない。対応できないどころか、集団の存続にとっての最悪のリスクファクターになりかねない。

武道家のブレークスルー:

あらゆる人間的成熟過程がそうであるように、修行のある段階で、武道家もまた「ブレークスルー」を経験する。それは「そんなことができるとは思っていなかったことができるようになる」というかたちで起こる。

修行では、愚直にある技術を反復練習する。そのうちある日、自分の術技の質が変わっていることに気がつく。それまで「そんなことができると思っていなかったこと」ができるようになるのである。

ここで重要なのは、この「そんなことができると思っていなかったこと」は、「この技術を身に付けよう」と思ってそれに向かって努力していた当の技術とは、まったく別のものだということである。稽古の所期の目的と違うところに「抜け出る」。それが修行のメカニズムである。

修行のルール:

修行というのは、そういう意味では非合理的なものである。達成目標と、現在していることの間の意味の連関が、開示されないからである。「こんなことを何のためにするんですか?これをやるとどういうふうに芸が上達するんですか?」という問いに回答が与えられないというのが、修行のルールである。

手元にある有限な資源を有効活用する:

手元にある有限な資源を、最大限有効活用するというのは、武道家の基本的な構えである。現に、戦場において、手元の兵器が足りないからとか、兵隊が弱兵ばかりだから「戦えない」という言い訳は通らない。手元にある限りのもので「やりくり」しなければならない。

そのためには、身の回りの人間や資源をていねいに観察して、それが蔵している潜在可能性を感知し、それを掘り起こし、最大化する手立てを構想する力が必要である。


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