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これが高倉健という男である | kazu634 | 2007-01-20 |
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高倉健が書いたエッセー『旅の途中で』を読みました。高倉健というと俳優というイメージが強いのですが、これを読んで判断する限りエッセイストとしても一流だと思います。
とりあえず印象に残った部分は次の部分:
- 「ただ毎日毎日、一ミリでも進んでいけば、ジャンプなんかしなくてもいい。誰も助けてくれないなら、自分で一歩一歩進むしかないんですから。人生には苦しいこともあるし、嘘と言いたくなるほど辛いこともある。でも、神様は絶対に無理な宿題は出さない。その人に与えられた宿題はその人自身がクリアできるものなんです。乗り越えようなんて思わなくても、一歩ずつ進んでいけば、いつの間にか乗り越えてしまっている。その時、初めて自分に自信が持てるんだと思います」
- とはいえ 嫌々ながら仕事をしているのではない 好きとか嫌いとかを尺度にして 仕事をするのではなく やるかやらないかを 問題にするのであって やると決め 引き受けたからには 持てる力を 惜しげもなくつぎ込み 奮闘する 仕事だから 仕事らしい仕事を やってのけようとする それは 観客のためではなく 自分自身のためにすることなのだ 受けるとか 受けないとかは もちろん気になることだが 最終的には 知ったことではない の一言で蹴飛ばしてしまう
- 必要に応じて 必要な動きができる男が 減ってきている どうということもないのに 大袈裟に騒ぎ立てる男は うじゃうじゃいる そんなに動かなくてもいいのに 派手に動き回る男が 増えている そんな男に限って 本当に動かなくてはならないときに コソコソと逃げてしまう 格好だけで良いのだ 中身なんてどうでもいいのだ 外側しか見えないさ と彼らは 居直る だが そうではない 人間の中身は ハッキリとスクリーンに映し出されるものだ たとえば 分厚い皮下脂肪のようなカタチで 彼は 必要に応じて 必要な動きができる スクリーンの上だけではなく 私生活でも
- 三年前にやれなかったことが 今は簡単にやってのけられる そんな男は少ない 流れに身を任せることを知っていて 時には流されもするが しかしそれでも 頭は常に上流に向けられ 両手は のべつ水を掻き 両足は しょっちゅう水を蹴っている つまり エネルギーの配分を冷静に計算しながら 少しでも 前進しようと狙っている 彼は決して遅れない
一番上は高倉健が印象に残ったとして引用している文章です。した三つは、「それが高倉健という男ではないのか」という丸山健二が書いたものを高倉健が引用していて、そこから孫引きしました。