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ルールが不公平な場合、そのゲームを投げ出すことに文句を言えるのか | kazu634 | 2006-09-22 |
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404 Blog Not Foundで紹介されていたので読んでみた。これは404 Blog Not Foundですでに述べられていることだが、この本の目的は
むしろ副題の「年功序列が奪う日本の未来」の方にある。本書は「若者を3年で辞めさせないようにするためにはどうするべきか」という人事部に対する本でも「若者として3年以上勤めるにはどうするべきか」という本でもない。
本書は指南書ではない。「なぜ若者は3年でやめてしまうようになったのか」の理由を述べた告発本である。筆者はその理由として、年功序列を挙げる。いや、少し違う。年功序列が機能しなくなっているにも関わらず、それに代わる制度設計を怠った企業、政府、そして「上の世代」を挙げている。
このように、この本ではシステムとしての「年功序列」がいかにして生まれ、続いてきて、破綻しつつあるのかが書かれている。そして、筆者は破綻しつつあるシステムを若者に一方的に負担を課すことで、システムの存続が図られているのだと結論づけている。
この結論を読んで最初は驚くべきものだと思ったものだったが、よく考えてみると、これはいま自分たちが目の当たりにしている現実にあっているように思えた。自分が主に見聞きしているのは教職(小・中・高校)や大学のアカデミックポストの話だが、そうしたポストの採用は現在非常に厳しくなっている…と言っても、常勤を目指したらの場合だが。そうした中で、若い人々は食にありつくために必死になっているところを見てきている(特にアカデミックなポストをねらう人。教職の方でも、何年も続けて非常勤として採用してもらえれば幸運なのだそうだった)。その一方で、すでに何らかのポストに就いた人々は(比較の上では)楽なように思える。そのポストに就くまでに非常な努力をしてきたのだから、そうなるのも仕方がない一面もあるだろう。
だがこの本の中で訴えられているのは、過去であれば年功序列システムの中ですでにポストを得ていたような人がポストを得られないような状況になっていることだ。社会心理学者のランドルフ・ネッセが述べていることを信じれば、「希望という感情は努力が報われると感じる時に生じ、努力してもしなくても同じと感じれば絶望が生じる」のだ。年功序列というシステムの中では、努力をすればそれが何らかの形で自分に跳ね返ってくるのがわかる。だが、そのシステムが破綻しつつある中で自分たちはどうすればいいのだろうか?
こうした社会に深く根ざしたシステムが破綻しつつあることが、「自分が若い頃は…」みたいな懐古的な言い回しだけでは説明がつかないとされる昨今の事件に対する説明になるのかもしれない。若者にとって努力が報われない―つまりやっているゲームのルールが不公平なように感じられる―のであれば、そのゲームを投げ出してしまうことを責められないのではないか。根深い問題のように思えるなぁ。