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土台をきちんと築いていこう! | kazu634 | 2008-02-18 |
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Shiroさんが最近、語ることが多い気がする(といっても、Wikiとかでしか知らないんだけれど(..;))。
元ネタの本は読んでないけど、 自分は決めるものか探すものかって訊かれたら、私は圧倒的に「探すもの」派だなあ。
ただ、「探す」という言葉はちょっと誤解されやすい。「本当の自分」という完成品が どっかに転がってて、それを見つければゴール、みたいな感じにとられるおそれがあるから。
ここでの「探す」は、 木の塊を彫ったり粘土をこねたりして像をつくるとか、そういう感じ。 それは探すじゃなくてつくるじゃないか、と思うかもしれないが、 「もっともふさわしい表現を探す」とか「いちばんしっくりくるデザインを探す」 とかそういう時の「探す」って、「つくる」のとほとんど同義じゃないかな。
「自分探し」をこの意味でとらえると、二つ重要なことがわかる。
- 探していることはアウトプットを出さないことの言い訳にならない。むしろ逆で、 その時その時の暫定アウトプットを出すことが、探す行為の不可欠な一部である。
- 探すことに終わりはない。ある時点での到達点は、同時に次の表現に向けた足場でしかない。
こういう「自分探し」なら、止まらないのは大いに結構。むしろ一生探し続けるのが面白い。 探せば探すほど、自分も気づいていなかった新たな自分が、自分の中にもともと 埋まっていたことを発見するだろう。
自分がこれまで見てきた凄い人たちは表面的には何もしていないように見えて、水面下ではめちゃくちゃ足をばたつかせて、必死だったように思う。最近読んだ本だと、『ローワン―ガルシアへの手紙の届け方』の中にこんなことが書いてあったっけ。
少し抽象的に言うと、自分の夢と希望をしっかりと持ち、その目標に向かって努力しているが、それをあまり表面に出すことなく、懐深く、相手の喜ぶ者をいつも気づいており、理解して、さりげなく気配りしてくれる、笑顔のいい人
その時々の目標なり何なりを見据えて、暫定的なアウトプットを出すというのが、「努力する」ということなのかなー、と思う今日この頃。必死に足をばたつかせていると、たぶんそのうちに足下が固まってくるんじゃないかなーと思ってる。
- 作者: アンドリュー・S.ローワン,Andrew S. Rowan,ハイブロー武蔵
- 出版社/メーカー: 総合法令出版
- 発売日: 2001/11
- メディア: 単行本
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