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”Ideas for Startups”の翻訳(対訳) | kazu634 | 2006-03-25 |
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誰もまだ手を出していないようなので、少しだけやってみました。日→英の翻訳があるので、不定期更新になりそうです…(終了済み)。
Paul Grahamが”Great Hackers”を実際に人の前で講演した音声がネットで入手できるようです。それで、その音声を聞いてみると結構フランクな印象を受けました。このエッセーも人前での講演から書き起こされています。Paul Grahamが主催したStartupsのための講演の原稿を基にして書かれたエッセーであり、聴衆として新たに起業しようとするハッカーが想定されています。
はてなブックマークで取り上げられていた、以下の文章の内容と重なる部分が多いように思いました。
なお、”startup”は日本語で言うところの「ベンチャービジネス」に相当するのだと思います。理由としては二つあります。
- このエッセーのオーディエンスには「これから起業しようとするハッカー」が想定されている。
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「ベンチャービジネス」の定義は『経済・ビジネス用語辞典』によると、
創造力をもとに,冒険的な新規事業を経営すること。しいて訳せば「冒険的独立事業」となろう。自分の能力をより発揮するため,組織から飛び出し(スピン・アウト),革新的な経営者として前記の冒険的独立事業を経営する。創造力,アイデア開発力などをもとにする事業であるから少数精鋭主義をモットーとする。したがって,従業員の数は普通,10名前後。
とある。
ハッカーによって運営される会社は、革新的な技術・製品を生み出す冒険的な事業になるはずだと考えられるので、”startup”の訳語には「ベンチャービジネス」をあてました。
更新履歴
- Feb 22:Upwindの途中まで終了
- Mar 2:Upwindを終わらせる
- Mar 8:Doodlingまで終了
- Mar 11:Problemsまで終了
- Mar 14:Wealthの途中まで終了
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Mar 21:Wealthまで終了。
ただし途中不明点あり。皆様からのsuggestionをお願いいたします(__)(Thanks! naoya_tさん) - Mar 24:後はNotesを訳すのみです
- Mar 25:とりあえずNoteも訳し終わる。後は皆様のsuggestionをお待ちしております。
Ideas for Startups
ベンチャービジネスのためのアイディア
October 2005
2005年10月
(This essay is derived from a talk at the 2005 Startup School.)
(このエッセーは2005年のStartup Schoolで行った講演から生まれた)
How do you get good ideas for startups? That’s probably the number one question people ask me.
どうすれば、ベンチャービジネスのためのすばらしいアイディアを得られるのか?おそらく、それが私に尋ねたい質問の筆頭だろう。
I’d like to reply with another question: why do people think it’s hard to come up with ideas for startups?
だが、私は別な質問をすることでそうした質問に答えたい。何でベンチャービジネスのためにアイディアを思いつくことを困難なことだなんて思うんだい、って。
That might seem a stupid thing to ask. Why do they think it’s hard? If people can’t do it, then it is hard, at least for them. Right?
その問いはくだらない質問のように思えるかもしれない。何で困難だと考えるのかって?そのことができないのであれば、そのことは困難なことになるんだ。少なくとも、そのことができない人にとっては。だって、そうだろ?
Well, maybe not. What people usually say is not that they can’t think of ideas, but that they don’t have any. That’s not quite the same thing. It could be the reason they don’t have any is that they haven’t tried to generate them.
うーん、そうではないのかもしれない。大抵の場合人々が言いたいことは、アイディアを思いつかないということではなく、アイディアを一つも持っていないということなんだ。アイディアを一つも持っていないことと、アイディアを思いつかないことは同じことではない。そんな風に言う人が一つもアイディアを持っていない理由は、そうした人たちがこれまでにアイディアを生み出そうとしたことがないからであるかもしれないんだ。
I think this is often the case. I think people believe that coming up with ideas for startups is very hard– that it must be very hard– and so they don’t try do to it. They assume ideas are like miracles: they either pop into your head or they don’t.
私は、こうしたことがしばしばあると考えている。人々はベンチャービジネスのためのアイディアを思いつくことが非常に困難だと信じている―それは非常に困難であるに違いない―だから、人々はアイディアを生み出そうと試みることをしないんじゃないか、って私は考えているんだ。そうした人たちは、アイディアというのは奇跡に似たもので、唐突に思いつくか、あるいは思いつかないの二者択一のものなんだって、決めてかかっているんだ。
I also have a theory about why people think this. They overvalue ideas. They think creating a startup is just a matter of implementing some fabulous initial idea. And since a successful startup is worth millions of dollars, a good idea is therefore a million dollar idea.
私は人々がこのように考える理由について別な意見も持っている。そうした人々はアイディアを過大評価している、というものだ。そうした人たちはこんな風に考えるんだ。新規に企業を興すことは非常に優れた初期の考えを実施するということに過ぎず、成功した新興企業は100万ドルの価値があるのだから、すばらしいアイディアも100万ドルの価値あるアイディアに違いないんだ、ってね。
If coming up with an idea for a startup equals coming up with a million dollar idea, then of course it’s going to seem hard. Too hard to bother trying. Our instincts tell us something so valuable would not be just lying around for anyone to discover.
ベンチャービジネスのためのアイディアを思いつくことが100万ドルの価値あるアイディアを思いつくことと等しいのであれば、もちろんそれは困難なことのように見えるだろう。あまりに難しすぎて、わざわざ思いつこうと試みることすらしないことだろう。直感から、そんなに価値あるものが誰かが発見するためにそこいらに転がっているわけがないと思うからだ。
Actually, startup ideas are not million dollar ideas, and here’s an experiment you can try to prove it: just try to sell one. Nothing evolves faster than markets. The fact that there’s no market for startup ideas suggests there’s no demand. Which means, in the narrow sense of the word, that startup ideas are worthless.
実際は、ベンチャービジネスのためのアイディアというのは100万ドルの価値あるアイディアではないんだ。ここに一つ実験があるから、それを検証してみてほしい。その実験というのは、ただベンチャービジネスのためのアイディアを売ってみるということだ。市場よりも早く展開するものは何もない。ベンチャービジネスのアイディアを扱う市場が存在しないという事実は、そうした市場に対する需要が存在しないということを示唆していることになる。そのことは、狭い意味で言えば、ベンチャービジネスのアイディアは価値がないということだ。
Questions
問い
The fact is, most startups end up nothing like the initial idea. It would be closer to the truth to say the main value of your initial idea is that, in the process of discovering it’s broken, you’ll come up with your real idea.
本当のことを言えば、ほとんどの新興企業は初期のアイディアとは似ても似つかないことを結局行っているんだ。こんな風に言う方が真実に近いんじゃないかと思う。つまり、初期のアイディアの主要な価値というのは、それがダメになるのに気づく過程で、本当のアイディアを思いつくことにあるんだ、というように。
The initial idea is just a starting point– not a blueprint, but a question. It might help if they were expressed that way. Instead of saying that your idea is to make a collaborative, web-based spreadsheet, say: could one make a collaborative, web-based spreadsheet? A few grammatical tweaks, and a woefully incomplete idea becomes a promising question to explore.
初期のアイディアは単なるスタート地点に過ぎない―それは詳細な計画なんかじゃなくて、問いなんだ。このように表現された方が役に立つことだろう。共同で作業できる、web-basedなスプレッドシートをつくりたいって考えていると言う代わりに、「web-basedなスプレッドシートをつくれるだろうか?」って言うんだ。文法的にちょっといじくってやると、情けないくらい不完全なアイディアが探求するのに有望な問いへと変わる。
There’s a real difference, because an assertion provokes objections in a way a question doesn’t. If you say: I’m going to build a web-based spreadsheet, then critics– the most dangerous of which are in your own head– will immediately reply that you’d be competing with Microsoft, that you couldn’t give people the kind of UI they expect, that users wouldn’t want to have their data on your servers, and so on.
そうすることで、本当に違いが生じる。なぜなら、断定形は問いがしないような方法で反論を引き起こすからだ。「web-basedなスプレッドシートをつくろうと思うんだ」なんて言ったとしたら、あら探し屋―頭の中にいるもっとも危険な奴―が即座に「Microsoftと戦うことになる」、「ユーザーが期待するような種類のUIを提供なんてできっこない」、「ユーザーはサーバー上にデータを置きたがらない」なんて答えるんだ。
A question doesn’t seem so challenging. It becomes: let’s try making a web-based spreadsheet and see how far we get. And everyone knows that if you tried this you’d be able to make something useful. Maybe what you’d end up with wouldn’t even be a spreadsheet. Maybe it would be some kind of new spreasheet-like collaboration tool that doesn’t even have a name yet. You wouldn’t have thought of something like that except by implementing your way toward it.
それに対して問いは、それほど難しいようには思えない。問いは、web-basedなスプレッドシートをつくってみて、どこまで行けるか見てみよう、となる。そして誰もが知っているように、こんな風に挑戦してみると、何か便利な物をつくることができる。ひょっとすると、結局のところ作るのは、スプレッドシートでさえないかもしれない。ひょっとするとそれは、まだ名前さえないスプレッドシートに似た共同で利用できる新しいツールのような物になるかもしれない。それに向けて着実に実行していくことがなければ、そうしたような物を思いつくことすらなかったことだろう。
Treating a startup idea as a question changes what you’re looking for. If an idea is a blueprint, it has to be right. But if it’s a question, it can be wrong, so long as it’s wrong in a way that leads to more ideas.
ベンチャービジネスのためのアイディアを問いとして扱うことで、君たちが探している物が変わってくることになる。アイディアが詳細な計画であれば、そのアイディアは正しくなければならない。しかるとすれば、誤っていてもいいことになる。その誤り方がより多くのアイディアを誘発する限りは。
One valuable way for an idea to be wrong is to be only a partial solution. When someone’s working on a problem that seems too big, I always ask: is there some way to bite off some subset of the problem, then gradually expand from there? That will generally work unless you get trapped on a local maximum, like 1980s-style AI, or C.
アイディアが誤る一つの貴重な方法は、不完全な解決策に過ぎないものにすることだ。誰かがあまりに大きすぎるように見える問題に取りかかっている時、私はいつもこんな風に尋ねることにしている。その問題の部分集合を解決し、そうして徐々にそこから広げていくような方法はないだろうか、と。その方法は一般的にうまくいく。1980年代の様式の人工知能やC言語のような極大に捕らわれているのでもなければ。
Upwind
風上
So far, we’ve reduced the problem from thinking of a million dollar idea to thinking of a mistaken question. That doesn’t seem so hard, does it?
これまでのところ、問題を100万ドルの価値あるアイディアを思いつくことから誤った問いを思いつくことへと煮詰めてきた。それならそれほど難しいようには見えないだろ?
To generate such questions you need two things: to be familiar with promising new technologies, and to have the right kind of friends. New technologies are the ingredients startup ideas are made of, and conversations with friends are the kitchen they’re cooked in.
そのような問いを生み出すためには、二つのものが必要になる。(1)有望な新技術に通じていること(2)正しい種類の友人がいること。新技術はベンチャービジネスのためのアイディアがつくられる材料であり、友人との会話はそれらの材料が調理されるキッチンなのだ。
Universities have both, and that’s why so many startups grow out of them. They’re filled with new technologies, because they’re trying to produce research, and only things that are new count as research. And they’re full of exactly the right kind of people to have ideas with: the other students, who will be not only smart but elastic-minded to a fault.
大学はその二つをどちらも持っていて、だからこそ多くのベンチャービジネスが大学から生まれるんだ。大学から生まれるベンチャービジネスは新規の技術がたっぷりと詰まっている。なぜなら、そうしたベンチャービジネスは研究の成果を製品化しようと努めようとし、そして新しいものだけが研究として重要とされるからだ。そして、そうしたベンチャービジネスには、共に考えを共有するのにまさしくうってつけの種類の人々がたくさんいるんだ。つまり、ただ優秀というだけではなくて、間違いに対して柔軟な考えをする他の学生が。
The opposite extreme would be a well-paying but boring job at a big company. Big companies are biased against new technologies, and the people you’d meet there would be wrong too.
大学とは正反対に誤った考えを最も生み出しそうにない場所というのは、給料はよいが退屈な大企業の仕事ではないかと思う。大企業というのは新技術には偏見を抱いている。そして、そこで働いている人は考えを共有するのにうってつけとはいえないのではないかと思う。
In an essay I wrote for high school students, I said a good rule of thumb was to stay upwind– to work on things that maximize your future options. The principle applies for adults too, though perhaps it has to be modified to: stay upwind for as long as you can, then cash in the potential energy you’ve accumulated when you need to pay for kids.
高校生のために私が以前書いたエッセーで、経験則は風上にいる―つまり、将来の選択肢を最大にするものに取り組む―ことだと書いた。この根本方針は大人にだって当てはまるんだ。といっても、こんな風に言い換えねばならないだろうけれど。できるだけ長く風上にとどまれ、そして子供のためにお金を払う必要が出てきたときに、それまで蓄えた潜在的な力をお金に換えろ、というように。
I don’t think people consciously realize this, but one reason downwind jobs like churning out Java for a bank pay so well is precisely that they are downwind. The market price for that kind of work is higher because it gives you fewer options for the future. A job that lets you work on exciting new stuff will tend to pay less, because part of the compensation is in the form of the new skills you’ll learn.
みんなが意識的にこうしたことを理解しているとは思わないが、銀行のためにJavaのコードを大量につくるような、風下の仕事の給料がよい理由の一つは、まさしくそうした仕事が風下だからだ。その種の仕事の市場価値が高いのは、そうした仕事が将来への選択肢をより少なくしてしまうからだ。興奮するような新しいことに取り組ませてくれる仕事は、給料があまりよくないものだ。なぜならその代償の一部が、その仕事をすることで身につける新しい技術という形で存在するからだ。
Grad school is the other end of the spectrum from a coding job at a big company: the pay’s low but you spend most of your time working on new stuff. And of course, it’s called “school,” which makes that clear to everyone, though in fact all jobs are some percentage school.
大学院は、そうしたスペクトラムの上では大企業でのコードを書くという仕事の真逆の位置にある。給料は少ないが自分の時間の大半を新しいことに使うことができる。そしてもちろん、大学院は、そのことを万人に明らかにするために「学校」と呼ばれている。まぁ、実際のところ、どんな仕事も何パーセントかは学校の要素があるのだけれど。
The right environment for having startup ideas need not be a university per se. It just has to be a situation with a large percentage of school.
ベンチャービジネスのためのアイディアを得るための適切な環境というのは必ずしも大学だけではない。適切な環境というのは、学校の要素が多い場所でなければならないということを言いたいんだ。
It’s obvious why you want exposure to new technology, but why do you need other people? Can’t you just think of new ideas yourself? The empirical answer is: no. Even Einstein needed people to bounce ideas off. Ideas get developed in the process of explaining them to the right kind of person. You need that resistance, just as a carver needs the resistance of the wood.
君たちが新しい技術にふれる機会を望む理由は明白だが、君たちが他の人を必要とするのはなぜなんだろう?自分一人で新しいアイディアを思いつくことができないのだろうか?経験から言わせてもらえば、それはできない。アインシュタインでさえ、自分のアイディアを投げかける人を必要としていた。アイディアは、それを正しい種類の人々に説明する過程において発展していくものなんだ。君たちにはそんな抵抗が必要だ。それはまさに彫刻をする人に木の抵抗が必要になるのと同じなんだ。
This is one reason Y Combinator has a rule against investing in startups with only one founder. Practically every successful company has at least two. And because startup founders work under great pressure, it’s critical they be friends.
これが一つの理由となっていて、Y Combinatorはただ一人の創業者しかいないベンチャービジネスには投資しないという規則を持っている。実質、成功している企業はどこも少なくとも二人の創業者によって興されている。そして、ベンチャービジネスの創業者は非常なプレッシャーの下で働かなければならないので、創業者たちが友達であることは非常に重要なことになる。
I didn’t realize it till I was writing this, but that may help explain why there are so few female startup founders. I read on the Internet (so it must be true) that only 1.7% of VC-backed startups are founded by women. The percentage of female hackers is small, but not that small. So why the discrepancy?
このエッセーを書いてみるまで気づかなかったのだが、それは女性のベンチャービジネス起業家が非常に少ない理由を説明するのに役立つかもしれない。ネットで読んだ(だからそれは正しいに違いない)のだが、ベンチャーキャピタルの支援を受けたベンチャービジネスの1.7パーセントしか女性に起こされたものではないということだった。女性のハッカーの割合は小さいが、そんなに小さいわけではない。では、なぜ食い違いが起きるのだろうか?
When you realize that successful startups tend to have multiple founders who were already friends, a possible explanation emerges. People’s best friends are likely to be of the same sex, and if one group is a minority in some population, pairs of them will be a minority squared. [1]
成功したベンチャービジネスがすでに友達の複数の創業者がいる傾向にあることがわかれば、一つの可能性のある説明が浮かんでくる。親友というのは同性であることが多く、そしてある集団がある母集団の中で少数派であれば、その集団の成員通しの組というのは二乗の割合で少数派だということになる。[1]【注1】
Doodling
いたずら書き
What these groups of co-founders do together is more complicated than just sitting down and trying to think of ideas. I suspect the most productive setup is a kind of together-alone-together sandwich. Together you talk about some hard problem, probably getting nowhere. Then, the next morning, one of you has an idea in the shower about how to solve it. He runs eagerly to to tell the others, and together they work out the kinks.
これらの共同設立者の集団が共同で行っていることは、ただ座って考えを思いつこうとしているよりも複雑なことをしている。最も生産的なやり方は、共同-単独-共同という一種のサンドイッチだと思う。まずは共同で、ある困難な問題について話し合う。もしかすると、解決策にはたどり着かないかもしれない。そうしてから、次の朝に、君たちのうちの一人がその問題を解決する方法についてのアイディアをシャワーを浴びて思いつく。そいつは走っていって、しきりに他のメンバーに伝えたがる。そして共同で、その妙案を現実のものとする。
What happens in that shower? It seems to me that ideas just pop into my head. But can we say more than that?
シャワーを浴びている時に何が起こるのか?私には、アイディアが頭に思い浮かんできたように思える。だが、それ以上のことを言うことができるだろうか?
Taking a shower is like a form of meditation. You’re alert, but there’s nothing to distract you. It’s in a situation like this, where your mind is free to roam, that it bumps into new ideas.
シャワーを浴びることは、瞑想の一形態のようなものだ。油断泣く警戒しているが、自分たちの気を散らすようなものは何もない。それは、精神が自由にさまよい、そして新しいアイディアにぶつかるような状況にいるようなものなのだろう。
What happens when your mind wanders? It may be like doodling. Most people have characteristic ways of doodling. This habit is unconscious, but not random. I found my doodles changed after I started studying painting. I started to make the kind of gestures I’d make if I were drawing from life. They were atoms of drawing, but arranged randomly. [2]
精神がさまようときに、何が起きているのか?それはいたずら書きに似ているかもしれない。ほとんどの人はいたずら書きをする特徴的な方法を持っている。この癖は無意識的なものだが、ランダムではない。絵を描くことを学び始めてから、私は自分が書くいたずら書きが変わったことに気づいた。実生活を題材にして絵を描いているかのようにしていたずら書きをし始めたんだ。そうしたいたずら書きは絵の原子ではあるが、ランダムに配置されたものなのだ。[2]
Perhaps letting your mind wander is like doodling with ideas. You have certain mental gestures you’ve learned in your work, and when you’re not paying attention, you keep making these same gestures, but somewhat randomly. In effect, you call the same functions on random arguments. That’s what a metaphor is: a function applied to an argument of the wrong type.
ひょっとすると、精神をさまよわせることはアイディアを基にしていたずら書きをするのに似ているのかもしれない。仕事の中で身につけた精神的な身振りをみな持っていて、注意を払っていないときには、同じ身振りをし続けるんだ。けれど、幾分ランダムに。要するに、ランダムな引数を指定して同じ関数を呼び出すってことだ。それが譬えだ。つまり精神をさまよわせるということは、間違えた種類の引数を指定して呼び出した関数みたいなものだということだ。
Conveniently, as I was writing this, my mind wondered: would it be useful to have metaphors in a programming language? I don’t know; I don’t have time to think about this. But it’s convenient because this is an example of what I mean by habits of mind. I spend a lot of time thinking about language design, and my habit of always asking “would x be useful in a programming language” just got invoked.
好都合なことに、ちょうどこの部分を書いていたときに、私は疑問に思った。プログラミング言語における比喩を用いることが役立つのだろうか、と。私にはわからなかった。このことについて考える時間がなかったんだ。けれどその比喩は、私が思考の癖で意味していることの好例になっているという理由で、都合の良い比喩になっている。私は多くの時間を言語のデザインについて考えることに当てていて、常に「プログラミング言語においてxは役立つだろうか」と問いかけるという私の癖が、この比喩でも引き合いに出されているからだ。
If new ideas arise like doodles, this would explain why you have to work at something for a while before you have any. It’s not just that you can’t judge ideas till you’re an expert in a field. You won’t even generate ideas, because you won’t have any habits of mind to invoke.
いたずら書きのように新しいアイディアが生じるのであれば、このことが何かアイディアを思いつく前にしばらく何事かに取り組まなければならない理由を説明するだろう。ある分野のエキスパートになるまではアイディアを判断できないというだけじゃあないんだ。アイディアを生み出すことさえできないんだ。なぜなら、まだ引き合いにする思考の癖を一切持っていないからだ。
Of course the habits of mind you invoke on some field don’t have to be derived from working in that field. In fact, it’s often better if they’re not. You’re not just looking for good ideas, but for good new ideas, and you have a better chance of generating those if you combine stuff from distant fields. As hackers, one of our habits of mind is to ask, could one open-source x? For example, what if you made an open-source operating system? A fine idea, but not very novel. Whereas if you ask, could you make an open-source play? you might be onto something.
もちろん、ある分野で引き合いに出す思考の癖は、その分野で取り組んだことから生じるものでなければならないわけではない。実際の所、そうした思考の癖は取り組んでいる分野から生じたものではない方が、よりよいものであることが多い。君たちは素晴らしいアイディアを探しているだけではなく、素晴らしくかつ新しいアイディアを探していて、関連性の薄い分野からの材料を混ぜ合わせた方がそうした素晴らしくかつ新しいアイディアを生み出すより良い機会に恵まれるものだからだ。ハッカーとして、我々の思考の癖の一つに「xをオープンソースにできるだろうか?」と問うことがある。例えば、「オープンソースのオペレーティングシステムを作ってみたらどうだろう」というような問いだ。これはよいアイディアかもしれないが、あまり目新しいアイディアではない。それに対して、「オープンソースの事業を生み出せないか」と自問したとすると、重要なことに気づいたことになるかもしれないんだ。
Are some kinds of work better sources of habits of mind than others? I suspect harder fields may be better sources, because to attack hard problems you need powerful solvents. I find math is a good source of metaphors– good enough that it’s worth studying just for that. Related fields are also good sources, especially when they’re related in unexpected ways. Everyone knows computer science and electrical engineering are related, but precisely because everyone knows it, importing ideas from one to the other doesn’t yield great profits. It’s like importing something from Wisconsin to Michigan. Whereas (I claim) hacking and painting are also related, in the sense that hackers and painters are both makers, and this source of new ideas is practically virgin territory.
ある種の仕事が他の種の仕事よりもよりよい思考の癖の供給源になるのだろうか?私は、より困難な分野がよりより供給源になるのではないかと考えている。なぜなら、困難な問題に取り組むためには、強力な解決策が必要となるからだ。私は数学が比喩の供給源として素晴らしいことを知っている―十分に素晴らしいので、数学にはそのためだけでも勉強する価値があると思っているぐらいだ。関連する分野というのもまた、すばらしい供給源である。とりわけ、予期しない方法で関連がある場合にだ。みんなコンピュータサイエンスと電気工学には関連があることを知っている。しかし、まさしくみんなが知っているために、片方の分野からもう片方の分野へと何かを導入しても大きな成果は生まれない。それは何かをウィスコンシン州からミシガン州に輸入するのに似ている。それに対して、ハッカーと画家はどちらもものをつくる人々だという意味で(私が主張するように)ハッキングと絵画もまた関連があり、そしてこの新しいアイディアの供給源は事実上誰の手にも触れられたことのない領域になっているんだ。
Problems
問題
In theory you could stick together ideas at random and see what you came up with. What if you built a peer-to-peer dating site? Would it be useful to have an automatic book? Could you turn theorems into a commodity? When you assemble ideas at random like this, they may not be just stupid, but semantically ill-formed. What would it even mean to make theorems a commodity? You got me. I didn’t think of that idea, just its name.
理論上は、ランダムにアイディアを組み合わせて、何を思いつくのかを見ることができる。P2Pのデートサイトを作ったらどうだろう?自動式の本があれば便利だろうか?定理を日用品に変えることができるだろうか?【注2】こんな風にアイディアをランダムに組み合わせると、ただ面白くないだけではなく、意味として不的確なものができるだろう。定理を日用品に変えることとは何を意味するのだろう?まいったよ。そのアイディアについて私が考えたことはなかった。ただ、その名前だけを考えていたんだ。【注3】
You might come up with something useful this way, but I never have. It’s like knowing a fabulous sculpture is hidden inside a block of marble, and all you have to do is remove the marble that isn’t part of it. It’s an encouraging thought, because it reminds you there is an answer, but it’s not much use in practice because the search space is too big.
何か有益なものをこの方法で思いつくかもしれないが、私はこの方法で思いついたことはない。それは信じられないような彫刻が大理石の固まりの中に隠されていることを知っていることに似ていて、君たちはただその彫刻の部分ではない大理石を取り除けばいいということになる。それは勇気づけられる考えではある。なぜなら、その考えは答えがあることを思い出させるからだ。しかし、その考えは実際にはあまり役には立たない。なぜならば、探求する空間が途方もなく大きすぎるからだ。
I find that to have good ideas I need to be working on some problem. You can’t start with randomness. You have to start with a problem, then let your mind wander just far enough for new ideas to form.
よいアイディアを持つためには何らかの問題に取り組む必要があることに私は気づいている。ランダムなことから取りかかってはいけない。何らかの問題から初めて、そうしてから精神を新しいアイディアが形成されるぐらいまで遠くにさ迷わせるんだ。
In a way, it’s harder to see problems than their solutions. Most people prefer to remain in denial about problems. It’s obvious why: problems are irritating. They’re problems! Imagine if people in 1700 saw their lives the way we’d see them. It would have been unbearable. This denial is such a powerful force that, even when presented with possible solutions, people often prefer to believe they wouldn’t work.
ある意味で、解決策よりも問題を見いだすことの方がより困難だ。ほとんどの人々は、問題について否定し続けようとすることを好むものだ。その明白な理由というのは、問題というものがいらいらさせるからだ。それが問題というものだ!1700年の人々が自分たちの生活を今日の我々が彼らの生活を見るようにして捉えだしたところを想像してみてほしい。それは耐え難いものだったことだろう。この否定というのは非常に強力な力なので、たとえ実現可能な解決策を提示されても、人々はしばしばそうした解決策がうまくいかないだろうと信じることを好む。
I saw this phenomenon when I worked on spam filters. In 2002, most people preferred to ignore spam, and most of those who didn’t preferred to believe the heuristic filters then available were the best you could do.
私はこうした現象をスパムフィルタの問題に取り組んでいたときに見た。2002年の段階では、ほとんどの人はスパムメールを無視することを好んでおり、そしてスパムを無視することを好まない人々のほとんどが、その当時利用可能だった試行錯誤【注4】によってスパムを除去するフィルタが最善の方法だと信じることを好んでいた。【注5】
I found spam intolerable, and I felt it had to be possible to recognize it statistically. And it turns out that was all you needed to solve the problem. The algorithm I used was ridiculously simple. Anyone who’d really tried to solve the problem would have found it. It was just that no one had really tried to solve the problem. [3]
私はスパムは耐え難いものだと思い、そしてスパムを統計的に認識することができるに違いないと感じていた。結局のところ、それがその問題を解決するのに必要なものだった。私が用いたアルゴリズムは滑稽なほど単純だった。本当にその問題を解こうとする人ならそのアルゴリズムを発見したことだろう。誰も本当にその問題を解こうとしていなかったんだ。[3]
Let me repeat that recipe: finding the problem intolerable and feeling it must be possible to solve it. Simple as it seems, that’s the recipe for a lot of startup ideas.
レシピを繰り返させてほしい。許容できない問題を見つけて、その問題を解決することができるに違いないと感じるんだ。単純に見えるかもしれないが、それこそが多くのベンチャービジネスのためのアイディアのレシピなんだ。
Wealth
富
So far most of what I’ve said applies to ideas in general. What’s special about startup ideas? Startup ideas are ideas for companies, and companies have to make money. And the way to make money is to make something people want.
これまでのところ、私が述べてきたことのほとんどはアイディア一般に適用できる。ベンチャービジネスのためのアイディアにとって特別なこととは何だろうか?ベンチャービジネスのアイディアは会社にとってのアイディアであり、会社は利益を上げなければならない。そして、利益を上げる方法は人々が望む物をつくるということだ。
Wealth is what people want. I don’t mean that as some kind of philosophical statement; I mean it as a tautology.
富は人々が望むものだ。このことを私はある種の哲学的な陳述として意図しているわけではない。そうではなくて、トートロジー【注6】として意図しているんだ。
So an idea for a startup is an idea for something people want. Wouldn’t any good idea be something people want? Unfortunately not. I think new theorems are a fine thing to create, but there is no great demand for them. Whereas there appears to be great demand for celebrity gossip magazines. Wealth is defined democratically. Good ideas and valuable ideas are not quite the same thing; the difference is individual tastes.
だから、ベンチャービジネスのためのアイディアは、人々が望むもののためのアイディアということになる。よいアイディアであればどんなものでも人々が望むものじゃあないのかって?残念ながら、そうじゃあない。新しい定理というのは作り上げるとすれば素晴らしいものではあるが、そうした定理に対する大きな需要というものは存在しないんだ。有名人のゴシップを扱う雑誌に大きな需要がある一方で、富というのは民主的に定義される。よいアイディアと価値あるアイディアは全く同じものではないのだ。その差は個人の審美眼によるものなんだ。
But valuable ideas are very close to good ideas, especially in technology. I think they’re so close that you can get away with working as if the goal were to discover good ideas, so long as, in the final stage, you stop and ask: will people actually pay for this? Only a few ideas are likely to make it that far and then get shot down; RPN calculators might be one example.
しかし、価値あるアイディアというのは非常によいアイディアに近い。とりわけ科学技術の分野では。よいアイディアと価値あるアイディアというのは非常に似ているので、最後の段階で立ち止まって「このアイディアのために人々はお金を払うだろうか?」と問いかける限りは、仕事の目的がよいアイディアを発見することであるかのようにして日々の仕事を切り抜けることができると思う。
One way to make something people want is to look at stuff people use now that’s broken. Dating sites are a prime example. They have millions of users, so they must be promising something people want. And yet they work horribly. Just ask anyone who uses them. It’s as if they used the worse-is-better approach but stopped after the first stage and handed the thing over to marketers.
人々が望むものを生み出す一つの方法は、人々が現在使用しているもので、めちゃめちゃになっているものに注目するという方法がある。出会い系サイトは申し分のない例だ。出会い系サイトには何百万人ものユーザーがいるので、出会い系サイトは人々が望む有望なものであるに違いないことになるからだ。だが、出会い系サイトはひどいものだ。出会い系サイトはまるで「悪い方がよい」というアプローチ【注7】を用いているかのようだが、最初の段階で止まって後の改善をマーケティング担当者に任せてしまっているようだ。
Of course, the most obvious breakage in the average computer user’s life is Windows itself. But this is a special case: you can’t defeat a monopoly by a frontal attack. Windows can and will be overthrown, but not by giving people a better desktop OS. The way to kill it is to redefine the problem as a superset of the current one. The problem is not, what operating system should people use on desktop computers? but how should people use applications? There are answers to that question that don’t even involve desktop computers.
もちろん、平均的なコンピュータユーザーの生活における一番明白な破綻はWindowsそれ自体だ。しかし、これは特殊なケースだ。独占企業を正面攻撃を挑んでも、倒すことはできない。Windowsを打倒することはできるし、そうなるだろうが、それは人々によりよいデスクトップOSを提供することによってではない。Windowsを打倒する方法は既存の問題の上位集合として再定義するということだ。問題は、「どんなOSをデスクトップコンピュータで人々は用いるべきなのか?」ということではなく、「どのようにして人々はアプリケーションを用いるのか?」ということなのだ。そうした問いに対する、デスクトップコンピュータとは関わりさえない答えがいくつかあるんだ。
Everyone thinks Google is going to solve this problem, but it is a very subtle one, so subtle that a company as big as Google might well get it wrong. I think the odds are better than 50-50 that the Windows killer– or more accurately, Windows transcender– will come from some little startup.
みんなGoogleがこの問題を解くと考えているが、この問題は非常に難解な問題であり、難解であるためにGoogleほど大きな会社は誤った考えをするだろう。Windowsを打倒する会社―もっと正確に言えば、Windowsを継承するもの―は、ある小さなベンチャービジネスから生じる見込みは五分五分以上だと考えている。
Another classic way to make something people want is to take a luxury and make it into a commmodity. People must want something if they pay a lot for it. And it is a very rare product that can’t be made dramatically cheaper if you try.
もう一つの典型的な人々が望むものを作る方法は、贅沢品に注目し、それを日用品にするというものだ。高くても人々が欲しがるに違いないものが存在する。そして、それは廉価にしようと挑戦しなければ劇的に安くすることができない非常に希少な製品なんだ。
This was Henry Ford’s plan. He made cars, which had been a luxury item, into a commodity. But the idea is much older than Henry Ford. Water mills transformed mechanical power from a luxury into a commodity, and they were used in the Roman empire. Arguably pastoralism transformed a luxury into a commodity.
これがヘンリー・フォードの計画だった。フォードはそれまで高級品だった車を日用品にした。しかし、そのアイディアはヘンリー・フォードよりもずっと古いものだ。水車場は力学的な力を贅沢品から日用品へと変えた。そして、水車場はローマ帝国の時代から用いられていた。議論の余地があるが、牧畜は贅沢を日常のものへと変えた。【注8】
When you make something cheaper you can sell more of them. But if you make something dramatically cheaper you often get qualitative changes, because people start to use it in different ways. For example, once computers get so cheap that most people can have one of their own, you can use them as communication devices.
安くすれば、その商品をもっと多く売ることができる。しかし、もしある商品を格段に安くすれば、しばしば質的な変化を手にすることになる。なぜならば、人々はそれを違った方法で用い始めるようになるからだ。たとえば、いったんほとんどの人が自分専用のコンピュータを持つことができるぐらい安くコンピュータがなると、コンピュータをコミュニケーションの装置として用いることができるようになった。
Often to make something dramatically cheaper you have to redefine the problem. The Model T didn’t have all the features previous cars did. It only came in black, for example. But it solved the problem people cared most about, which was getting from place to place.
何かを格段に安くするためには、問題を再定義しなければならないことが多い。T型フォード【注9】はそれまでの車が持っていたすべての特徴を備えていたわけではない。例えば、T型フォードは黒しかなかった。しかし、T型フォードは人々が一番気にかけていた問題を解決した。その問題というのは、ある場所からある場所へと移動したいというものだ。
One of the most useful mental habits I know I learned from Michael Rabin: that the best way to solve a problem is often to redefine it. A lot of people use this technique without being consciously aware of it, but Rabin was spectacularly explicit. You need a big prime number? Those are pretty expensive. How about if I give you a big number that only has a 10 to the minus 100 chance of not being prime? Would that do? Well, probably; I mean, that’s probably smaller than the chance that I’m imagining all this anyway.
マイケル・ラビン【注10】から学んだ私が知る中で最も有益な知的習慣の一つは、ある問題を解決する一番の方法はしばしばその問題を再定義することだ、というものだ。多くの人が意識的に気づくことなくこのノウハウを用いているが、ラビンは目を見張るほどはっきりとそう述べている。大きな素数が必要だって?それはもとがかかるなぁ。だから、10のマイナス100乗の確率【注11】で素数ではない大きな数をあげるというのはどうだろうか?それで間に合うかな?ええと、おそらくは。私が言いたいのは、正直に素数を求めていくことの方がこのようにやっていくよりも、素数を求める確率が低いのではないかということだ。
Redefining the problem is a particularly juicy heuristic when you have competitors, because it’s so hard for rigid-minded people to follow. You can work in plain sight and they don’t realize the danger. Don’t worry about us. We’re just working on search. Do one thing and do it well, that’s our motto.
問題を再定義することは実入りがよい発見的な方法である。とりわけ競合社がいる場合には。なぜならば、硬直した考えを持った人々にとって再定義された問題を理解することは非常に困難だからだ。問題を再定義した人々は明瞭な視界の中で動くことができるが、硬直した考えを持つ人々は再定義したことにより生じる危険を認識していない。私たちのことを案じることはない。私たちは検索という問題に取り組んでいるだけだ。「一つのことに取り組み、それを上手にやる」というのが私たちのモットーなのだ、というように。【注12】
Making things cheaper is actually a subset of a more general technique: making things easier. For a long time it was most of making things easier, but now that the things we build are so complicated, there’s another rapidly growing subset: making things easier to use.
安くすることは、実際にはより一般的なノウハウの部分集合だ。つまり、もっと簡単にできるようにするということだ。長い間、その部分集合はほとんど簡単にするというものだったのだが、我々が作り上げるものは非常に複雑になってきたので、急速に成長してきている別な部分集合がある。より簡単に使えるようにするというものだ。
This is an area where there’s great room for improvement. What you want to be able to say about technology is: it just works. How often do you say that now?
この領域は改善の余地が非常に多い。技術について言えるようになりたいことというのは、その技術が適切に作動するということだ。そんな風に言えることがどのくらいあるだろうか?
Simplicity takes effort– genius, even. The average programmer seems to produce UI designs that are almost willfully bad. I was trying to use the stove at my mother’s house a couple weeks ago. It was a new one, and instead of physical knobs it had buttons and an LED display. I tried pressing some buttons I thought would cause it to get hot, and you know what it said?
“Err.” Not even “Error.” “Err.” You can’t just say “Err” to the user of a stove. You should design the UI so that errors are impossible. And the boneheads who designed this stove even had an example of such a UI to work from: the old one. You turn one knob to set the temperature and another to set the timer. What was wrong with that? It just worked.
扱いやすくするためには努力が必要だ―非凡な創造的才能が必要とすら言える。平均的なプログラマーはほとんど故意にひどいUI【注13】にしているように思える。数週間前に私は母の家にあるストーブを使おうとした。そのストーブは新しく、ノブの代わりにボタンとLEDディスプレイがあった。ストーブをつけるだろうと思われるいくつかのボタンを押してみたのだけれど、そのストーブがなんて反応したかわかるかい?LEDディスプレイに「ERR」とだけ表示さえたんだ。「Error」ですらなく、ただ「ERR」とだけだ。ストーブを使う人にただ「ERR」とだけかえしてはいけない。エラーが起きないようにUIをデザインすべきだ。このストーブをデザインした頑固者だってそうしたUIを思いつく際に考える同じ材料、つまり古いUI、を持っていた。ノブを回して温度を設定して、別のノブでタイマーをセットする。そのUIのどこが悪かったのだろうか?それでも実際にうまくいっていたじゃないか。
It seems that, for the average engineer, more options just means more rope to hang yourself. So if you want to start a startup, you can take almost any existing technology produced by a big company, and assume you could build something way easier to use.
平均的なエンジニアにとって、より多くの選択肢というのは首を吊るためのロープが増えることを意味するようだ。だから、ベンチャービジネスを始めたいというのなら、大企業によって生み出された既存のほぼいかなる技術に注目したとしても、もっと簡単に使う方法を生み出すことができると考えていい。
Design for Exit
出口のための計画
Success for a startup approximately equals getting bought. You need some kind of exit strategy, because you can’t get the smartest people to work for you without giving them options likely to be worth something. Which means you either have to get bought or go public, and the number of startups that go public is very small.
ベンチャービジネスにとっての成功とはほとんど買収されることと等しい。ある種の出口の戦略が必要となる。理由は、かなりの価値になりそうなストックオプションを与えずに非常に頭の切れる人々を働かせることができないからだ。そのことは買収されるか、あるいは株式を公開することを意味する。そして、株式を上場するベンチャービジネスの数はとても小さいんだ。
If success probably means getting bought, should you make that a conscious goal? The old answer was no: you were supposed to pretend that you wanted to create a giant, public company, and act surprised when someone made you an offer. Really, you want to buy us? Well, I supposed we’d consider it, for the right price.
成功が買収されることを意味するのであれば、買収されることを意識的な目標とすべきなのだろうか?月並みな答えは「買収されることを目標とすべきではない」だった。つまり、巨大な株式会社を作るふりをすべきであって、買収の申し出を受けたら驚いた振りををするべきだというんだ。えぇっ、私どもの会社を買収したいですって?えぇと、正当な金額を提示していただければ考えてみます、というように。
I think things are changing. If 98% of the time success means getting bought, why not be open about it? If 98% of the time you’re doing product development on spec for some big company, why not think of that as your task? One advantage of this approach is that it gives you another source of ideas: look at big companies, think what they should be doing, and do it yourself. Even if they already know it, you’ll probably be done faster.
私はこうしたことが変わりつつあるように考えている。98%がた成功が買収されることを意味しているのであれば、どうしてそれを認めてしまわないのだろうか?98%がた大企業に買収されることを見込んで製品開発をしているのであれば、買収されることを自分たちの課題と考えればいいのではないだろうか?このアプローチの利点の一つは、そのアプローチがもう一つのアイディアの供給源を与えてくれることだ。つまり大企業を見て、大企業がこれから何を行うかを考えて、それを自分たちで行うんだ。たとえ、大企業が今後行うことをすでに知っているとしても、君たちの方がおそらくはやくできるだろう。
Just be sure to make something multiple acquirers will want. Don’t fix Windows, because the only potential acquirer is Microsoft, and when there’s only one acquirer, they don’t have to hurry. They can take their time and copy you instead of buying you. If you want to get market price, work on something where there’s competition.
ただ、複数の会社が欲しがるであろう物をつくるようにしよう。Windowsを修正してはならない。なぜならば、潜在的な買収先がMicrosoftしかおらず、ただ一つの買収先しかなければ、買収する側には急いで買収する必要がないからだ。君たちの会社を買収する代わりに、そうした大企業はゆっくりと時間をかけて、君たちの技術をコピーすることができるんだ。市場価格で買収されたいのであれば、競争がある分野に取り組もうようにしよう。
If an increasing number of startups are created to do product development on spec, it will be a natural counterweight to monopolies. Once some type of technology is captured by a monopoly, it will only evolve at big company rates instead of startup rates, whereas alternatives will evolve with especial speed. A free market interprets monopoly as damage and routes around it.
ますます多くのベンチャービジネスが買収されることを見込んで製品開発するために作られているのであれば、そのことは独占に対する対抗勢力ということになる。一度ある種の技術が独占に絡みとられてしまえば、その技術はベンチャービジネスの速度の代わりに、大企業の速度でしか発展しないことになる。それに対して、もう片方の選択肢【注14】では特別な速度で技術が発展していく。自由市場は独占を損害と解釈し、自由市場の外にある経路として解釈するのだ。
The Woz Route
ウォズの方法
The most productive way to generate startup ideas is also the most unlikely-sounding: by accident. If you look at how famous startups got started, a lot of them weren’t initially supposed to be startups. Lotus began with a program Mitch Kapor wrote for a friend. Apple got started because Steve Wozniak wanted to build microcomputers, and his employer, Hewlett-Packard, wouldn’t let him do it at work. Yahoo began as David Filo’s personal collection of links.
ベンチャービジネスのためのアイディアを生み出すもっとも生産的な方法は、あり得ないぐらいに健全なものでもある。つまり、偶然によってアイディアを生み出すというものだ。いかにして有名なベンチャービジネスが始まったのかを見てみれば、多くのベンチャービジネスは当初はベンチャービジネスになろうとはしていなかったことがわかる。ロータス【注15】はミッチ・ケイパー【注16】が友人のためにつくったプログラムから始まった。アップルが始まったのは、スティーブ・ウォズニアックがマイクロコンピュータを作りたくて、ウォズニアックを雇っていたヒューレット・パッカードがウォズニアックにマイクロコンピュータを作る仕事をさせなかったからだった。Yahooはデイビッド・ファイロの個人的なリンク集から始まった。
This is not the only way to start startups. You can sit down and consciously come up with an idea for a company; we did. But measured in total market cap, the build-stuff-for-yourself model might be more fruitful. It certainly has to be the most fun way to come up with startup ideas. And since a startup ought to have multiple founders who were already friends before they decided to start a company, the rather surprising conclusion is that the best way to generate startup ideas is to do what hackers do for fun: cook up amusing hacks with your friends.
これだけがベンチャービジネスを始める唯一の方法ではない。座って、意識的にこれから設立する会社のためのアイディアを思いつくことだってできる。私たちはそうやった。しかし、時価総額を総合して比較すれば、自分のためにものを作るモデルの方が、より成果が多いだろう。その方法は、間違いなくベンチャービジネスのためのアイディアを思いつく最も楽しい方法に違いないからだ。ベンチャービジネスは会社を始めることに決める前からすでに友人関係にある複数の創業者を持っているのだから、かなり驚くべき結論として、ベンチャービジネスのためのアイディアを生み出す一番の方法はハッカーが楽しみのために行うことをすることということになる。つまりその一番の方法は、自分の友人と一緒に面白いハックを即席で作り上げるということになる。
It seems like it violates some kind of conservation law, but there it is: the best way to get a “million dollar idea” is just to do what hackers enjoy doing anyway.
この考えはある種の保守的な慣習を侵害しているように思える。けど、たしかにこの考えは成り立つんだ。「100万ドルのアイディア」を手にする一番の方法は、もっと正確に言えばハッカーが楽しんでやっていることを単にするということになる。
Notes
注
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[1] – This phenomenon may account for a number of discrepancies currently blamed on various forbidden isms. Never attribute to malice what can be explained by math.
この現象は、現在様々な禁じられた主義のせいだとされている多くの食い違いについて説明しているのかもしれない。数学によって説明できることを悪意に捉えてはならない。 -
[2] – A lot of classic abstract expressionism is doodling of this type: artists trained to paint from life using the same gestures but without using them to represent anything. This explains why such paintings are (slightly) more interesting than random marks would be.
古典的な抽象表現主義【注17】の絵画の多くはこの種のいたずら書きである。画家は生活から同じ癖を用いて描くように訓練を受けるが、それらの癖が何ものも表さないように用いるのだ。このことは、そのような絵画が(わずかながら)ランダムに配置された印よりも面白いのかを説明している。 -
[3] – Bill Yerazunis had solved the problem, but he got there by another path. He made a general-purpose file classifier so good that it also worked for spam.
Bill Yerazunisもこの問題を解いていたが、Bill Yerazunisがその解法を思いついたのは別な道筋をたどってだった。Billは一般的な目的のファイルを分類するアプリケーションを作り出し、それがあまりにも良くできていたので、スパムにも適用できたのだった。
訳注
- 注1 – つまり、母集団→ハッカー/ある集団→女性のハッカー/成員通しの組→複数の女性のハッカー
- 注2 – Google・ベイジアンフィルタのことを指していると思われる
- 注3 – ベイジアンフィルタを考え出したのは、ベイズの定理を日用的なものに変えようとしたのがきっかけではなく、結果的にベイズの定理を利用したフィルタ方式を考案してその名前を付けたということ…だと思われます。別な解釈を思いついた方はお教えください(__)
- 注4 – heuristicの訳語として採用。意味は、「ある問題を解決する際に、必ずしも成功するとは限らないが、うまくいけば解決に要する時間や手間を減少することができるような手続や方法をヒューリスティックスという」こと
- 注5 – 2002年当時はPaul Grahamが提唱するベイズの定理をアルゴリズムとして用いたベイジアンフィルタが主流ではなく、ヒューリスティクなアルゴリズムを採用したフィルタが主流だった。だが、現在の状況を踏まえてみると、ヒューリスティクなフィルタはベイジアンフィルタの利便性と比較すると非常に耐え難いものだったということが述べたいのだと思われる
- 注6 – 同語反復命題ともいう。恒真命題と同じ意味で使われることが多い。ある種の命題(記述文)は、言語外の世界と照合することなしに、文字づらの上から真となることができる。例えば〈父親は男である〉〈地球は太陽よりも小さいか、小さくないかのどちらかだ〉〈もしソクラテスが哲学者でありかつソクラテスが刑死したなら、刑死した哲学者が存在する〉等である。
- 注7 – デザインの「悪い方がよい」原則参照
- 注8 – pastoralismの訳語がはっきりとしません。何かsuggestionがあればお願いいたします(__)
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注9 – 日本大百科事典によれば、
ヘンリー・フォードが自動車生産を始めた当時、自動車はまだ金持ちのおもちゃにすぎなかった。それを文字どおり大衆の足にするためには、徹底した大量生産と、それによる価格の大幅引下げが必要であった。1908年、この要請にこたえてつくられたのがフォードT型車である。それはオートメーションの先駆となった「フォードシステム」を確立し、大量生産が可能になったことによって生まれた大衆車である。
- 注10 – WikiPediaによると、有名なコンピュータサイエンスの研究者とのこと
- 注11 – Thanks! > Naoya_tさん
- 注12 – Googleのことを述べているのだと考えられる
- 注13 – 「ユーザーインターフェース」のこと。
- 注14 – 「ベンチャービジネスが技術を非常に速いペースで開発し、その成果を大企業が買収という形で取り込む」という選択肢
- 注15 – 表計算ソフトのLotus123をつくった会社
- 注16 – 表計算ソフトのロータス123を作った人物。オープンソース会の重鎮らしいです。
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注17 – 世界大百科事典によれば、
1940年代から50年代にかけて,アメリカで展開された一群の抽象芸術のこと。代表的作家はゴーキー,デ・クーニング,ホフマン Hans Hofmann(1880‐1966),ゴットリーブ Adolph Gottlieb(1903‐74),マザーウェル Robert Motherwell(1915‐91),ポロック,ガストン Philip Guston(1913‐80),クライン Franz Kline(1910‐62),スティル Clyfford Still(1904‐80),ニューマン BarnettNewman(1905‐70),ロスコら。
作家により様式はさまざまだが,全体として抽象的な様式によりながらも感情や内面性・精神性などを表現しようとする試みととらえることができ,はじめてのアメリカ独自の美術といいうる。ポロックのように画面のなかに入りこんで描くものをとくにアクション・ペインティングとよぶ。また,この時期,ニューヨークで抽象表現主義作家を中核に形成されたグループを〈ニューヨーク派〉という。抽象表現主義は50年代に入ると,巨大なキャンバスと白黒の絵具という二大特徴を明確にし,スティルの大きな影響下に一大流派を形づくり,ロスコやニューマンらによって,のちの色面絵画 colorfield painting への道をも用意した。
広義には,アメリカの抽象表現主義とほぼ時を同じくしてヨーロッパ,とくにフランスで現れた類似の動向をも指す。これは,アンフォルメル,抒情的抽象,タシスム Tachisme,熱い抽象などとさまざまによばれた。日本では,50年代後半から,フランスのアンフォルメルが導入されて一時代を画したため,アンフォルメルの呼称が一般化した。しかし,たとえば斎藤義重のような作家は,アンフォルメルをむしろはっきり〈抽象・表現〉という言葉でとらえていた。