6.9 KiB
title | author | date | wordtwit_post_info | categories | ||
---|---|---|---|---|---|---|
ゼミの発表が3連続。。。 | kazu634 | 2008-01-08 |
|
|
いやあり得ないんですけど。先週の木曜日ぐらいに気づいた。
The Beaux Stratagem: Drama and Literature – New Mermaids
こいつが一番やっかいだったかもしれない。修論の時期も無理して出てはいたけれど、あらすじが全部抜けていた(..;)場面の状況はわかるもののこれまではどんな内容だったかしらん。
The Death Of The Heart (Vintage classics)
冬休み挟むから多めに読まねばならない。これを現在読んでいるところ。モダニズムの作品を50ページとかって多いんですけど。。。
ナイチンゲールの“Cassandra”
「良妻賢母」・「家庭の天使」というステレオタイプなビクトリア朝の考え方とは一線を画す、明晰な同時代批評。女性の置かれた状況が社会的慣習にすぎないが、女性は泣き寝入りせざるを得ない状態を指摘している。
ナイチンゲールって看護婦として有名だけれど、この人めちゃくちゃ頭良いです。本当に。
Wikipediaで気になったところ:
ナイチンゲールは赤十字活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた。これはマザー・テレサと同様、“構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない、或いは一般化しない”ということを見抜いていたためである。そして「構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である」と言う考え方の元、マザー・テレサと同じく「自分は資金集めのために広告塔となる」ことを厭わなかった。しかし、内心ではそれを大変忌み嫌っていたようであり、クリミア戦争終結後はむしろ有名人として扱われるのを嫌うようになる。それが昂じて遺言では、墓標にはイニシャルしか記すのを許さなかった。
1820年5月12日両親の3年間の新婚旅行中にトスカーナ大公国の首都フィレンツェで、次女として生まれ、フローレンス(フィレンツェの英語読み)と名づけられる。幼少期は、贅の限りを尽くした教育(フランス語・ギリシャ語・イタリア語(姉妹とも読み書き話しができた)、ラテン語(聖書や哲学の勉強の基礎となるものとして学ぶ)などの外国語、ギリシア哲学(プラトン)・数学・天文学・経済学・歴史(イギリス、外国)、美術、音楽、絵画、英語(英文法、作文)、地理、心理学、詩や小説などの文学)が施される。しかし、慈善訪問の際に接した貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにするうちに、徐々に人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになる。
1853年、リズ・ハーバードに紹介され、ロンドンの病院へ就職する。ただし無給で、生活費は、年間500ポンド、数少ない理解者の父が出していた。就職に反対する母、姉と険悪となる。