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『宮大工の人育て (祥伝社新書 104)』 | kazu634 | 2008-04-30 |
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宮大工をしている人が書いた本。大学院生の時に、徒弟奉公というのはどういうものなのかを知りたくて、「法隆寺の鬼」と呼ばれた西岡 常一が書いた本を読んだっけ。とりあえず看取り稽古すらできないやつは問題外なんだと思い知らされた覚えがある。今回のこの本は、西岡のお弟子さん筋の本らしい。基本的なラインは踏襲されている気がする。
気になったのは次の部分だよ。
質問する側にしっかりとした考えがあれば、適切な助言を受けることで、自分の考えをより深くすることができるわけです。
自分でろくに考えもしないで、「どうしたらいいでしょうか」と聞いて、「それならこうしろ」と教えられたのでは、いつまでたっても質問者の理解は薄っぺらのままで、ほんとうの意味で自分のものにはなりません。
わからないことがあったら、まず自分なりに考え、仮説を立てることです。その上で誰かに質問するなり、教科書を開くなどして答えを求めることです。そうすれば、必ず理解が深まり、自分のものにできます。
人間、満足してしまえば、それ以上は伸びません。現状にあぐらをかき、それまでの知識や経験を食いつぶすだけです。現状維持はおろか、落ちていくばかりです。
ですから、満足したらおしまいだと、私は思っています。
「ミスはいつか必ず露見する。隠し通せるものじゃない。そんなことをして後でばれたら、取り返しのつかないことになる。せっかく建てた建物をぶっ壊してまた新しく造るようなことになったらとんでもないことになる。柱の一本、二本間違えたくらいならどうってことはないんだから、間違いがあったらすぐに報告しろ。みんなの力を借りれば、すぐに手当ができる。だから絶対に隠すな。」
わからないことに出会ったとき、「別にいいや」と答えを求めない人は、絶対に伸びません。
これ以外に気になったのは、宮大工は過去の宮大工と腕比べをしているという部分。科学とか最近のプログラミング(Perlで言うと、CPAN)とかの現状は、いろいろな人が腕を競い合うという一面がある。宮大工でも同じように、すでにできあがったものを見て過去の宮大工の偉大さに感動するというメンタリティーがあるというのが印象的だった。