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色々と考えて就職活動をすることにしました。 kazu634 2006-10-08 /2006/10/08/_370/
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つれづれ

 色々と考えてみたのだけれど、今年は修士論文を出さずに就職活動をすることにしました。

 色々と理由はあるけれど一番大きな理由は、父親が何かほっとしていたからです。

 元々母親は大学院に進学することを反対していたのですが、父親だけは応援してくれてました。うちの父親は若い頃に家業を継いでほしいという祖父母の望みでやりたかった理工系の学部ではなく、経済学部に入学させられたという経緯があったのですといっても、うちの親の年齢で大学に入っている人なんて本当に少数派なんですが…。だから結構無理してはいたのだと思うのですが、「ダメだ」とは言いませんでした。普段は温厚なのですが、ダメなときにはダメとはっきりという人がです。それでもやっぱり大変そうにしているから、自分としては住み込みのバイトを見つけてきたりしてできるだけ負担を減らしてあげて、大学院生活を続けていくつもりでした。自分の親は自分と同年代の友人の親に比べて510ぐらい年を余分に取っているけれど、それでも親の健康面を心配するのは34年先だと思って楽観視していました。そこまで勉強を続けていれば、もうアカデミックポストに就くために全力を尽くす以外の選択肢はほぼ残っていないだろうから、進路について迷うことはないと考えていたのです。でも、昨年の夏にちょっと病気になって以来はそれまでとは違ってちょっとやせて白髪が目立ってきました。

 そんなこんなで夏休みはあまり自分の研究というものが手につかずに大学が再開され、日々の雑事に追い回される日々でした。自分の研究が進んでいないという自覚があったのですが、やっぱり先生方には「遅れている」というように指摘されました。こうした事情を知らない先生方の意図としては「発破をかけて頑張ってもらおう」という単純な意図だというのは十分に理解できていたのですが、やっぱり落ち込んでしまいました。それからは何としてでも修論の構想発表を無難に乗り切るために非常に努力した…つもりです。それで修論の構想発表を迎え、これまた先生方の意図としては「もう一頑張りさせてもっといいものにしてもらおう」ぐらいの意図だったと思うのですが、もう一度一から構想するように言われました。

 でも、ここで一から構想し直して仮にまで行ってしまった場合、自分はアカデミックポストに就くために10年ぐらいを学生として過ごすという選択をしたことになると気づきました文系大学院進学で、一浪・一留以上確定。ちゃんと調べていないからはっきりしないけれど、おそらく就職活動するとすれば年齢制限に引っかかり始めそう。自分の目の前に二つの道があって    

           
  1. 自分のやりたいことをやる。ただし父親が老いていくのを見ながら、最悪の場合学生のまま父親は死ぬかもしれない。
  2.        

  3. 就職をする。自分のやりたいことをフルタイムではできなくなり趣味になるけれど、親を安心させてあげられる
  4.     

どちらかを選択しなければならないことに気づきました。(1)の選択肢を選んだ場合、自分は時間との戦いを始めてしまいそうで、常に時間に追われながら生活をすることになると思いました。自分が幸せで、親の負担を外してあげられる方が自分は幸せになれると思いました。「進路で迷っていて就職活動をしようと思う」と話すと父親は何かほっとしたようだったので、これでいいんだと思いました。

 というわけで、今年は修士論文を出さずに、就職活動をすることにしました。相談する人する人が「続けてみた方がいい」と言うのですが、やっぱり自分は「やりたいことを何としてでもやり遂げる」という性格ではないのだなぁと思います。自分にとっては、自分のやりたいことよりも、自分を気にかけて、大切にしてくれる周りの人や家族の方がずっと大事なんだと思います。