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大学院でのゼミが終わった kazu634 2008-01-23 /2008/01/23/_820/
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diary
英文学

 今日で某I準教授のゼミが終わる。最後の回で発表したM1の子の一人がようやくI准教授を高みから引きずり落とすことに成功した。これまでは学部生の延長線上として扱われていたのが、同じ土俵で戦う仲間として扱われていた。4月に入学したM1の子の中で、同じ土俵に引きずり落とせたのは結局この一人だけだ。

 うでも、本人はそのことに気づいていない。なんか知らないけれど、手厳しくいちいち間違いを指摘されているようにしか思えないようだ。周囲の人が指摘されていないところにまでいちいち指摘が及ぶ。自分も経験あるけど、はっきり言ってやられている方からするとイヤなんだよなー。

 それでもやっぱり旧帝大の准教授をやっている人のゼミでM1ごときがなんか言っても全否定されるのが当たり前なわけであって、健全な状態である。むしろ何も言われないことの方がおかしい。そんじょそこらの積み重ねで旧帝大の准教授になれるわけがないのだ。そこら辺の当たり前の事実に気づいてくれると良いな。できるだけのフォローはするけど。

 ちなみにカエサルはこんなこと言ってます:

天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることの出来る人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に気づく人のことである。

彼には「天才」になってほしいかも。

 どうでもいいけど、なぜか自分はM1の最初から発表は全否定、何かコメントすればすべて論破されるという茨の道を歩いてきた。いや、ありえなさすぎるでしょう。。。よくぐれずにここまで来たなー。まぁ、最近は成長したので「いかにして黙らせ、認めさせるか」に意識を集中しているのですが。